夢や希望は必要か? | 仏光さんの心の相談室

夢や希望は必要か?

私達は普通小さな頃から、夢とか希望とか、それを持たないと良い人生が拓けない様な概念を植えつけられながら育ってきます。夢とか希望という言葉の響きは大変心地よく聞こえます。ただ、問題はその中身ですね。多くの人の話を聴いているとその夢とか希望が、「私はこのようになりたい」とか「このような生活をしたい」とか「これを持つようになりたい」とか、そのもの自体はそれほど問題は無いように思うのですが、よく考えてみると自分の欲望が叶う事を夢とか希望という言葉に置き換えている場合も多いのです。


「夢を持ちなさい。」とか「希望を無くさないように」と私も言われながら育ってきました。青年の頃の私の夢は「世界を股にかけるビジネスマンになりたい。出来れば社長になってみたい。」というものでした。そして、その夢は実現しました。アメリカの大手企業にヘッドハンティングされ、入社して2年で経営幹部に抜擢され、日本に現地法人を作ってそこの社長も兼務するようになりました。私は自分の夢が叶って得意満面でしたね。


しかし、このような夢というものは実際は自分の欲望なのです。要するに欲望が叶っただけの話なのですね。そして、夢が叶ったからと言って自分の人生がバラ色になったかと言うとそうでも無いのです。私はただ得意満面で傲慢な人を見下す人間になっていたのです。そして心から幸せを感じる事は無かったですね。夢が叶ったのだから幸せにならなければならないはずなのに、そうはならなかったのです。


本当に人生を生きていくのに、夢とか希望というものが必要なのでしょうか?夢とか希望がなければ生きていけないのでしょうかね?今の私はそうでは無いなと思っています。夢と希望という世界観が脳の中に構築されると、何かを得なければ幸せになれないと思い込む思考回路を作り出します。世の中殆どの人がこの世界観で生きているのですが、ほんの一握りの人だけ何を得るという事も無しに、生きていること自体に幸せを感じられる世界観を脳の中に構築していると思います。多くの人はケガをしたり年老いて動けなくなってから、また死の病に侵されたりしてから、初めて自分が普通に動けて生きている事自体が幸せだったのだと気付くのですね。元気に生きている間にその事に気付く人は大変少ないのです。


もし誰かに「あなたの夢は何ですか?」と聞かれたら私は答えに困ってしまうでしょう。もちろんこれからも生きているとしたら、このようなことをしたいと思う事はあります。でも、それが一般に夢とか希望と呼ばれるものではないですね。今の私は一日自分がしなければならないことに自分のベストを尽くすだけで、その一日が無事に終わる事に感謝する毎日です。要するにしなければならないことをする人生なのですね。


別に夢とか希望がなくても充分満足して生きていけます。ただ結果として世間一般では評価される収入とか社会的地位などを得る事はできるかも知れませんが、それが私の夢とか希望かと言うとそうでは無いですね。そういうものは副産物のように付いてくるだけで、私自身「これが夢です」とか「これが私の希望です」というものは無いのです。ただ毎日自分がしなければならないことをベストと思われる方法でしているだけです。それで充分幸せです。


「夢や希望が無ければ生きていけない」と言う声も聞きますが、そんなことは無いと思いますよ。夢や希望が人生の目的では無いのですね。そのような考えで固まってしまうと、自分が夢とか希望と言っているものが叶わなければ落ち込み、生きる目標を失って「死にたい」という事にもなるのです。それだったら生きていくのに夢とか希望が必要な事が反って人生の邪魔になるのですね。私の毎日の目標は「一日ちゃんと生きる」事です。この「ちゃんと生きる」という事だけでも結構大変です。でも、そのような毎日を送っていると毎日の生活に充実感を感じられるし、一日が無事に終わっていく事に感謝の念が湧いてきます。


結果として毎日幸せを感じながら過ごす事ができますね。ここに「夢」とか「希望」という要素は無いのです。だから夢とか希望が無くても幸せに、そして平穏に生きていくことが出来ます。一般的に夢とか希望と言う言葉は、その言葉の響きが良いだけに人を駆り立てるところがあります。自分を自分で駆り立て、また人に夢だ希望だと駆り立てられて生きていく人生に平穏無事で穏やかな気持ちで過ごす時間を得る事は難しいですね。別に夢や希望が悪いと言っているわけではありません。そのようなものが無くても充分穏やかに生きていけると言っているのです。


私が若かった頃、夢とか希望と言っていたものは、一日一生懸命ちゃんと生きていけば結果として得られます。でも、そのために生きている訳では無いのですね。そんなものより、毎日「ちゃんと生きる」ことの方が余程大切だと思いますよ。私の人生も明日ゲームセットになるかもしれません。もし、私に夢や希望があるのなら、明日死ねば私は夢破れ希望を無くす事になります。そしてそれは悲しい人生という事になるのですね。でも今の私はもし明日死んだとしても、「短かかったのは残念だけど、良い人生だった。限られた時間の中で精一杯生きることが出来た」と思える事でしょう。


夢が無いとか希望が無いと嘆く事はありません。そんな事より一日自分がちゃんと生きていくことに心を向けた方が余程良い人生が過ごせるように思います。生きていることが大切なのです。それにわざわざ夢とか希望を持ってくる必要はないのですね。夢とか希望という言葉が持つ響きとその情景に心躍らしている閑があれば、今自分の目の前にある自分がしなければならないことに心を集中させて行動している方が、結果として充実した一日になり、そのような毎日が充実した人生につながっていくように私は思います。


合掌


仏光


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