戦国の梟雄「松永久秀」 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

私が大阪府と奈良県の県境にある生駒山系に出掛けてから数年が経過しました。その地には松永久秀の居城、「信貴山城」が在りました。


この城では、1577年代に豊臣秀吉と織田信忠の連合軍4万と死闘を繰り広げられました。現在では生駒山系の信貴山(標高437M)の山頂に、一本の標識と観光看板が建つのみです




この「信貴山城」の近くに、平安時代の「信貴山縁起」と言う国宝の絵巻物を収める[朝護孫子寺](ちょうごそんしじ)が有ります。絵巻物の現本は東京上野の国立博物館に収められています。この寺の絵巻物は写本ですが幅30センチほどで長さが、何と数メートル程も有ります。


この朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は信貴山城の枝城でした。松永弾正久秀(1510~1577)は悪逆非道の梟雄が定説です。久秀が東大寺大仏殿を焼き払い、主人の三好長慶を毒殺。信長と一旦は同盟を結び越前対策などで協力しますが、信長が上杉謙信の上洛の機運ありと知るや、信長不利と見て躊躇うことなく、信長に背きます。


この様な非道悪逆の久秀ですが、かっての主人、三好長慶の祐筆を勤めていました。久秀は城郭に天守閣を始めて考案して、信貴山城にも構築しました。多聞櫓も久秀の考案と言います。



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