日本の行政機関は決裁文書を読まずに押印? | 夢老い人の呟き

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今日の衆院予算委員会の中継で一番驚いた、予想外の発言が麻生太郎副総理兼財務相の、財務省の決裁権者が決裁文書を読まずに決裁印を押印した事を容認し、これを問題と考えていない事でした。

 

本音と建て前という事で「あってはならない事」を容認してしまうのは日本人の文化、あるいは特質かもしれませんが、「あってはならない事」が表面化しても責任を問われないとしたら、この国の行政も政府の信頼も崩壊でしょう。

 

決裁文書を改竄し、8億円の値引きの正当性を誤魔化すために口裏合わせを求めたり (国会で野党が「8億円かけてごみを撤去するとなればダンプカー4000台分くらいになる」と指摘したが、昨年2月、理財局職員が学園側に電話し「撤去費が相当かかった気がする、トラック何千台も走った(搬出した)気がするという言い方をしてはどうか」と求めた) 、無かったはずのイラク・南スーダンの自衛隊の日報が次々と見つかったりする時点ですでに崩壊しているかも知れませんが。

 

しかし、こういう答弁を聞いて、この国の国民は自分たちが馬鹿にされていると思わないのでしょうか?