昨日は上高地・涸沢ヒュッテで極上の紅葉 を楽しんだが、上高地は紅葉以外も楽しいところだ。上高地・河童橋~涸沢ルート(約15キロ)の注目スポットをご案内しよう。
【トレッキングルート】
涸沢(からさわ)への15キロの道のりでは、途中、明神、徳澤、横尾を経由する。それぞれに宿泊施設がある。横尾までは食事や水の補給が容易だ。
明神(みょうじん)は河童橋から約30~40分、登山道沿いに明神館がある。明神池、そして穂高神社奥宮に至近だ。
約一時間で徳澤(とくさわ)につく。徳澤園は小説「氷壁」の舞台にもなった宿である。高級であるが登山客用に相部屋も提供している。
徳澤園にはカフェテリア、レストラン、おしゃれ売店などもあり、途中休憩にうってつけだ。
徳澤園で有名なのはカフェテリアのソフトクリームだ。大人気である。ハイシーズンには行列だそうだ。徳澤園はそのまた昔、牧場だったそうだ。その伝統でこんなにおいしいのだろうか。
そして横尾山荘である。河童橋から約2時間だ。ここは登山の拠点としての性格が強い。
横尾まではハイキング気分で問題ないが、横尾大橋をわたった先は本格的な登山となる。
イギリス人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンが日本アルプスの槍ヶ岳や上高地などをイギリスに紹介、海外でも知られるようになった。そのためということもないのだろうが、欧米人の登山客が多い。
横尾を出て約30分。登山道の左手には朝日に輝く屏風岩である。上高地・河童橋~涸沢ルートでは屏風岩(親しみを込めて「びょうぶ」と呼ばれている)を巻くようなルーティングとなる。
本谷橋だ。沢を越えたところの川原が休憩地点となっており、大勢の老若男女でにぎわっている。
上の写真は午前9時頃のものだが、正午(帰路)には次々と押し寄せてくる登山客でこのような混雑状況になっていた。橋を通過するだけでも大変だ。いったい、ここどこ?お願い、私を通して下さい。
そして涸沢ヒュッテだ。
いつもの炭酸水でなくエビアンを飲もう。ボトルパッケージの山のデザインに注目。そう、本日用に持ってきた特別な山岳仕様のエビアンだ。(あまり意味なし。)
ところで、改めて上高地ってどんなところ?
標高2,500-3,000メートル級の高山に囲まれた標高1,500メートルに位置する比較的広い(10キロ×1キロ)平地だ。これは日本では他に類を見ない標高と地形の組み合わせである。この地形はかつて北アルプスに存在した氷河による侵食と梓川による砂礫の堆積によって形成された。氷河期の一時期、上高地の上部に位置する槍沢と涸沢には山岳氷河が発達してその末端が上高地最深部の横尾のあたりにまで達していたと考えられている。
上高地は大人気の観光地であると同時に、穂高をはじめとして槍ヶ岳、焼岳、常念岳など北アルプスの人気の山々への登山基地でもある。年間120万人(!)が上高地を訪れるそうだ。
上高地はこれまで手付かずの自然であったという訳ではない。17世紀には樹木伐採のため徳郷(現在の明神のあたり)に松本藩の役人小屋が作られ、明神池の下流部を貯木池とし梓川を使って木材が出荷されていたらしい。その時代の上高地への道は島々谷・徳本峠を経由するものであった。木材関係で年間300人が入山したとの記録もある。明治時代に牧場もつくられた。それなりに人が住み、必要な範囲で開発を行っていたことになる。しかし、自然保護政策への転換で、自然回復への手立てがとられた。 ところがその後は観光客激増への対応に翻弄されることになる。1933年に上高地まで車道が開通したが、戦後の高度成長期に観光地として脚光を浴びて観光客が激増、排気ガス等による自然破壊が問題化した。その結果、70年代から夏季のマイカー規制、そして1996年から関係車両以外は完全に通行止めとなった。
今でこそ言う「手付かずの自然が残された上高地」にもこのような人の手が介在した歴史がある。
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