ボルネオ7番のブログ

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手帳にメモしていたイタリアの諺、
「チェスが終われば、王様も歩兵も同じ箱に帰る」。

チェス
(Wikipediaから写真拝借)

この諺をメモしたのは、会社にも家族にも町内会にも合唱団にも、組織という組織に当てはまる言葉だと思ったからだ。組織を構成する人たちには様々な役割や責任があるだろうが、一日の終わりにはみんな寝床に入って無邪気な寝顔を見せている筈だ。その姿を想像すると、人間は所詮無力な存在で、みんな平等に生まれて来ているように思うのだ。

ただ、早速この話をしていたら、「チェスが終わるとは人生が終わるということではないですか?」と指摘する人がいた。なるほど、その通りかも知れない。しかし、チェスの駒なら同じ箱に帰ることができても、それが人の話となると宗教ごとに異なる箱があるやも知れず、同じ箱に帰るなどあり得ないという人も出てきそうだ。ああ、ややこしい。

かくなる上は、誰かが私をそっとチェス盤の上に置いてくれたのだと想像してみるのはどうだろう。そう思って前後左右に目をやると次々人が降り立ってくるのが見えるし、反面、私より先に来ていた人たちがチェス盤を去って行くのも見える。チェス盤が地球なら、私たちはせいぜい80年居て去って行く旅行者みたいなものなのだ。

そう思えば、たまたま同じ日に居合わせた旅人同士なのだから、何とか仲良く過ごせないものかなと思う。
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毎年、何か新しいことに挑戦すると決めたが、今年は未だテーマが見つからない。それを同僚に話したら、「フルマラソンはどうですか?」と言われた。走るのは1日1時間が限界の私なので、「3泊4日なら完走できるかも」と答え、大笑いされてしまったが、それがキッカケになってマラソンのことを調べ始めたら、こんな写真が出てきた。

女子マラソン

1967年、ボストン・マラソンでの一コマだ。ゼッケン261を付けた女性を後ろにいる主催者側の役員が捕まえようとしているが、一体なにがあったのか? 彼女は何か不正をはたらいたのか? 違う。彼女は「女性だからコースから連れ出されようとしている」のだ。

今となっては想像もできないが、1897年に始まったボストン・マラソンは女性の参加を認めない男性だけのマラソン大会だったのだ。もっと言えば、当時は女性に参加が許されたマラソン大会などなかったのだ。

そんな中、写真の女性、キャスリン・スウィッツァーさんは K. V. Switzer という名前で登録して出場し、何とか最後まで走り切ったらしい。沿道の市民からは拍手や声援が彼女に送られたとあるから、女性に門戸を開こうという大きな時代の流れがあったのだろう。

それから5年後の1972年、ボストン・マラソンは女性の参加を正式に認めるようになるが、多分、キャスリンさんはそうなることを望んで走ったのではなく、とにかくマラソンに挑戦してみたかったのではないか。挑戦を続けるには目標や責任感も必要だろうが、挑戦に踏み切る原動力になれるのは好奇心のみだと思うから。さて、私はそこまでマラソンに好奇心を持てるかどうか・・。
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約1年振りに大学ラグビー部のOB会に出席した。

エンブレム

関東在住OBが約20名出席していたが、私は上から数えて6番目で、一番若いOBは自分の息子でもおかしくない年齢だった。それが分かったときには少なからずショックを受けたが、私より若いOBの人たちが積極的に発言したことは予想外の収穫で大変心強く思った。

私自身は27才のときにOB会の活動に携わるようになり、OB会報の編集を担当することとなった。当時は同志社が大学選手権三連覇を達成した強い時代で、黙っていても原稿が集まったが、それが弱い時代を迎えるようになると原稿が集まらず、途端に編集に困るようになった。

止む無く、話題を現役以外に求め、さまざまな時代背景を持つOBにインタビューしたり、ライバル校のOBに同志社について語ってもらったりしてそこそこの好評を得たが、勝てない現役に私自身が業を煮やすようになり、記事の内容が次第に批判的なものになっていった。

ついには、指導者の方々を非難する過激な記事を書き、そのときばかりは大目玉を食らって除名騒ぎになってしまったが、それでも許されたのは、私を強く弁護下さった先輩が居られたからだろう。その先輩に感謝。今度は私自身がそういう先輩にならねばと思う。
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