年中、観光客が絶えないほど知名度の高い寺院は言うに及ばず、寺社仏閣は、その地域の文化とか知識の中心でした。
その寺院の存在を左右したのが、その地域の有力者とか権力者のご都合主義でした。ある時は、厚遇されるかと思うと、排斥されたりしました。
神奈川県横浜市栄区字小菅谷に長光寺と称される浄土真宗のお寺が有ります。この寺の詳細に付いては、その土地のよほどの古老でなければ知られていません。
私は、歴史上の興味から、この寺を訪ね、住職から様々な興味ある歴史を聞いてきました。
伊豆の豪族伊藤祐親が鎌倉時代に創建したものとされています。宗派は、創建当時は、天台宗でしたが、この地に訪れた親鸞聖人に厚く帰依して、浄土真宗に宗旨替えをしました。
この宗旨替えが、小田原の北条氏の怒りを買うことになり、北条氏から酷い弾圧を受けることになりました。
そこで、武州(東京とか埼玉方面)に避難をしたようです。その後、豊臣秀吉の北条征伐により、やっとこの地に戻ることが出来ました。歴史の荒波に翻弄された苦しい時期が有ったようです。
徳川の時代には、三葉葵の紋章を授けられるほどの有力な寺院になっています。
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