おはようございます。
前回は、「良い姿勢・正しい姿勢」はそれそのものが目的になるべきでなく、「直後に思い通りに、迅速に動けるため」の「手段」と捉えるべきではないか、という話をしました。
つまり、良い姿勢をとることが目的になることで形に目を奪われ、形だけが整った、中身をともなわない姿勢になってしまう可能性があるということです。
繰り返しになりますが、僕は姿勢が目的ではなく、あくまで「手段」という位置付けであるべきだと考えています。
スポーツの世界では、「構え」という考え方がありますが、姿勢もそこに含まれる方がいいのかもしれません。
(理学療法における「構え」という言葉の定義とは異なります。ここではあくまで「一般論としての構え」としてのお話です)
一般的な「構え」とは次に動くための前提です。例えば「バッティングの構え」などですね。
必ず次のタイミングで実行する動きが存在し、そのための状態づくりという考え方です。
「良い姿勢・正しい姿勢」がフューチャーされている近年、姿勢と構えが別物のように分離した発想になってしまっています。
それが「姿勢の目的化」につながっているのではないでしょうか。
姿勢も構えも直後にどんな動きをするかによって決定され、それがスムーズに効率的に迅速に、できる限り負荷なく実現されるためにあります。
それが実現出来るかどうかが、良い姿勢・正しい姿勢の指標とすべきではないでしょうか。
姿勢は目的ではなく、手段。
だからその直後にどのように動けるのかが良し悪しの判断規準の一つとなる。
僕が2015年末からフィジカルコーチを務めるブラインドサッカー日本代表の選手たち。
目が見えない選手は視覚的に良い姿勢を作ることができません。
では誰かに良い姿勢だと言ってもらうしかないのか?
そうでないなら彼らはどのようにして”良い姿勢”を獲得していくべきなのだろうか、という疑問から今回の話に至っています。
僕が一緒にプロ選手の指導に関わらせてもらっている、スポーツジャーナリストの中西哲生さんも、関節をほんの少し曲げておくという表現をもって、”サッカーにおける良い姿勢”を常に選手に要求しています。
理由は「常にあらゆる方向に動ける状態であれ」です。
つまり、その姿勢をとる目的がはっきりしているのです。
また、武士がその鍛錬の一つとして、周りの人間が全員刺客だと思って過ごす、というものもあります。いつでも瞬時に動き出せるようにすることを常とするためのものです。
理学療法や標準的なスポーツトレーニングには、今回のような観点はまだあまりないかもしれませんが、止まった状態から次に動くまでのスムーズさや効率性を「良い姿勢・正しい姿勢」の指標の一つにすることは、スポーツの世界では非常に重要な視点になると考えます。
JARTA
中野 崇