(第1回はこちら

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彼の上京後、最初の3ヶ月ぐらいは暇だったけど


仕事は選ばない。

価格もお客さんの言い値。


という方針が功を奏したのか

半年後には

捌き切れないぐらいの仕事量になっていった。


ただ、仕事量は多いけど

如何せん単価が安い。

だから毎日

朝から晩まで2人で狂ったように働いてた。


今は、仕事を選べる立場じゃないけど

近い将来

選べる立場になろうなって言いながら。。


今でも忘れられない

思い出がある。


仕事がひと段落つく夜中。


毎晩、飽きもせず

2人で、オフィスの近くにあった公園に行き

缶コーヒー片手に

将来、会社が大きくなったら

こんなことしたいな

あんなことしたいなって夢ばっかり語ってた。


俺達以上に働いてる奴なんておらんで。

これだけやって

成功しないなんてありえんやろ。


って言いながら。


目先を、生き延びるのに必死だったけど

不平不満なんて何ひとつない。

自分達の人生すべて、ブレインという会社に賭けてた。

命懸けといっても過言じゃないぐらい。


今こう思う。


この先の、人生。

あれほど何かひとつのことに対して

夢中になり

すべてを賭けて生きれる時間って、そうそう何度も

ないんじゃないかって。


とにかく

「生きてる感」がすごかった。

いや、「生き延びている感」っていったほうが正確かも。


少なくとも自分にとっては

この感覚を知っている人生と、知らない人生とでは

まったく価値が違う。


そして、この時間を共有できたからこそ

あいつとの絆が

出来たのかなって思う。


今さらながら。。。



話は戻り

毎月の資金繰りは、相変わらず余裕なかったけど

売上高は、倍々に増えていった。

そして

スタッフ数も増え

給料も増え

彼が上京してきてからの2年間、2人でずっと目標に

してきた渋谷区道玄坂に本社移転。


やっと、スタートラインに立てた。

ここからが本当の勝負や。


って喜んでた2005年4月。


事件が起きた。


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