この本の終盤に「メメントモリ」という言葉を紹介されている。ラテン語で「死を忘れるな」という意味のローマ時代の言葉だが、今よりずっと死が身近にあった時代でさえ人々は自分が死ぬことを忘れがちだったのだから、飢饉が克服され、医学も進歩した現代に生きる我々はすっかり自分が死ぬことを忘れ去っている。では、どうすべきなのか? 北野さんはこう結んでおられる。

「昔は死がそこら中に転がっていた。兄弟の何人かは幼いうちに死んでいたし、病気や怪我で簡単に人は死んだ。死を目の当たりにすれば、誰もが自分の死について考える。死を考えることは、生について考えることだ。道徳を作るなら、まずは自分がいつか必ず死ぬってことについてよく考えてみることだ。自分の死をしっかり腹におさめておけば、人生で大きく道を誤ることはないはずだ。メメントモリは道徳の土台なのだ。」

その通りかも知れない。ご近所にお住まいのHさんはガンで余命4カ月と宣告され、どう生きるかを真剣に考える内に肚が据わったとおっしゃる。その後、誤診と分かったが、今もその時の思いを話されるときはシャキッとされるから、死を考えると真面目に生きることを考えるようになるのだろう。

あと100年もすれば、今、地球上にいる人たちは殆ど死んで居なくなっている。そう考えると、同じ時代を生きる我々は同じ船に乗った乗客のようなものなんだから、互いを尊重し合い、仲良く過ごすことを考えるべきだろう。そんな思いを知合いの牧師さんにメールで伝えたら、すぐさまこんな返事が来た。「その通りです。争っているヒマなどありません。」

メメントモリ (^O^)/