三日坊主とは通常ネガティブな言葉で、思い立って着手したがすぐに頓挫してしまう様を揶揄した表現です。

そこには続けることに価値があり、続けられないのは意思の弱い未熟者だとの考えが見え隠れしています。

しかし、続けられないことを本当に望んでいるかというと甚だ疑問です。


思い立つきっかけは、最近ではITネットワークからが多く、仕事で毎日使いますからいやでも様々な情報が目に飛び込んできます。

特にSNSからの情報は知人からなので余計に価値あるものに見えてしまいます。そして良さそうだと思い、思いつきであれやこれやとやり始めたりします。

いろいろとやることで予定がいっぱいな人も多いでしょう。

断捨離が流行るのもうなずけます。

三日坊主を断捨離風にポジティブにとらえると、三日坊主とは無意識下では自分にとって本当に必要ではない選択をしていると考えることができます。

実際、本当に望んでいることは三日坊主では終わりません。誰にもそういった経験はあるはずです。

そして続くことの中には我を忘れる、いわゆるフローの状態になる類のものもあります。

それらは真に自分が望んでいるものであり、しっかりと脳細胞に刻まれ続け習熟度が上がってくるものです。

それが自分の能力であり、さらに続けることでより研ぎ澄まされ、その人独自の高度な能力体系が出来上がるのです。

良さそうなことをやってみて続かなくても落ち込んだりせず、自分に必要なことではなく、自分発見に役立ったと考えればよいのです。

自分を知ったと思えば、進歩した気にもなります。そう考えると三日坊主は悪いことではなく、特に若いうちにはどんどん三日坊主を経験すべきでしょう。

人はそれぞれの道を歩むべきであり、そのための選択手段として三日坊主はけして悪いことではなく、ましてや良さそうなことがどんどん目に飛び込んでくる昨今ですからなおさらです。


あれやこれやと試しながら自分のやりたいことを見つけて楽しみながら深めていく。
当たり前ですが、それが自分を成長させ、無二の自分を形成していくのです。