私達は、幼い頃から様々な役割や義務を身に着けます。
ちなみに僕は、長男だった事も影響して、成績もスポーツでも優秀であろうと頑張っていました(^_^)v
遊びも、友達の付き合いも。
だけど、その反面、プレッシャーをいつも感じていたので勝つか負けるか、成功するか失敗するかの緊張感を感じながら生きていました。
そのせいで、熱が出やすく、いつも下痢を起こしていた少年でした(^-^)
様々な役割には、当然ながら義務も出てきます。
夫だから、~しないと…
妻だから、~しなければ…
親だから、~してあげないと…
上司だから、~しないといけない…
義務を果たしていないと、失敗している自分を感じてしまいます。
そうなると失敗している自分に負けたくないので、義務をまっとうしようとします。
そして、もし義務が果たせられず失敗をしてしまったら自分の責任となります。
次に、そのミスの責任を自分がとる…
こうなってしまうと、責任の使い方、理解が誤ってしまいます(・_・;)
こうやっていつの間にか、沢山の役割と義務、誤った責任を増やしてしまうことになのです。
もちろんこのような生き方が全部悪い訳ではありません。
信念も意思も強く無ければ継続できませんし。
また自分自身に厳しいので、他者から見れば人間として尊敬、敬意の対象となります。
しかし、周りの人たちからは、役割や義務をまっとうしてる人として尊敬をして貰えているので、そうではない自分自身になってしまう事に怖れが出てきます。
みんなに背中を向けられる怖れです。
ブレーキが壊れた車が、一旦走り出したら止まらないように、この生き方を止める・終える方法が分からず仕方なく継続することになっていまうのです。
この種類の怖れはとても厄介です(><;)
<あるがままの自分自身>
この状態にこそ、本当の「責任」が生じているのです。
しかし、だからといって我がままに自己中心的な生き方で、周りの人たちを振り回すのは、人として未熟な行為でしょう。
人間関係は、バランスと成長する関係である事が目的です。
我がままや自己中心的というのは、己の満たされていない過去の欲求を、今の人たちや現実で満たそうとする状態です。
よって関係のない人達までも巻き込むのことになるのです。
また、そのような人は、自覚のない過去の埋め合わせなので、巻き込んだ後の処理や対処は決してしません。
<あるがままの自分自身>で人生を歩むには、「勇気」が必要です('-^*)
それは、何かを失ってしまっても構わないという、目を塞いで走り抜けるようなタイプの勇気のことではありません。
自分自身の中にある贈り物「恩恵」を確信する勇気のことです。
「恩恵」とは、努力や誰かに教わって身に着けたものではない「魅力」のことです。
優しさ・いたわる気持ち・大胆さ・明るさ・ユニークで楽しいところ・諦めない強さ・前向き etc
みんなそれぞれ、その「恩恵」持っています。
生まれた時に自分自身の中に「すでにあったもの」であって、努力した結果手に入れた魅力のことではありません(^-^)/
だとしたら、その「恩恵」に忠実に生きることでしょう♪
では、その「恩恵」を思い出すには?
その「魅力」を表現していくには?
まずは、はじめの一歩として
自分自身の<弱さ>を恥じないことです。
真の強さは<弱さ>を認めている状態にあります。
真に強い人は自分の<弱さ>を認め、理解しています。
<弱さ>を認め合う人間関係にこそ「絆」が生まれます。
<弱さ>は決して恥ではありません。
逆に<弱さ>を認めないようにしながら強がり、弱い自分自身を感じなくて済むように、相手から・状況から・会社から・出来事から逃げている方が、よっぽど後で、苦しむことになります。
<弱さ>を隠して生きていくと、隠すことだけにもエネルギーを消耗します。よって疲れやすく、忍耐強く踏ん張る事ができません。
<弱い>からこそ助け合うことができます。
そのために仲間がいるのです。
助け合うからこそ、その人と「今」出会っている意味があるのです('-^*)
<弱さ>を恥じることなく隠すことなく、そのままの自分で前を向いて生きていきましょう♪