AMDAネパールこども病院の、恵まれない女性に対する母子医療保険システムを作るという構想。治安、費用の面で、日本から人を派遣するのは難しそう。そんな状況を打開するためにはどうしたらよいだろうか・・・・。それも、誰にも無理がなく、そして、関わったみんなが喜ぶような方法とは・・・・。
それを解く鍵は、モンゴル・カラコルムにありました。「なぜ、ネパールなのに、モンゴル・カラコルム?」と思うでしょ。
では、まずは、どのようにして、モンゴル・カラコルムとご縁が出来たのかについて。
僕のボランティア活動を全面的に応援し、バックアップして下さっている、山王ヘルスケアを含むグループのオーナーO会長。そして、O会長からご紹介頂いた、O会長の無二の親友、高野山蓮花院の東山御住職。
親交を深めるうち、一昨年に韓国訪問、そして昨年はモンゴル訪問に誘っていただいて、ご同行しました。
御住職の訪問理由は、1592年と1597年の豊臣秀吉の朝鮮出兵と、1274年と1281年の元寇の時の敵味方双方の霊の鎮魂のため。さすが、御住職のなさることは、大きいというか、広いというか、歴史を感じますね。
で、僕をお誘い頂いたのは、「モンゴルの古都カラコルムという町にある大学の宿舎が、火事で燃えてしまって、その影響で大学が存続の危機にあるらしく、その大学の危機を救ってあげたい。現状を見に行きませんか。」ということでした。
最初は、「どうして、医療系のボランティアの僕に?」って少し思いましたが、そこは何でもいっちょかみで、さらに現場主義の僕の事ですから、一つ返事で、「行きましょう!」
案内していただいたのは、カラコルム大学副学長の日本人、N先生。3人で首都ウランバートルから車で草原をひた走り、半日ほどでカラコルムへ。カラコルムに着くと、草原の中にある、ホントに小さな町。大学の建物も小さいものでしたが、宿舎が火事で燃えてしまって、さらに手狭になってしまったようです。それでも、多くの学生たちが、一生懸命に勉強し、そして木工細工や刺繍に精を出していました。
その手先の器用さと品質の高さは目を見張るものがありました。なぜなら、彼、彼女らは、遊牧民のこどもたちで、こどもの頃から刺繍、木工細工などで家計を支えながら、各地を転々とし、行商をしていたそうです。
でも、裕福な家庭というのはほとんどありません。入学金の代わりに羊1頭といった話も多いようです。N先生は、そういった恵まれないこどもたちにも教育の機会を、ということで、日本から支援をとりつけて、奨学金制度をつくって頑張っている人でした。教育系のボランティア、ですね。
一面草原の中、満天の星空の中で、3人で語らいました。今後のカラコルム大学の事、ネパールのこども病院の事。
話をするうち、僕の勘ピューターがカチカチ、がちゃがちゃ。
そして、一休さんのように、ちーん!とひらめきました。そのひらめきが、ネパールの母子保険システムを解く鍵だったのでした。(つづく)
スクラップブックも見に来てね!http://scrapbook.ameba.jp/brain-int_book/
人気ブログランキング
なにとぞご協力を!
読んで頂けたら、ここをクリック
↓お願いしますm(_ _)m