ボルネオ7番のブログ

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同志社東京アンサンブルは、東京在住の同志社交響楽団OB、OGの方々が組織された楽団で、年に一度、定期演奏会を開いておられる。今年の演目はモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ序曲」、ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」、そしてベートーベンの「交響曲第7番」。

ベートーベンの交響曲第7番以外は初めて聴く曲だったが、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番には大西 梓さんというヴァイオリニストが出演され、情感のこもる素晴らしい演奏を披露された。100年頑張ってもああいう風には弾けないだろうが、私も頑張ろうと思う。

同志社東京アンサンブル

演奏が終わり、観客席からの拍手を受けられた出演者を見ると、20代から60代、男性より女性がやや多いという感じだろうか。ラグビー部のOB会でも親子2代、時には3代の若手OBから長老OBが一同に会することがあるが、共にプレーすることなどあり得ない。それを思うと、音楽というのは年齢や性別を超えて共に楽しめる素晴らしいものなんだと思う。

シンフォニーの語源は古代ギリシャ語で、sym(共に)phone(音)からできた言葉だとか。又、オーケストラの語源も古代ギリシャ語らしく、こちらは orchemai(私は踊る)から来た言葉だとか。直訳すれば、「私は積極的に参加して共に音を楽しむ」とでもなるのだろうか。パンフレットには来年の演目も発表されていたが、語源に忠実に、素晴らしい交響楽団であって欲しいと思う。
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仏教に五眼という教えがあることを知った。辞書によると、1. 肉限、2. 天眼、3. 慧眼、4. 法眼、5. 仏眼の五つで、最初の「肉限」は私たちが持っている眼のことで、最後の「仏眼」はお釈迦様が持っておられた目のことらしい。

これらの間にある「天眼」は三世(過去、現在、未来)十方(四方八方と上下全ての方位)を見ることができる眼で、「慧眼」は因果応報と無常の宿命が見える心の眼力、そして「法眼」は物事をありのまま観て、生けるもの全てを救うことを使命とする菩薩の眼、ということらしい。

仏教徒のくせに不勉強で、正直言うと良く理解できなかったのだが、あるお坊さまが書いておられた言葉が印象に残った。

「肉限は私たちの眼のことですが、目に見えるものは全て見ているなどと思ってはいけません。実際に見ている範囲は狭く、関心の度合いにより見られるものが選り分けられています。」

これはその通りだろう。同じ車に乗っていても、ドライバーと助手席、後部座席に座っているのでは各々見ているものも景色も異なるだろう。同じように、共に過ごす家族や、一緒に学ぶ学生、協力して仕事に取組む仲間でも、関心の対象と見ているものは少しずつ違うように思う。

「天眼は三世十方を見ることができる眼です。難しいことのように思われるでしょうが、人と会ったとき、その人の歩んで来られた人生を思い、ある光景を眺めたり記事を読むときは、過去や未来、世界のことを考えれば良いのです。」

この言葉にはハッとさせられた。最初から「天眼」と聞いた時点で「私には無理、無縁の存在」と諦めていたが、このように言われると、少し想像や思考の範囲を広げるとこれまでとは異なる見え方がしてくるのかなとワクワクしてくる。要は、肉眼に見える人やものにより深い関心や愛情を持てるかどうかで見え方が変わるというより、見方が変わるのだろう。

蓮
(東大キャンパスの中で見付けた蓮)

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10年ぶりに老眼鏡を買い替えた。

老眼鏡

老眼も進行するらしく、10年の間に焦点が合わなくなってしまった。少し高い買い物になったが、新しい老眼鏡を掛けると活字や文字がクッキリハッキリ見え、世の中全体が明るくなったように感じる。こんなことなら、もっと早くに買い替えれば良かったとも思うが、多分「老眼」という呼び方に抵抗があったのだろう。

考えてみれば、楽しいことも悲しいことも、美しいものも醜いものも長年に亘って見てきた眼だ。もっとスマートで優しい呼び方はないものか。ボル7案を書いてみる。

「慧眼」
仏教が説く「五眼」の一つで、本質を見抜ける眼なんだそうだ。因みに、五眼とは肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼で、それぞれに意味がある。長くなりそうなので別の機会に。

「審眼」
美を見極める眼のことを審美眼というから、審という字には善し悪しを見分けるという意味があるのだろう。私たちの年代になったら、もうそろそろ物事の善悪を見極めらるようになっているべきかと思う。

「練眼」
練という字には強くしたり鍛えるという意味があるが、一方では老練という言葉があるように「なれる」という意味があるようだ。柔和に見える眼なのに、見るところはちゃんと見ている・・そいういう大人の眼のイメージ。

「歴眼」
歴史という位だから、歴にはある地点や時点、立場を順次に通っていくという意味がある。歴戦の兵士と言えば何度も戦をくぐり抜けてきたベテランを指すのだろうから、人生のベテランという意味を込めて歴眼はどうか。

と、ここまで考えて、こんな立派な呼び方をされると、逆にプレッシャーを感じてしまうことに気付いた。審眼とか歴眼とか呼ばれながら、「このオジサン、いい年をしてどこを見てるんだ?」とか思われると恥ずかしい。やっぱり、シンプルに「老眼」で行こう(笑)
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