ブロンプトンで秘湯へ行こうセカンドシーズン。東京から日帰りで乳頭温泉へ行ってきた。孫六温泉黒湯温泉 を堪能した後、最後に訪れるのは、全国で『最も有名で人気の秘湯』、鶴の湯である。

 

但し、車と同じ舗装道を行ったのではつまらない。「ブロンプトンで秘湯へ行こうセカンドシーズン」の威信にかけても、ブロンプトン(か徒歩)でしか行けない挑戦的で刺激的な道を選ぶことにしよう。

 

乳頭温泉郷の秘湯群の中で、鶴の湯だけが深く切れ込んだ谷(先達川)を挟んで反対側に位置する。舗装道で行くと非常な大まわりとなるし、かなり下ったあとに橋を渡って再び登り坂になるので、位置エネルギーが無駄になる(=疲れる)。ここは一つ、鶴の湯峡 を渡る山道を進んで、大幅にショートカットしてしまおうという企てだ。

 

このルートだ。

 

[黒湯温泉→鶴の湯峡 →鶴の湯]

 

「鶴の湯温泉旧道口」で県道194号線を離れ、森の中の遊歩道を進む。このさき「鶴の湯峡」とある。ちなみに昔(江戸~明治時代)は鶴の湯へ行くのにこの道を通っていたらしい。

 

まもなく谷底に真っ逆さまの下り坂となる。本当にこの道なのか。イメージ的には大菩薩峠から小菅村 に下る道に似ている。大丈夫か。

 

標高差にして150メートルほど下っただろうか。最早point of no returnかと思われたその時、鶴の湯峡 の渓流が見えてきた。

 

鶴の湯峡 の谷底に到達した。木漏れ日が届き、木々の葉が輝く。

 

吊り橋を渡る。

 

谷底から吊り橋を経て50メートルほど登り返すと、鶴の湯側の展望ポイントに到達した。ここからはほぼフラットな道となる。

 

紅葉の葉が赤と黄色と緑の三種類。

 

鶴の湯峡 のどん底から這い上って、ようやく鶴の湯にたどりついた。

 

鶴の湯、ここはまさに『秘湯のテーマパーク』だ。さながら時代劇のセットのように藁ぶき屋根の民家が建ち並らび、我々の持つ昔ながらの秘湯のイメージ通りの風景が再現されている。

 

しかし、人、人、人である。三連休初日の午後でもあり、駐車場は勿論満車である。観光バスまで乗り付けて来ている。日本人だけではない。海外からのツーリストが門のところで嬉々として記念撮影だ。韓国人のオジサンの団体さんも来ている。この方々はやる気満々で足早に混浴大露天風呂へと消えていった。世界的に大人気の観光名所なのだ。

 

もともと秘湯であったものが、全国的な人気を呼んだため秘湯テーマパークになってしまったということだろう。ブロンプトン秘湯ミシュラン の秘湯度評価では、「秘湯っぽい」=一つに相当するだろう。

 

超有名な混浴大露天風呂へいってみた。これは混み過ぎだ!夏休みのプールかい!或いは、8月の三浦海岸かい!それなのにみんな素っ裸で変だ!

 

気を取り直して、奥の方に進んで足元湧出を確認した。評判通りの素晴らしい湯だ。感動のあまり、そこに一瞬そこに座り込んだが、途端に「あちち」、ボコボコっと湧出する湯であやうく尻をやけどしそうになった。

 

内湯の「中の湯」には記念に手をちょっと突っ込んだだけで、ほうほうのていで混浴大露天を撤退だ。湯の評価は最高に近い☆☆☆☆だが、この混浴大露天風呂をenjoyするにはやはり泊まりが良いだろう。次は評判の高い『黒湯』と『白湯』へ行こう。こちらの方が落ち着けるかもしれない。


これが黒湯。1.5メートル四方の小さな湯船だ。別に湯が黒い訳ではない。オジサンと二人で静かに入っていたが、向こうから若いおデブさんがこの小さな湯船に入ろうと接近してきた。身の(湯の)危険を感じて、出た。それでも後ろで湯が盛大に溢れる音がした。小さな風呂なので彼の体積で三分の一くらい溢れてしまったのではないか。あああ勿体ない。

 

白湯に移った。オジサン、オジイサンが入っていたが、許可を得て、湯口だけパチリ。「もっととっていいよ」と言われたけどまあね。

 

ここでは、オジイサン×2+北海道からきたオジサンと話がはずんで面白かった。しゃべくりオジイサンによると、乳頭温泉郷では『大釜温泉』の湯が一番熱くて彼の好みだと云う。また、蟹場温泉は「カニバ」ではなく「ガニバ」と読むそうだ。オジイサン、話止まらずで、このあたりで一番鄙びていてよかったのは、後生掛温泉やふけの湯に至近の『大深温泉 』だそうだ。「スゴイぞ」とのことだ。七〇年以上生きてきた人がそういうのだから、相当凄いのだろう。機会があったら行ってみようと思う。

 

おっと長居をしてしまった。鶴の湯の日帰りは午後3時でお仕舞いだ。そろそろ駅へ向わなければ。

 

駅まで急ぐ途中で秋田駒ケ岳を見上げた。紅葉が山をほんのりと赤く染めていた。みちのくの冬はもうすぐだ。

 

≪鶴の湯温泉≫

乳頭温泉郷の八軒の中で最も古くからある温泉宿だ。当初は「田沢の湯」と呼ばれたが、「猟の際に傷ついた鶴がここで傷を癒している所を勘助というマタギが発見した」との伝に因んで「鶴の湯」と呼ばれるようになった。古くは寛永15年(1638年)に二代目秋田藩主佐竹義隆が、また、寛文1年(1661年)に亀田岩城玄蕃が、鶴の湯に湯治訪れたと伝えられるが、一般客相手の湯宿としては元禄時代(1688~1704年)からのようだ。

 

  走り 秘湯度 総合
乳頭温泉郷 鶴の湯温泉 ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ 9

 


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