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鯉のぼり



大きなお屋敷のお庭に飾られた鯉のぼり。
大きいきいなあ、と感心して見上げていると、「どうぞ、中へお入りください」主と思われるきさくなご老人。「え?」と戸惑っていると、尚も「どうぞどうぞ」としきりに勧めて下さるので、
遠慮しがちになのか、図々しくなのか微妙な私。せっかくなので一枚写させていただいた。
丁寧にお礼を言ってお屋敷を出ると、門の傍に貼られた一枚の区議選のポスターが目に付いた。
そうか、屋敷の主は先の区議選で当選した地元では有名な区議だっのか。



リボンの通う小学校の1,2年生が図工で作った作品。




神田川に続くこの川には毎年町内会の方々が飾ってくださる鯉のぼりが、気持ち良さそうに泳いでいる。

春の遠足



遠足の日程が決まりお知らせが配られたのが1週間前。
それからリボンはまるで”ちびまるこ”か”わかめ”かと思うほど頭は遠足のことでいっぱい。
いいなあ、幸せそのもので



動物と話せる女性

日曜の午後、TBS「噂の!東京マガジン」という番組を見た。
いくつかのコーナーを持つバラエティで、この日最も関心を抱いて見たのがこの話題。

http://www.tbs.co.jp/uwasa/20070325/genba.html

適切ではないと思われる狭い空間で飼われている年老いた一頭の象、うめこ。
彼女への哀れみは当然禁じ得なかったが、私が注目したのはここで紹介された、「市から要請があればウメ子を引き取りたい」という千葉県勝浦市の『勝浦ぞうの楽園』の園長。
以前(2005.11月)この方は、「天才!志村どうぶつ園」にも登場されたことがある。そのときの放送が素晴らしく、感動で号泣したので、とてもよく覚えている。いや忘れることなどできないと言ったほうが相応しい。
それは、こんな話であった。

園長には象使いの息子さんがいた。
名前を坂本哲夢さん。
哲夢さんは人間と象が常に友達でありたいと願い、実際に象たちは哲夢さんと触れ合うことをとても楽しんでいるようだった。両者は互いに深い信頼関係で結ばれていたが、ある日象にも哲夢さんにも突然の不幸が襲う。
交通事故という悲劇によって、哲夢さんは二度と帰らぬ人となってしまったのだ。享年20歳。

最後のお別れの日、哲夢さんを乗せた霊柩車が園内をゆっくり走る。
その時に撮られた実際の映像が流れた。
一頭の象が霊柩車の後を追う。「パオーン、パオーン」魂を揺さぶるような悲しい泣き声が胸を締め付ける。象の名前はランディ。
特にランディは哲夢さんが大好きだった。
何故突然大好きな哲夢さんがいなくなってしまったのか、ランディには理解できなかった。

あれから13年。
ランディは今、何を思っているのか。園長は今まで辛すぎて考えようとしなかった、ランディの哲夢さんへの思いを知ろうと、動物と話せる女性ジョイスの手を借りてランディの思いに触れることを決心した。

その結果、想像を遥かに超えたランディの胸のうちが明らかになり、もう涙、涙、涙であった。

哲夢さんの畳一枚大の写真をランディに見せると、ランディは鼻を優しく写真に撫で付ける。
哲夢さんの生前録音した声を聞かせると、声を発するカセットデッキを鼻で抱えようとする。
最後に哲夢さんが使っていた調教棒を見せると、鼻で調教棒を握り自分の身体を哲夢さんがしてくれたように
撫で付けた。それは、他の誰もしない哲夢さん独自の優しいやり方だった。
そして信じられないことに、ランディの目からは一筋の涙が流れていた。

前の飼い主は、調教棒のとがった部分を使うためランディの身体はぼろぼろに痛んだ。
だが、哲夢さんは反対の丸い柄の部分で優しくこするように、撫でてくれた。まるで調教棒は哲夢さんの手の延長のようだったと言う。ランディは13年たった今でもその事を克明に覚え、つぶさにジョイスに語る。

そんな話を聞きながら園長は忘れていたことを思い出す。
かつて、ランディはここ勝浦に来る前は、かなり過酷な環境の中で飼い主から虐待されていたことを。
ランディに初めて優しく接してくれたのが哲夢さんだったことが再確認される。

園長であり哲夢さんの母という立場から、坂本さんはランディに静かに語りかける。
「哲っちゃんがいなくなって私も凄く寂しいけれど、一緒にがんばろうね」

ここで小田原市の象のウメ子の話に戻る。
そんな坂本さんのところで静かに余生が送れたら、ウメ子もきっと幸せなんじゃないだろうか。
「うちにも○子と言うおばあさん象がいて、きっとウメ子のいい茶飲み友達になれると思うのね」と言う坂本さんに、心底いいなあと酔いしれる私なのだが、こればかりはウメ子の気持ちを聞いてみないことには何とも言えない。
そこで!ジョイスの登場を是非提案したい!
TBSさん、どうか小田原にジョイスを連れて行って、うめこの本音を聞きだすという企画を立ち上げていただけませんか!!?

記念




冬のコートをクリーニングに出そうかと思い、ポケットの中をチェックしていたらこんなものが出てきた。
先週の土曜日、鎌倉から乗った江ノ電一駅分の乗車券。
江ノ電って、改札のない駅がけっこうあるのかな?
行き場を失った切符たち、捨てるのも惜しいから持って帰って来ちゃったんだった。
せっかくだから、記念にとっておこうっと。

「無心庵」にて

先週放送された「天才!!志村どうぶつ園」http://www.ntv.co.jp/zoo/で青木さやかとおさるのまさるが行った、江ノ電の線路を越えて入る「無心庵」http://www.k5.dion.ne.jp/~mushinan/で、リボンとクリーム餡蜜を食べてきた。
普通の民家をお店にした店内は、家庭的でまったりとした時と空間が広がり、しばし都会の喧騒を離れのんびりと過ごすことができた。






「悪童日記」  アゴタ・クリストフ  ★★★★★




アゴタ クリストフ, 堀 茂樹, クリストフ、アゴタ, Agota Kristof
悪童日記

本プロのゆきみさんの日記でとても興味を引き、図書館から借りて積読していた。
「短歌に出会った女たち」を先に読んでいたが、ふとこちら頁を繰るともうやめられず一気に読了してしまった。
見事に張り巡らされたな伏線が「穴」を彷彿とさせる。
共に主人公が少年で、置かれた環境もどことなく似ていたからだろうか。
この少年たち(ふたごの少年)の頭脳明晰さ、抜け目のなさ、優しさと残酷さ、未熟と成熟が同居する危ういキャラクターに強烈に引き込まれていった。
ラストの息をのむ展開には呆然とした。

これ続きがあるの?
絶対読みます。

「ふたりの証拠」  「第三の嘘」 早速リクエストしました。

彼岸の祈り




願わくば 息子と孫を 和ませて 墓前の祈り 煙にのせて

父と子

「華麗なる一族」を見て、ふと去年の今頃を思い出した
父と息子
我が家は「華麗なる一族」とは限りなく遠い一庶民でもあり、
私に何の疑いもかけられてはなく
息子は鉄平ほどカッコよくも礼儀正しくもないが、
夫とボールの不和状態だけは酷似する部分がある。
二十歳の誕生日を迎えても夫は何を言うでもない
どうかこの二人に一刻も早く雪解けの時が訪れますように祈って止まない・・・・

「華麗なる一族」挿入歌   by Eagles 
http://www.youtube.com/watch?v=NLOEyusQMxw



「おめでとう」

息子が大学に合格した
父親は息子に「おめでとう」を言わなかった
合格の日から3週間が過ぎ妻が言った
「『おめでとう』を言ってあげてください」
父親は妻に言われたのが不愉快で不機嫌に答えた
「わかったよ、言えばいいんだろう、言えば」
それでも彼なりに精一杯の笑顔を浮かべて親らしい態度を心がけたつもりだった
「おめでとう」
父が息子に何年ぶりかに言葉をかける
威厳を示そうとするあまり殊更に力んだ言い方が
息子の神経を逆撫ぜる
息子は父の期待通りの反応を示さなかった
「るっせーよ、かんけーねんだよ」
怒鳴られた父の笑顔はメッキがはげて
見る見るうちに憎悪の炎が燃え上がる

合格は父子の間に横たわる大きな溝を埋めることはできなかった
妻は秘かにこのチャンスにかけていた
チャンスが無残にも砕け散る
言葉の奥底に潜む長年に渡って降り積もった息子の感情
父はそれに気が付かない
父にはそれがわからない
たった一度
プライドを傷つけられた父親は
再び微笑みを元の引き出しにしまい込んだ
息子の表面的な言葉にとらわれて
その奥の感情に思いを馳せようともせずに
息子のプライドを何度も傷つけたとは思いもせずに
父は我が子の傷の痛みより自分の傷が痛かった

JFAからのお届け物




今年に入ってすぐの日曜日。みぞれ交じりの寒い一日だった
早朝、サッカーの審判4級資格を得るために家を出たシューズ。
一日がかりで受けた講習の結果が、今週始めに届いた。
日本サッカー協会からの届け物。何が入ってるのかなあ。

審判証 審判バッジ 心得帳 笛、レッドカード,イエローカード各1枚,その他諸々
本物のレッドカードやイエローカードを初めて見た。ちょっと感激。へえ、結構硬いんだ。

3級以上は試験があるようだが、本人は1級まで受ける気でいるっぽい。そういえばいつの間に買ったのか、こんな本が机の上にあった事を思い出す。



日本サッカー協会審判委員会
サッカー&フットサル競技規則〈2002/2003〉

春から高校生ということで、連日のようにあちらこちらの塾関係から息子宛に届くDMを鼻で笑い
ひたすら我が道を行くかのように見えるシューズ。

試しにこんなことをいってみた。
「塾とかって行かないの?」
「あ、やっぱりお母さんは俺がいつか塾に行くって思ってるんだ。ふ、甘いね」(花輪君口調)
「何、それ。何よ、甘いって(しかも気取って言うな)」
「お母さんの思い通りになるとは限らないって事だよ」
その言葉、そっくりそのまま君に返したいよと思ったが、ぐっとこらえる。
もう、本当に何を考えているのやら。
第一、私だって子供を自分の思い通りにしようなんて思ってないし。そもそも出来ないし。
世の中甘かあないぞという警告と子への信頼とがいつものように行ったり来たり。
この先今度はどこから何が届くのか、楽しみにでもして待つとするか・・・(^_^;)

小椋佳



先日放送されたNHK小椋佳スペシャル番組。
夜、一人で好きな番組をじっくり見るなんてことは滅多に出来ない。贅沢な時を過ごした。
普段、小椋佳をそれほど好んで聞くことはなかったが、この番組を見て今まで知らなかった小椋佳を知って
いいなあ、と思った。

小椋佳さんのHPから番組紹介の記事をそのまま以下に載せる。


NHK総合 「プレミアム10 小椋佳・63歳のメッセージ」
3月12日(月) 22:00~23:28
過去、現在、そして未来。小椋佳の世界をアーカイブ映像も交えてたっぷりとお伝えします。
番組のナビゲーターは、小椋とも親交の深い中村雅俊さん(56歳)。
メディアに顔を出さなかったデビュー当時の音楽活動、意外に知られていないターは、小椋とも親交の深い中村雅俊さん(56歳)。
メディアに顔を出さなかったデビュー当時の音楽活動、意外に知られていない人生の苦悩、
現在抱いている様々な思いまで、名曲とインタビューでお伝えします。
1976年のNHKホールでの初コンサートの模様や、中村雅俊が歌った「俺たちの旅」の誕生秘話など、
思い出の名曲の数々がアーカイブ映像で甦ります。
また次男が14歳の時に患った脳梗塞からの復活。現在小椋佳が育てている、次世代のアーティスト
高橋孝も紹介されています。
小椋佳がこだわる「もう」と「まだ」とは…?



まず小椋さんの作詞または作曲だった事を知らなかった歌が、驚くほどたくさんあった。
小椋さんと言えば東大を卒業し第一勧業銀行に務めるエリートサラリーマンでありながら、若者の心を掴む曲を幾つも生み出したシンガーソングライター。しかし、その華やかな肩書きの陰で知られざる苦しみがあったことを知り、彼の曲に対して漠然と抱いていた私の思いが深く濃いものへと進化した。
脳梗塞で倒れ長い間意識を失っていたご次男が、小椋さんの歌声に反応しほぼ1曲を歌いきったという話。半身不随となった息子さんに生きる術を身に付けさせるため、びわ(楽器)職人の道を示し日本ではたった3人しかいない職人の一人となった息子さん。http://www.gfe.co.jp/ogla/biwa.html
御自身も胃がんを患い、克服し現在に至る事などなど。

特に美空ひばりさんの「愛燦燦」
泣けた。
♪わずかばかりの運の悪さを恨んだりして
    ひとは哀しい 哀しいものですね
      それでも過去たちは
        やさしくまつげに憩う
    人生って不思議なものですね♪


歌を聴いて涙を流すなんてひさしぶり。
小椋佳も凄いひとだが、美空ひばりって、何でも歌いこなしちゃう。
やっぱりさすがだなあ。

「俺たちの旅」  中村雅俊 http://www.youtube.com/watch?v=WlewW-_xjoA
「ただおまえがいい」  中村雅俊


「愛燦燦」  美空ひばりhttp://www.youtube.com/watch?v=7dmy7MeEWdg&mode=related&search=
       加藤登紀子&小椋佳http://www.youtube.com/watch?v=JNnreVreqkE


「さらば青春」http://www.youtube.com/watch?v=-dKCi2HKBoE

「夢芝居」http://www.uta-net.com/user/phplib/J-Word.php?ID=4682



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