こんにちは。
先日、『新・カーマ・スートラ』講義(2)を拝聴された方の内容のダイジェスト版の転送メールが来ました。
ご覧になられた方も多い事と思います。
「これで私ことタルカスの使命も終わったなぁ」(爆)
とまでは思いませんでしたが、
90年代の始めの頃の事を思い出したりしました。
私、この手の質問を何度か受けた事がありました。
理由は、
「支部長に聞くわけにもいかない。」
「聞いたとしても、正しく答えてくれるとも思わない。」
などの理由からですね。
誰に質問したら、恥をかかずに済むのか。
直面している悩みへの打開作が得られるのか。
質問する方も必死であると思います。
ただ、このような質問に対する完璧な答えは無いように思います。
20代前半の男性からこんな事を聞かれた事がありました。
「実は、都内に居住している自分の同級生が、大川先生の書籍を会社の先輩から貸されたそうなのです。
貸されたと言う事は、おそらく、その会社の先輩は、ハッピー・サイエンスの会員さんだと思うのです。
ただ、その先輩は性愛のビデオもかなりの量を所持しているみたいで、一緒に性愛のビデオも貸してくるようなのです。
貸されて困っているとは言っていなかったのですが、会員さんの在り方として、これは良くない事であると思うのです。」
その時に私は、どのような意見を述べたかしっかりとは覚えておりません。
ただ、
「これで、良いのだ!」と言う返事はしなかったと思われますね。
おそらく、
「何も一緒に貸さなくてもねぇ。
書籍を貸すタイミングと性愛のビデオを貸すタイミングは違うと思うから。」
と言ったような気がします。
ただ、このようなケースの場合、
部外者からは、
「ハッピー・サイエンスの会員さんは、極めてストイックな戒律で縛られているわけではないのだな。」と受け止められるかも知れないし、
逆に、「性欲と言う余計な煩悩にとらわれすぎている。」と言う捉え方をされる事もあるでしょう。
受け止める人の知識・思想・信条・考え方によって180度違う答えが出てくるように思います。
ハッピー・サイエンスの会員さんであっても、様々な意見が出る事でしょうね。
自分も、結婚するまでの独身時代が、長かった方だと思います。
そのため、今であれば、その会員さんと思われる方の諸事情が見えてくるようでもあります。
性愛に関しては、このようなお話を伝え聞いた事があります。
ある男女の夫婦がいました。
子供がなかなかできないので、お医者さんに相談に行ったそうです。
お医者さんは言いました。
「子供をつくるために、どんな事をしていらっしゃいますか?」
それに対するご夫婦の答えはこうでした。
「夜はパジャマを着て、抱き合ったりしています。」
しかし、どうやら、それ以外の事は何もしていらっしゃらない様子なのでした。
まれに、夫婦のどちらも、性愛から妊娠にいたるプロセスを知識として把握していなかった場合、このような事が起きてしまいます。
大抵は、女性の方が全く知らなくても、男の方が知っているのでしょうけど。
ただ、少子高齢化にわずかながらも歯止めをかけるためには、最初が肝心である事は確かです。
仮に男女の両方とも性体験が未経験で結婚したとします。
知識として子供のつくり方を知っていたとします。
しかし、一番、最初の体験をする時に、
男性の側が、何らかの事情で失敗すると、
その後の夜の生活につながって行かないと言う事もあるようです。
私は僧団の中で伝え聞いた何例かを知っています。
男性の方は、思いの他、傷ついている場合があります。
どのくらい傷がついているかと言うと、次のチャレンジができないくらいに。
また、それを相談する事自体、恥ずかしくてできないわけです。
一方、女性の方はどうフォローしてよいかが解らず、前に進めない状態が続いている。
特に信仰者でなければ、その道のカウンセラーにでも足を運ぶ事もあるのかも知れませんが、信仰者であるが故に、心の中で悶々として、解決できないまま済ませている場合もあるようです。
そして、問題自体は解決される事なく棚上げされ、ただ一緒に暮らせる事への感謝と共に時間だけが経過して行くようです。
主のところには、信者さんの悩み・苦しみの念が飛んで行くと聞いております。
今回の講義の内容の背景もそんなところにあるのかも知れませんし、そのような時期なのかも知れません。
シュタイナーの思想本などには、
「太古には、性愛そのものが神聖なる儀式として、司祭の管理の元で行われていた。」と言う記述もありました。
読んだ当時は、「そんな事が可能なのかな?」とも思いました。
しかし、今日の宇宙人リーディングの様々な情報を聞いたりしていると、100%あり得ない事ではないですね。
いろいろ書きましたが、
以前、出家されていた女性との対話の中で、性愛の話になった時に、
「何事も中道が大事ですから。」
と言われていたのを思い出します。
男女のカップルが両方とも、心底、シアワセならば、性愛においても、そのシアワセ数だけの「中道」はあるように思います。
決して一律ではないでしょう。
今日も読んでいただき、本当にありがとうございます。
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