やりたいこと、できていませんか?
やりたいことができないのはなぜですか?
時間の使い方が下手だからですか?
切り替えがうまくいかないからですか?
疲れているからですか?
自分が怠け者だからですか?
ついつい眠気に負けるからですか?
モチベーションが上がらないからですか?
やる気が出ないからですか?
自分の自制心が足りないからですか?
結局、言ってしまえば、自分のせいですか?
うまく家事を回せなかったり、
やるべきことがこなせなかったり、
部屋が片付いていなかったり、
掃除ができていなかったり、
寝かしつけで一緒に寝てしまったり、
早起きができなかったり。
私は、ずーっとやりたいと思っていることがあります。
こうなりたいと思っている、願望を、15~20年近く持っています(しぶといバカだな…
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妊娠前はそのためにやるべきこと、やろうと思うことを、とりあえずはできていました。
でも頭にあるイメージの3分の1くらい。これでも十分歯がゆかったです。
出産後、やりたいことができなくなる時期があることは覚悟していました。
それがいつまでか、なんてことは考えていなかったのですが。
それでももちろん、そんな余裕がなくなることは想像していました。
そして、それまでも頭のイメージの3分の1しかできなかった自分に、育児をしながらイメージ通りに動けるようになることが難しいだろうとも思ってました。
ふたを空けてみると、妊娠期間中を通して、丸5年、やりたいと思っていることをやれていない時間が続いています。
かろうじて、半年くらい前から一歩目は出せたかな、というくらいです。
なんというか、やりたいという気持ちが大きすぎて、息が詰まるのです。
それなのに目に映るすべて(家事、育児、片づけなど生活そのもの)に、自分の力が足りなくて、やりたいことをやるところまでたどり着けない。
時間が無くなることは、想像してました。
でもまあ、退職するまでは、仕事をしながらも3分の1くらいはやれていたわけです。
ならば、専業主婦は仕事をするよりも自由な時間はあるし、家にもいるし、3分の2くらいはできて当然じゃないか、と思ってました。
何せ、同じことをしている友人は、ハードな仕事をしながら私が頭で想像している分量を成し遂げていたのです。
人ができているのに、自分ができていないのは、怠慢でしかない
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そう思っていました。友人たちにそう思われるのも、嫌でした。
そして出産して周りを見てみたら、数少ないのかもしれませんが、育児をしながらそれをしている人も目に入ってきます。
どうして私にはできないの
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私が時間管理や手帳術に没頭したのは、とにかく自分でこの時間を作り出す方法が知りたかったからです。
時間を作らないことには、夢には一歩も近づけなかったからです。
そしてそのためには、目の前でネックになっている家事や育児をもっとどうにかしたかったからです。
それだけでクタクタになっていては、何にもできないと思っていたからです。
(こう書くと自己都合ばっかりだな
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とにかく快適な生活を、今より少ない労力で送りたかったし、自分がやりたいことをやることで家族の生活の質を落としたくない、と言うのがありました。
(今も、生活の質を落としたくないというのは大きな壁です)
まあ、裏を返すと、時間を自分の好きに使う事で、他人(家族)に責められたくない、と言う気持ちの裏返しでもあるわけですが。
なんといっても家事と育児以外をしていない普通の専業主婦の仕事は、家のことを回すことだと自分でも思っているし、思われているわけです。
まあ、この自分の想いそのものが、制限なのですよね。
(この制限を外すワークも、かなりやってきたはずなのに、いまだにこれだけガチガチか
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さて、ようやく本題です
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昨日、Twitterでつぶやいていて、ふと気づきました。
このパターン、実は気づいたことはこちらの記事と同じです。
【手帳雑感】気付いた!
最近、色んなブログを読んだり、人と話をしていたりして、思っていたことがありました。
何が問題でやれないのかは、何となく見えてきていました。
単純に、イメージのレベルが、高すぎるのです。
理想が高い。目標が高い。そもそも、OKとできるラインが、高すぎる。
私の日常には、合っていないサイズです。
それは多分、妊娠出産がなくても、頭のイメージの3分の1しかできていなかったころから、そうだったのだと思います。
思い入れがある分、理想が高い。
掃除や片付けはだいぶ、自分のできる範囲を見極めて、「とりあえずこれくらいできたら
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だけど、手が全く付けられない分だけ、理想だけは変えられなくて、手が届かない所にあるわけです。
私は料理は得意でも不得意でもないですが、それでも、
料理初心者の時に、五つ星のレストランのシェフのような料理を作りたい
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と思っているようなもんです
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(書いていて、いかに自分の理想が高すぎたのか、痛感しました…バカすぎる~
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だから、そのイメージを、私のサイズに合わせてあげられたら。
やりたいこと、やれるはずなんだけどな。
やれないんじゃなくて、やれるはず、とぼんやり思えるようになってました。
まあ、だけど「どうやったらやれる?」まではわかっていないのですが。
なので、つぶやきつつ、考えていたわけです。
やりたいこと、やりたいな~。楽しいことだったはずだし。
やれるはずなんだけどな。
↓
そもそもやろうとしていることと、やりたいことが根本的に違うなあ。
↓
例えるなら、レシピ本に従って料理を一品作るのと、新しい料理を一から考えて試してレシピを完成させるくらいの難易度の差じゃない?
↓
ということは、レシピ本を見て料理を作るくらいのイメージで、レシピを完成させようとしていたら、できるはずがない! 踏み出せるわけないよなあ。
↓
それを昔は、時間と集中力と若さ(?)の力技で何とかしてたけど、もう無理ってことだな…。
↓
年とったことと、環境が変わったことを認める必要があるのかも…。
↓
今の年齢と今の環境で、今できることをすればいいんだよね。
↓
と言うか、今できることをすることしかできないんだよなあ。
↓
んんんん?
今できることしか、できないんだよ
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ということで、わかりました。(当然すぎる結論です…)
ということはですよ
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私も、あなたも、何かを「できない」と悩んでいるときって、単に「今できないこと」をやろうとしてるってことなんですよ。
ただ、それだけ
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自分が怠けているとか、時間を作れていないとか、隙間時間を活用できていないとか、家事がうまくできていないとか、人はできているとか、そういう理由ではなくて。
できないことが、できるわけがない。
少なくとも「今の自分」には、「頭のイメージ通りに」は、「何か」ができない。
「今の自分」の状況と、頭で考えている「できている状況」では、何かが異なっている。
それは、私の場合は、やり遂げるまでの流れとか、ゴールのイメージとか、そういうものでした。
もちろん、理想は大事です。それはそう思います。私、理想とかに向かって努力する、と言うのが好きなのです。
だけど、その「理想」は「今のゴール」にはなりえないんだと気付きました。
私が持つその「理想」、それは、「10年後」「20年後」、もしかしたら「死ぬとき」なのか、そのくらいの時間をかけて到達するべきレベルの「理想」です。
(5年も何にもしてない人間が、一回目のチャレンジで到達できるはずもない
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人によって「今」にあっていないことは、やり方や、目標やゴールや状況などいろんなことがあると思います。
ただ、それは別に、その「やり方」や「目標」や「ゴール」や「状況」が「今と」違うからやれないのであって、あなたのせいではないのです。
私のせいでもなかったのです。
あなたの人間性に問題があるからやれない、というわけではないのです。
ただ、何かのピースがうまくはまっていないのです。
それを見つける必要はあるけれど、それが見つかっていないだけで、あなたのせいではないのです。
ジグソーパズルが得意な人だって、苦手な人だっていていいわけです。
時間のかかり方は、人それぞれだったりするんです。
それはもう、しょーがない。
だって、あなたはあなた以外になれないんですからね
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なんというか、気づいてしまえば当然のことなのですが、一気に脱力してしまいました
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書いていても当然すぎて伝わらない気がします。
私も、多分同じことは何度も目にしてきたと思うのです。
(そして、片づけでは、何度も試行錯誤して理解していたはずだったのに~
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できないことは、(あなたのせいではなく)今できないこと。
やろうと思うのにできないことは、できないことをやろうとしているだけのこと。
ようやく、一番の難関問題で、理解できました
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