<役人が口に出来ないタブー>九十九里浜のこと③ | 千葉・南九十九里から トップアスリートのウエットスーツを作る社長ブログ
日本の海岸事情の縮図<一宮の海を考える集い>③

公共の場<一宮の海を考える集い>のような住民説明会などでは、お役人さんや学者の方は、なかなか口に出来ない "タブーな仮定" があります。

   $海と空が出会う場所でグラスをあけよう

お役人さんは。全ての人、あらゆる利害が対立する人の意見を尊重するため、一方の利益のために公の場で「仮に...」とは、軽々に口に出来ません。

学者さんは。様々な情報をすでに持っているので、過去の経緯や、利害の対立を十分知っています。そのため豊富な知識が、時として既存概念的な常識となってしまい。壮大な取り組みや、奇想天外という発想が生まれにくい体質となっていることが少なくないようです。

ですから、公共の場<説明会など>で、状況や計画を説明する場合「もっとも多くの人が納得出来ると思われる、安全で、安価な、最小限の変化」に留まろうとする傾向が強くなります。

それは大きく言えば、大阪圏で3つも空港が要るのか?とか、沖縄に基地は要らないんじゃないか。とか、言うのは簡単だけど、計画を作っている人たちは「お役人さんと学者さん」のタッグで、変化に拒絶反応する体質の中から「これが常識だ」とする理論が持ち出されてきます。

お役所が作った計画と対峙し、既存の仕組みを変えようという試みは、一人二人のちょっとした「言うのは簡単」では、ちっとも効果を上げません。

だから。ご当地の当事者はネットワークを作り。より発言力の強いスピーカーを抱き込み。新しい発想と信憑性ある知識を手に入れなければ、変化は起こりません。


では。お役所が口にしないタブーな仮定とは?

1.片貝漁港の堤防を小さくする

 →九十九里の中央。片貝漁港では、
  漁港に溜る砂で漁船の出入りが危険となるため、
  堤防をどんどん沖へと伸ばさざる得ないと考えられて来ました。
  そのために堤防の延長工事は今も続き、
  伸びた堤防には更に砂が留まるという悪循環が続いています。
  

  では、片貝漁港の漁獲高は、どうなのでしょう?
  やせ細る九十九里で操業するための漁船が、
  漁業にならず廃業が続いています。
  果たして、少なくなる漁船のための、
  漁港延長の防波堤が今後も必要なのでしょうか?

  $海と空が出会う場所でグラスをあけよう


2.小さなヘッドランドを止めて、海上橋=ピアを作る

 →ハンティントンのピアは、海中の基礎の上に、
  潮が流れるよう橋脚が立っている。
  この橋脚であれば、砂の移動が制限され、
  小さなヘッドランドと同じような
  効果があるのではないか。と主張する意見がある。

  しかし、今すでにある、ヘッドランドのために基礎を抜く。
  これが難しい。
  なぜか?
  海岸侵食対策は、国の補助金が投入されているが、
 「国のお金で作った構造物を取り壊す場合、補助金を国へ返す」
  前提がある。

 →この法律
  補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律
  
  このため、お役人は、既存建造物を壊す。なんてことは
  これまでは、とてもじゃないが自分から口に出来なかった。

  ある一例
  九十九里の中型河川に溜る土砂をスムーズに流すため、
  河口に並行し中州橋を立てた=学者が主張して実行された
  が、実際には理論通りにゆかず、かえって砂が溜り埋まってしまった。
  そこで「前の方がまだ自然な川が存在していた。元に戻そう!」
  とある議員が言ったが「前の工事分を返還するお金まで必要」
  だから、出来ないと行政は言う。
  
  建造物を変化させることは、
  結果的に失敗だった事を認めるだけでなく
  今の法律では、前の分まで、お金を返せとなっている。


3.太東岬や屏風ヶ浦を元のように、自然に崩れるままにする

 →もともと崩れるところへ、建物や道路を作ったんだから、
  引っ越せば良い。
  
  先にも述べましたが、アメリカではこの主張は通るが、
  日本では「今ある土地は絶対」という観念があり、
  国土を死守する。
  今まではそうだった。

4.保安林を減らして、砂浜の幅を広げる

 →一宮もそうだが、砂浜は断崖で簡単に下りられない。
  断崖が保安林まで迫ってしまい。
  緊急工事として四角い網にいれたジャカゴが投入される。

  保安林は、砂浜管理者と監督官庁が異なる。
  保安林を削って、砂浜にするなんてとんでもない。
  という保安林を守る法律(森林法)がある。

  保安林とは、
  現実に木が生えているかどうかで判断するのではなく
  木を植えるべき土地に制限がかかる。
  だから、砂浜から保安林の境目は、明確に規定されていて
  森林は、そこから一歩も交代しないぞ!と主張している。

  はたして、そうだろうか?
  森林法は、昭和26年、戦中戦後の乱伐と国土荒廃から
  国の財産を守るために制定された。
  そして、花粉症の温床となる山林の杉林とともに、
  日本中の海岸にも、防砂林として、
  松並木をどんどん砂浜に植えた。

  松を植える以前のもともとの九十九里。
  芥川龍之介が、一宮館で見た砂浜は5~600メートルあった
  その中央付近から植林を始め、
  海側へ海側へと保安林の幅を増やした。
  そうして、砂浜の砂丘ギリギリまで松が迫ったのだ。
  もともと、保安林の下は、海の持ち物だったのに。


このようなお役人さんにとってのタブーも、僕らは仮定の話しとして議論出来ます。また、議論しないと、何が原因で縛られているのか、知る事も出来ません。多くの知識が集まり、様々な発想で自由に議論出来る場が、早急に必要だと思います。

ハンティントンピア。ハンティントンはピアを中心に観光客が増え。観光が産業を呼び、町の魅力の中心的存在となっている。九十九里も、成田空港からすぐ近くなのに、砂浜を楽しみに来日する観光客はいない。すごくもったいないよね。



$海と空が出会う場所でグラスをあけよう
橋のたもとには駐車場が整備され、多くのお年寄りがひなたぼっこにくる。ジョギングする人がいる。トイレとシャワーがある。ビーチバレーのコートが設置されている。海岸清掃は立派に職業として成り立っている。ライフガードは皆から尊敬される。ビーチは町一番の財産だと誰もが思う。

$海と空が出会う場所でグラスをあけよう
毎週日曜日には、何かしらのイベントがある。橋のたもとのレストラン「DUKE」で結婚式を挙げる人がいる。Huntingtonのアイデンティティを愛する人々が暮らしている。皆、海を向いて生活している。ピアはそうした役割を担っている。

$海と空が出会う場所でグラスをあけよう
橋の上から釣をする人がいる。海を見るだけで人は癒される。海を通して人は教えられる事がある。町の財産とはなんだろう。九十九里を日本が誇れるビーチにすることは、間違った選択ではないと思う。何故、人は無関心でいられるのだろう。



大きな地図で見る

Huntington Beach
$海と空が出会う場所でグラスをあけよう