堤幸彦「BECK(2010)」 | 木島亭年代記

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東北在住。
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奇跡の出会いによって生まれたバンド、ベック。青春のすべてが、ここにある(byキャッチコピー)


ハロルド作石の同名人気コミックを実写映画化したロック映画。平凡で退屈な日常を送る高校生コユキが帰国子女の天才ギタリスト竜介との出会いを期に、“BECK”のメンバーとなり、新しい世界へ踏み出す姿を描く青春譚。コユキ役には今をときめく佐藤健、天才ギタリストの竜介は水嶋ヒロ。他に桐谷健太、中村蒼、向井理、忽那汐里。監督は「20世紀少年」や「TRICK:」の堤幸彦。

原作はずいぶん前に読んでいいて(途中までだけど)、本作の終りの所までは話の内容は覚えていた。正直な話、原作自体はそんなに好きではなく(嫌いではないが)、映画になると聞いても「ふうん」と言う程度の感想しか思い浮かばなかったくらいだ。監督が堤幸彦と聞いてますますその傾向は強く、決して面白い映画にはならないだろうと感じていた。実際映画は面白くはなかった。興味深いシーンもないし、ドラマに感動することもなかった。ただ、あまりに低いハードルをもって観たせいか思いのほか酷いという感じにはならなかった。そのせいか長尺でも飽きずに見れたし、「20世紀少年」を劇場で観た時の様な“拷問”感はなかった。


物語は平凡な高校生(・・・ん?平凡じゃねぇか)コユキが、街角でいじめられている犬を助けたことから、ちょっと変わった帰国子女の竜介に出会い、そこでギターを貰って練習し始める。ロックの啓示をうけたコユキは、転校生のロック好きえあるサク(中村蒼)と友達になる。きっかけはコユキがトチ狂って、放送室をジャックし、構内に大音量でかけたあるアメリカのロックバンドの曲である。そういえば「20世紀少年」でも主人公が放送室をジャックし、自分の好きな曲を校内にかけると言うシーンがあった。思うんだけど、今日び、学校という世界にロックミュージックを大音量でかけるなんてことが一体全体「反抗」につながるのかはなはだしく疑問ではある。ロックはもはや「反抗」の象徴ではなく、消費されるポピュラー音楽の1ジャンルにすぎない訳で、いささか間が抜けているようにさえ思える。


コユキは音楽を通して新しい世界に足を踏み出す。新しい世界は楽しいことばかりではない。当たり前だ。新しい世界と言うのは別に天国ではない。憎しみや暴力、嫉妬や軋轢、そう言ったものがないのは天国だけだ。おそらく天国と言うのは酷く退屈な所なのだろうが、幸いそうそう簡単に天国ってところへ行くことはできない。コユキが踏み出したその世界はその前にいた世界と地続きであり、悪いことにもっと醜悪な世界である。そこでは力が物を言う。いや、より物を言う。ゴマをする力、金の力、名声、権力あるいは実力そのもの。コユキのような平凡な男にはあまりにもタフでハードな世界だ。だが幸い(否、都合のいいことに)コユキにはその醜悪な世界で戦うための武器を持つ仲間がいる。コユキは一人で臨めばあっという間に食い殺される弱肉強食の世界で守られながら踏み出していく。もちろん映画だから(物語だから)、彼はずっとそのままでいはいられない。彼はそのチームの戦力でなければいけない。単なるお荷物ではいられないのだ。よって物語はここで彼にひとつの試練を与える。戦意喪失した仲間に代わって一人で戦いに臨むのだ。結果として言うならば、彼は60点だった。彼は確かに一人で立ち向かうことはできた。でも、やっぱり一人ではどうしようもなかった。ここで本来なら、コユキがアカペラで歌うと言う流れであってもいいはずだ。正直言って、それだけで多分間は持ったはずなのだ。だが、結局皆がいないとだめだなんだという体裁に映画は向かう。けれども、こっちからしてみると、どう考えても、コユキはバンドの一員として機能していない。彼は単独で存在しているにすぎない。コユキなしでもBECKはバンドとして成立しているし、逆にコユキは一人で歌っていればそれだけで価値が出てしまう存在にしか見えない。


冒頭いじめっ子が出てくる。この描写のお粗末さと言ったらない。コユキがぱしられて買ってきたメロンパンにいちゃもんつけた彼らは、そのパンをコユキの顔面に押し付けるや否や大笑いして何故か演奏を始めるのだ。まるで意味が分らない。その連中について回るグルーピーな女子3人組の動きの不自然さや、不良自体の描き方の単調さにはいきなり目眩がした。程度の低い文化祭の演劇みたいに彼らはうそくさい。


あるいはこの映画に登場するHPHOPに関連する描写は恐ろしく悪意を感じる。千葉が参加するフリースタイルの現場は笑ってしまうほどイメージだけの粗野な世界で、そこいるB-BOyはみんな過剰なまでにステレオタイプなエキストラだ。レオン・サイクスの描写はそもそもそういう役回りだから仕方ないが、まあ要するに悪役である。MC仁義のステージにおかえる観客の少なさもまた何かしらの悪意を感じさえする。これはフリースタイル大会のシーンで千葉が「DISってばかり」と相手のラッパーを糾弾するくだりを鑑みると、堤幸彦Disの急先鋒たる宇多丸師匠に対するある種のDisにさえ見える(考えすぎか)


ほかにもたとえば千葉が竜介から「お前はBECKに必要な人間じゃないかもしれない」と言うシーンで一旦決別する展開になるのだが、ほとんど何もないままよりを戻すと言うクライマックスのあまりにテキトーな展開とか、コユキがモデルでBECKのライバルバンドのVoと本人不在のまま女をかけた争いを始めるところのロクでもなさなど、正直言って投げたは良いが草むらに入って見つからなくなった伏線や、自分勝手な展開が多い。


個人的には斎藤さんと言うさえない中年とコユキの「ベストキッド」的な展開をもっときちんとやって欲しかった。


まあれでもそんなに退屈ではなかったけど