哲学と思想の違い | おもに読書記録

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療養日記。

先日、哲学の教育を専門的に受けている、大学の後輩に、メッセージを送った。それが、さっき返ってきた。


ぼくが書いたのは、「鷲田清一、内田樹は、きみにとってどのような位置づけなのか」という質問だった。答えは、鷲田はわからないが、内田は、哲学ではなく、思想の畑の人なので、読む必要はないと考える、というものだった。また、永井均のような危険な人の本を読むほうが、充実感を得られる、とのことだった。


ぼくが疑問に思ったのは、そもそも哲学と思想とは、どのように違うのか、ということ。ぼくはその二つを、ごっちゃに考えている。すごく初歩的なことだけど、そのことについて、また聞いてみようと思う。


内田は、確かに本をたくさん書いていて、それも純粋に哲学的な本ではなくて、通俗的な本もたくさん書いている。ぼくも内田の本は三冊くらいしか読んでいないので、確かなことは言えないけど、内田はとても常識的であるというふうには言えると思う。


通俗的と書いたけど、ラカンとかレヴィナスを解説していたりするので、それなりに難解ではある。ぼくにとっては、それなりに面白い。


たぶん、その後輩が求めているものと、ぼくが求めているものとは、違うのだと思う。ぼくはあくまでも、常識的な世界に留まる必要があると考えているし。留まるというか、そこを目指す必要があると感じている。