プーラン・デヴィ、あなたを忘れない(1) | 地球へ途中下車

プーラン・デヴィ、あなたを忘れない(1)

歴史は、「戦争」から「平和」へ、「差別」から「平等」へ、「抑圧」から「解放」「自由」へ──、前へ前へと進むものだと思っていました……。

……それは半分正しく、半分は間違っています。

 
カンジス河の夜明け


歴史 は、長い視野で見れば、前進と後退を繰り返しながら大きくは前進していくけれども、前へ推し進めようとする当事者たちの、現状を変えていこうとする力が働かなければ、勝手には進まないようです……。なぜなら、いったん有利な地位についたり、利益を手にした人間の、権力に対する執着心は、虐げられたのものがその日その日を精一杯生きていくことに注いでいるエネルギーよりもはるかに強く、大きく、圧倒的強大で、想像を絶するものだからです……。



3年前、大阪のインド領事館でインドのビザを申請するとき、申請書には男性も女性も、父親の名前を書く欄がありました……。故人になっていたら、名前のあとに(Late)、と書いて、それでも必ず父親の名前を書け、と窓口で言われました。
そして、申請者が女性の場合で、夫がいる場合は、夫の名前を書く必要がありました……。
 

インド社会は、ヒンズー教の教義と深く結びついたカースト制度によって厳しく階層、身分が分かれており、それによって就ける職業も定められています。現世のカーストに生まれたのは、前世の行いの結果。よい行いをすれば、来世で高いカーストに生まれ変わることができる、と信じられてているのです……。
かつ家父長制社会で、男尊女卑・現役社会です。
女性には自分の行動の自由を保障する人権は、いまだにほぼないに等しいといっても過言ではないように思います。


しかし夫と妻がデリー、アグラー、バラナシ、とインドを旅行をしたとき、妻のような夫と共に行動する外国人の女性はレストランや土産物でやホテルで「マダム」と呼ばれ、それ相応の扱いを受けました。

…ところが、女性一人でインドを個人旅行をしたり、女性同士でインドへ行った知り合いは、同じ日本人なのに、みな一様に「とてもイヤな目(主にセクハラ)に遭った!」「あんな国へは二度と行きたいない!」と、言います。。。

外国人観光客は、一部のヒッピーをのぞき、普通はインドの庶民と比較すると相当な現金を所持してインド国内を旅行しているので、インドの上位カーストと同等に位置する扱いになるようです。
ただし、それは男性の話。女性は基本的に男性の「所有物」です。男性と行動している女性の場合はカーストが上の男性の「持ち物」だから、相応に扱わなければいけない、というだけの話なのです。女性は子どものときは父親の、結婚をすれば夫の所有物。いまだにそうなのです。

しかも、一人や、あるいは女性だけでインドを旅行したりしていると、その女性は、カースト制度や家族制度から離れて暮らしている存在、ジプシーのような放浪民、と見なされるのだそうです。誰の物でもない物は、誰が手を出してもかまわない…。セクハラを受けたり、見くびられたような非礼な扱いを受けるのはどうやらそういった理由のようです。

またカースト上位の者は奴隷層や不可触民に対しては、何をしてもよい、罪に問われない、という考え方もいまだに根強く残っているようです。インドで悲惨なレイプ事件が後を絶たないのは、そんな事情も背景にあります……。


旅行中、カンボジアで一緒になった若い日本人女性がいました。彼女はインド国内を旅行中、汽車のチケットがなかなかとれず、2等車の3段寝台の、なんとか一番上の寝台がとれて、一番上なら安心だろう、と思っていたら、あとから乗りこんできた家族連れの父親らしきオッサンから、
「私のワイフや娘が暴漢に襲われたら困るので、おまえの上の段のベッドと、下の段の私のワイフのヘッドと、交替してはくれないかね?」
と言われたことがあるそうです。

…はあ???……

 「私のほうが、外国人で、一人旅で、独身で、言ったらなんですけど、アンタの嫁より若くて、アンタのような(一応つきだけど)ボディガードらしく守ってくれそうなオッサンも傍にいなくて、どう考えても、あたしの立場のほうがよっぽど危険だと思うんですけど?!?どうしたらそんな自分勝手な発想がてきるんですか!!」…と抗議したかったけど、「NO!」しか言わなかったけど、「暴行されたら、って……寝台列車のなかでか?」と、その夜はハラがたったことと相乗して一晩じゅう、寝られなかった、と言っていました。

が…要はそういうことのようです。

(アグラーカントからバラナシへ)二等車3段寝台の真ん中のベッドで寝ている夫。妻はその向かい側の真ん中の段。6ベッドが1コンパートメントになっている。夜中じゅう、乗り降りが激しく、ベッドの乗客は朝までたえず入れ替わっていた。



当然、恋愛や結婚は同じカースト階層同士でするのが基本です。

希にカースト違いの恋が芽生えます。それは祝福されないどころか、必ず引き離される運命にあります。そこで万策つきた2人が駆け落ちしたりすると、しばしば上位カーストの親族のなかから、「家族の名誉を守るため」と言って刺客が放たれるそうです。刺客は自分の身内も含め2人とも抹殺して闇に葬ってしまうのです。「名誉の殺人」と言って、よくあることなのだそうです。

1950年にカーストによる差別を禁止する法律が制定されていますが、その後も、地方の農村の貧しい奴隷カーストに生まれた子ども、なかでも女の子は、「女など、3人まとめても、牛一頭以下だ」、と言われ、家畜以下の扱いのなかで育ちました。学校へ行かせてもらえるのは家じゅうで男の子だけ。(インドの識字率はいまでも60%程度です)。

親からは何か説明されるより先に殴られ、子どもは言い分を話すより先に泣き、朝起きてまず考えることは、今日は、まともにごはんが食べられるかどうか。
親たちも上位カーストの村人から理不尽に虐げられて暮らしている日常なのです。


…その村の女と子どもの主な仕事は、牛の糞を手でこねて、まるめて団子にし、畑の肥料や冬場の槇がわりにするため、乾燥させて積み上げること、村に一つだけある井戸まで水を汲みに行くことでした…。その井戸でも、カーストによって場所は順番が厳しく定められていました。

その後、壮絶な人生を送ることになるプーラン・デヴィは1958年、そんなインドの寒村に生まれました。
(1963年という説もあります)


妻が日本で生まれたのと同じ年に、この地球という星の上で、同じようにプーランは生を受けていたのです…。

…つづく



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