ハンコ社会の日本 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

甲州の信玄と越後の謙信を描いた井上靖の小説、 「風林火山」 は戦国時代の戦いを集約した凄まじさが有ります。その前哨戦である晴信(後の信玄)と村上軍の闘いは圧巻です。


越後の景虎(後の謙信)の動静を交え、戸石城の闘いを中心に展開されました。晴信は上田原の闘いにつぐ2度目の痛い敗戦でした。俗に「戸石崩れ」と言われています。


この小説はNHKの2007年度の大河ドラマにも成りました。そのドラマに信玄の花押(かおう)が出て来ましたが、花押とは一筆書きのようで、何んともその姿が美しいものです。


日本独特のサインである花押は、欧米のサインに相当する性格のものです。共に文書等が、本人の書いた本物である事を証明するものです。


日本では、平安時代中ごろから花押を重要な文面末に、本物(本人)である証拠に書く習慣がありました。


武将の花押

日本の武将の花押


現在では、余程の事でないと花押は使用されませんが、よく似たものに芸能人のサインがその名残を残しているように思います。


欧米では、大切な書類とか手形にはサインが使用されるのが普通です。ところが日本では、銀行口座開設、役所の各種届、出生届、結婚届等々には、全てハンコが無くては何も出来ません。


日本では、花押の習慣が有りましたから、サインでも良さそうなものですが、日本ではサインは定着しませんでした。


その理由は、日本の花押は、容易に他人に真似られ無い目的で、複雑な書き順とか姿形に成っていたからのようです。花押は芸術的な香りさえ有りました。


たとえ保管とか持ち歩くに不便でも、花押に比べたらハンコの方が、余程扱い易かったのでしょう。ここに「ハンコ社会日本」が確立したようです。



ハートアメーバううっ
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