かなしい、まいにちが、つづいています。
 まえとおなじように、わらいづらくなったり、
 あしたがふあんで、よるもねむれなかったり、
 たいせつなひとのいのちが、なくなってしまったり、
 いろいろな、くるしみ、かなしみ、が、
 この3がつは、いっぱいいっぱいになっています。

 しょうがくせいが、ぼきんかつどうをよびかけていました。
 げいのうじんが、たくさんのおかねを、きふしていました。
 うたをうたうひとがいて、さっかぁするひとがいて、
 ことばをかくひとがいて、いろいろなひとがいます。

 そのなかで、あちらがただしい、こちらがただしい、
 いろいろなこえが、いろいろなかくどからきこえます。
 
 たぶん、それはもう、ほんとうに、ただしい。
 ぜんぶ、ただしい。だからこそ、ややこしい。

 じぶんのひがいなんてたいしたことない、
 とおもって、だいじょうぶなふりしてるひとがいるかもしれない。

 たすけようとしてさしだした、じぶんのてが、
 たいせつなひとをきずつけてしまったとかなしむひともいるかもしれない。

 できることがなにもないと、じぶんのむりょくかんを
 ひとりであじわっているひともいるかもしれない。

 もちろん、きじょうに、ふるまって、あくてぃぶに、
 うごいたり、ひっぱったり、はつげんしたり、しているひとも、いるかもしれ
 ない。

 ないていてもいい、わらっていてもいい、
 おこっていてもいい、いつもどおりでもいい。

 ここにいるぼくたちが
 それぞれを、それぞれなりに、
 てらしていけばいいかなとおもいます。

 そのなかで、かんがえたことがあります。
 「一語一絵」という、きかくです。かんたん。

 ぼくがかいた一語に、いらすとでも、しゃしんでも、
 なんでもいいので、くっつけてさくひんにする。

 あそびであれ、しんけんであれ、
 どんなかたちでも、かまわないとおもっています。
 
 それをぶろぐでかいて、みてもらう。
 つくるじぶんたちが、かいているうちにげんきになる。
 それをみてるひともすこしずつげんきになる。

 ひさいされているかたを
 ちょくせつしえんできるようなつよさはないけれど
 せめて、いまじぶんたちをじぶんたちでてらせるくらいの
 ちいさなたいようを、ぼくたちはこころにかかげていたい。

 せかいじゅうをてらせなくても
 とおいひさいちまではとどかなくても
 せめて、ほんとうにせめて、じぶんじしんに
 できることなら、じぶんのとなりにも
 かすかであれ、ほのかなひかりを、わけあいたいものです。

 一語一絵→(一語一絵)

 読みにくかったら、ほんとうにもうしわけないです。
 ただ、すこしでも、こころがやわらかくなってもらえたら。