そういうわけで筆がノってる、ひろむです。
『ツイてるねノってるね』です。
この年の瀬に久しぶりにスイッチが入りました。

なんと下書きが、あと2つもある!
まくらの話が追いつかなくて、困っているくらいです。
いつもは本題のネタがなくて困っているというのにw
しかも半年くらい寝かせていた記事も書けそうな予感がする。

さて、ふと新聞の折り込みチラシが目について思ったのですけど、クリスマス時期のチラシに興味がなくなったのって、いつからだろう?と。
子供の頃は、ばっちりクリスマス商戦に乗っかった、おもちゃの広告に逐一目を通すのが楽しみで、心躍らせながら食い入るように見つめていたんですけどね。
最近おもちゃ屋の広告を見ないですよね?
というか、根本的におもちゃ屋自体がない気がする(;´Д`)
それはともかく最近では折り込みチラシに目もくれない。
そもそもワクワクする感じさえない。

むしろ気になるのは、クリスマス商戦以前のブラックフライデーのAmazonのセールくらい。
しかもAmazonだから、当然折り込みチラシなんてないし。
他人様にプレゼントをするのが好きな僕にとって、クリスマスというのは、この上ないイベントのはずなのに、関わりもなければ、関心もない。

確か20代くらいまではクリスマスというのも、それなりに心躍るイベントであったはずなんですけどね。
「そんなイベントもあったね」と、村上春樹の小説の登場人物ばりの興味の無さ。
なんならパスタを茹でなから、つぶやいてしまうほどです。
少し前なら「リア充爆発しろ」と、のたまっていたものですが、そんなことすら思わなくなりました。
興味も関心も0。

それに気づいたのは去年のことなんですけど、古い友達と話していて「クリスマスはビッグイベントである」と言われて、大層驚きまして。
「クリスマス程度で、どうこう言う歳でもあるまいに」と思っていたので。
僕的にはクリスマスより、大晦日の方がビッグイベント。
友達とワイワイガヤガヤしながら、いかに年を越すか?という腐れ大学生レベルの事柄に興味が行っていたので。
気心の知れたメンバーと年越ししたら楽しいじゃない、と。

クリスマスに関心が無くなったのは、プレゼントを贈る側でも、もらう側でも無くなったのが大きいのかもしれません。
自分の家族を持つなり、恋人がいるなりするのなら、なにを贈るか、どう過ごすかで頭を使うと思うんですけど、特にそういう相手もいないので。
結果、イベント事としてのクリスマスから、離れてしまったのが大きいように思います。

そして、つらつらと書いていて気がついたのは、クリスマスに限らず、カレンダーに記載されてるイベントと無縁。
興味も関心も0であることに気がつきました。
盆暮れ正月とか、長期の休みが取れることくらいにしか関心がない。
やっぱり、どれも基本、主体的に関わらないのが原因なんだと思います。
お祭り野郎のDNAが騒がないんですよ。

例えば節分に豆をまくわけではなく、ハロウィンで仮装するわけでもない。
それに合わせて、何かのイベントが具体的に設定されていれば、そこに関心が行くんですけどね。
どちらかといえば仕事の感覚に近い。
この時にミニ四ファイターやらないと、とか。
あとは、これを理由に酒が飲めるという『日本全国酒飲み音頭』みたいな関心の持ち方w

記事を書きながら、カレンダーを眺めていたんですけど、目に付くのは友達の誕生日ばかり。
この時期は、このイベントというより、この頃はこの人の誕生日なんだよなー、って。
友達の誕生日は主体的に関わっていきますからね。
むしろイベントごとが友達の誕生日と紐づける目安としての意味くらいしか持っていない。
なにもなく平坦よりは良いことなのかもしれません。

別にイベントごとに心躍らせるのが、良いことなわけでもないですからね。
ただクリスマスが近くなると、折り込みチラシに心躍らせていた、あの感覚が遠い過去になってしまったのは、ちと寂しいなと思います。
この時期に心躍る広告と言えば『日経大人のOFF』の“絶対に見逃せない美術展”特集くらいになっちゃいましたからね。
2024年は『デ・キリコ展』が楽しみです!
それと本阿弥光悦展の「始めようか、天才観測」というコピーが秀逸だと思いました。
なにかそういうことじゃない気がするw