島津!! | 八納洞の木鹿大王

八納洞の木鹿大王

史跡を中心に徒然なるままに、、、
ただし真面目に読むと激しく後悔する内容となっております。。。。

ふむ、ここが島津発祥の地とな。。。

 

いざ!!!!!

 

!!!!

 

木鹿大王:木鹿大王と申す、、、、、どなたかな?

 

 なに見てんのよぉ~

 

????:いいえ、私はさそり座の女ぁ~~♪

木鹿大王:あぁ、、、なんだろ、コロッケ食いたくなったなぁ。。。

 

!!

木鹿大王:そちらは???

 ちょこん。

 

 

 隣の晩御飯!!!!

 

木鹿大王  :おにぎりは持参してるんじゃな。。。。。

???ケ?:突撃!♪

 

 

後書き:

 

島津発祥の地とあるんですが、

看板の裏にある年表を見ると、資忠さんが、足利尊氏さんから南朝攻略のご褒美に、島津の荘の内の北郷の地をもらったそうで。

で、資忠さんの息子さんの義久さんが、現在の都城に城を築いたのだそうな。

 

島津家って鎌倉時代からあるよなぁ。。。

WIKIですと、惟宗忠久が源頼朝から島津荘を褒美にもらったのだそうで、他にもすでに所領を持ってたそうなのですが、そのなかでも薩摩、大隅、日向にまたがる一番広大な所領だった島津荘の島津を名乗ったのだそうで。

武田家(本ブログでも取り上げたので良ければ) も鎌倉時代、広大な領土を領有してたり没収されたりしたように、島津家も浮沈があったようで、資忠さんが所領もらった頃は、島津家の所領は薩摩だけだったようで。。。

 

ややこしいなぁと思って撮影した写真を改めて確認すると、、、、都城島津家発祥の地

   ということなのかな。。。

 

あ、そうそう、見れる場所は、写真ですべて紹介してますwww

実質、地蔵様が安置されているところだけですね。

公開されているところも、私有地で土地所有者の善意なのではと感じましたが。。。

なので、これ以上散策すると不法侵入と思われます。

山城行くと不本意に道を外れることがありますが、30段くらいの階段しかないここではwww

 

お化粧を施された地蔵様、よく見ると、胸元に十字架をかたどられているように思いましたが、、、

 

 

以上