物事の明るい側面を見る
「70点も取れて、よかったね」
これは決して、人に自慢できることではないとわかっていますが、わたしはかつて、
バリバリの悲観主義者でした。自分で自分の心にうっかり触れようものなら、
まさにバリバリと感電してしまいそうなほどの。不安で夜も眠れない、心配で仕事も手につかない、絶望で目の前が真っ暗、葛藤(かっとう)、後悔、くよくよ、うじうじ、いらいら、悶々、
鬱々(うつうつ)、自己嫌悪・・・私にとっては、すべてが大得意、
まったくありがたくない大親友の感情たちだったのです。こんな私を180度変え、
ポジティブにしてくれた人生の師匠というか、教祖というか、そんな人をご紹介しましょう。
それは私の夫です。彼はアメリカ人です。20代の頃、私の働いていた京都の書店に、お客としてやってきた彼と出会い、めでたく恋愛結婚をして、渡米。恋人時代から数えると、
かれこれ23年ほど、仲良く暮らしています。夫は出会った当時も今も、筋金入りの楽観主義者。
日々、眉をひそめて、何かに悩んでいる私とは対照的に、雨の日も、曇りの日も、彼の心の中だけは毎日が晴天なのです。いったい何がそんなに楽しいのか、うれしいのか、
朝からにこにこと、笑顔で暮らしています。知り合ったばかりの頃、私はそんな夫が
うらやましくてたまらず、いつか夫のようになりたいと思って、たずねてみました。
「どうしてそんなに幸せそうに生きているの ?」
「常に物事の明るい側面を見つめているからだよ」夫は幼い頃から、両親に
そういい聞かされて、育ってきたそうです。たとえばテストで70点しか取れなくても、
彼は「70点も取れて、良かったね。よくがんばった。いい子だ」とほめられ
その結果、彼自身もそのように、物事をポジティブに考える癖が身についたというのです。
確かに私の場合には「70点じゃ駄目。次は100点をとらなきゃ」と,叱られて育ってきたし、
そうした自己批判的な目は、大人になってからも、私を苦しめ続けてきたように思います。
「悩んだことも財産になる」
もっと、もっと、がんばらなきゃ。やればできる。努力、根性、忍耐が大切。こういった考え方は、時には物事を達成する原動力にもなりますが、それが行き過ぎると、わたしのような
悲観主義者をつくってしまいます。夫は私に教えてくれました。「君はふたつのWを捨て去った方がいい。ひとつはWant(もとめる)。もうひとつはWorry(心配する)。たいていの悩みはそこから発生している。こうなりたい、これが欲しいと、いくら求めても、うまく行かないんじゃないか、失敗するんじゃないか、と、いくら心配しても、物事の結果は同じなんだよ。だったら、そのうじうじと悩んでいる時間を、目標達成のための実践行動に使う方が有意義だろう」目からうろこが
落ちたような気持ちになりました。まずは,発想の転換。そして、そのあとは実践行動によって、その発想を支えていくことが大切なんだと気づきました。例えば、ある人との「人間関係がうまく結べない」と悩んでいるその時間を、それが少しでも良い方向に進んでいくように、
その人に「心を込めて手紙を書いてみる」といった具体的な行為に当てる、というわけです。
もちろん今でも、悲観主義者の私は、私の中に棲(す)んでいます。ただ、長い時間をかけて、
飼いならしてきたせいか、この頃では悲観主義者の「明るい側面」も見えるようになってきました。過去に私が味わい尽くした悩みや葛藤は、今書いている小説のなかで、余すところなく
生かすことができます。悩んだこと、それ自体が私の財産になっている ── と、考えることができるようになっているのです。
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作家 小手鞠 るい (心を育てる会 会報より)
合掌
仏光