寝て起きても、全然眠気が取れてないどころか、「なんか力仕事でもしてきたのか⁉︎」と思うようなものすんごい眠気❗️
私だけかと思ったら、夫そうみたいなので、
季節的なものなのかなぁ…?
皆さんはいかがですか?
さて、今日の本題。
1か月ほど前から続いている大分を含む現在進行形の一連のエネルギーのお仕事の流れは、
数年前から続いている陰陽の統合とか、
男性性女性性の統合とか、
そのあたりの流れを汲んでいるのだなと感じていました。
その陰陽の統合について
今日はちょっと書いてみたいと思います。
あくまでも私の理解と最近の気づきに基づいた現時点での見解なので、
これがすべて合っているというわけではないとご理解くださいね。
統合、統合というけれど、
「統合」というのを間違って理解というか
イメージしている人が多いのではないかなと感じます。
統合というのは混ざり合うことではない。
光と闇は混ざり合うことはない。
太陰大極図でも、陽の中に陰、陰の中に陽の丸い点があるものの、
二つが混じりあっているわけではないではないですか?
陽の中にも陰が、陰の中にも陽があり、
100%陽とか100%陰とかはない。
どちらの中にもどちらの要素もあるけれど、
この二つが混じりあっているわけではない。
混じりあっていたら、グルグル渦巻の絵になるか、
最終的には灰色の円になっちゃうわけです。
でも、そうではない。
光と闇は表裏一体。
オセロのこまのような感じ。
そう、統合というより、
一体と言った方がいいのかも。
闇というと悪いことのように感じてしまうかもしれないけれど、
夜の闇があるから昼の光もあるわけで、
善悪ではない。
でも昼の光に夜の闇はまざらない。
闇に光を入れれば光になるだけで、
光に闇を入れれば闇になるだけ。
2極の世界では、お互いがお互いの存在を支えているのだけれど、
それが混ざり合うことはない。
でなければ、2極を保てないから。
この2極の世界こそが3次元を3次元たらしめていたのではないかな?
そして…
外側の世界は二極の世界だけれど、
自分の内側はそうではない。
だから自分の内側では、
闇と光を統合することができる。
変えられるのは自分だけというのは
そういうことなのだと思う。
ゆえに闇を外にみたら、
その外にみる闇に反応するのではなく、
自分の内側にある闇(太陰大極図でいう小さな丸の部分)を見て、
その存在を認める。
ただ、認める。
そして隣の闇に反応した自分の中にある闇を光に統合していく。
間違っても外にある闇と統合しようなどとしないように。
自分が放つ光が多くなれば、
隣の闇も自分の中の光に反応して、
光を増やしていくかもしれない。
でも、隣の闇を自分が光に変えようなどとするのはお門違い。
人にはそれぞれの宇宙があり、
他人の宇宙の良しあしを判断すれば、
自分の宇宙の闇が広がるだけなのだ。
私にこのことを気づかせてくれたのは、
ある知人だった。
その方は私から見ると
とても奇妙な宇宙に住んでいるように見えた。
そして自分の中にある闇を持てあますと、
その闇を光だと思いたくて、
それを他人(外の世界)にも認めてほしくて、
自分以外の宇宙を自分の宇宙に取り込もうとする。
私はまだ知人がそんなゲームをしていることにあきれつつも、最初それに腹が立った。
そしてその腹が立った自分の中にある闇をみつめた。
そうしたらその闇に働きかけることは何もなく、
意識が2極の世界を超えたところに出ると、
すべてはそのままで善悪の判断をこえたところに完璧なまでに存在を許されているのだと思った。
私の中の闇は光に統合されたようだった。
自分の正義を他人に振りかざすことは、
自分の中の闇を拡大させることに他ならない。
光と闇の統合とは、
自分の宇宙でのみ可能なことのようだ。
そして、自分の宇宙の光と闇の配分が変わることでのみ、
その在り方が他人の宇宙にも影響を与えうるのだと思う。
だから外の宇宙にある闇を無理に見ようとする必要はない。
そんなことをしたら闇に取り込まれるのがおちだ。
見据える必要があるのは、自分の中の闇だけ。
その先に真の光と闇の統合がある。
なんだか伝わりにくい、誤解されやすいトピックなので書くのをためらいましたが、
前にも書いたように、今年に入ってから
何かが原因でそういった闇のエネルギーの影響がが高まっていて、闇のエネルギーに惑わされている人が増えたように感じるので、思うままに書いてみました。
意味不明とおもったら、スルーしてください