何時迄も変わらないで欲しいけど致し方無い

 

 

 

毎年の事、お盆前には田舎に帰省します。先日の祝日はそんな恒例の墓参り兼ねて帰省をしました。

 

そこは滋賀県近江八幡市。

 

メインのJR駅前は、昔とは考えられない程の都会化を見ますが、少し離れたらもうそこはハッキリ言って昔ながらの、「田舎の原風景」。

 

物心ついた頃からは、この田舎も少しずつ都会化の波が押し寄せて来ていますが、それでもまだまだ里の周辺は何ら変わらない風景が続きます。

 

 

過去にも書きましたが、上写真は私が子供の頃に、良く従兄弟達とバケツを片手に、シジミを捕りに行った小川のあったエリア。

 

今では舗装道も出来、車が優に田園風景の中を走り抜けます。広い通りでは無いから、近くの農家の車が時折通るくらいですが、その昔は畦道しかありませんでした。

 

上写真正面に見える山が、信長で有名な「安土城跡」のある安土山。目の前に広がるのは広大な「枝豆」(エンドウ)畑。昔は水田がずっと広がっていたのに、今ではこんな風景。

 

 

そりゃぁ~水を引く小川の必要が無くなりましたねぇ~。水田がずっと広がっていた昔の風景の方が・・・・やっぱり好きだなぁ~~。

 

祖父と祖母が健在だった頃、母屋の西側には防風竹林があって、それに囲まれる様に小さな「隠居」がありました。

 

じいちゃん・ばあちゃんには私は可愛がって貰った方だったし、最後の最後まで覚えています。そんな風景をふと思い出す様な納屋と化した隠居の隅。

 

 

今年もあの頃と変わらずに、タマネギが干して吊してありました。勿論自家栽培の物です。堀上げ直ぐに食べたタマネギの美味しさは忘れられません。

 

勿論生でスライスにして食べたり、天ぷらは実に甘くて美味しかった。

 

いつも通りの墓参を皆で済ました後は母屋に戻り、いつも通り皆で鍋を囲んで宴会。

 

必ずと言って良い程「すき焼き」をするのですが、今では普通に肉(近江牛)を入れて作るのですが、当時はおもてなし料理と言う事で、自家で飼っていた鶏を一匹裁き、鶏肉の「すき焼き」でした。そして同じく池で飼っていた「鯉」や「ニゴロ鮒」の刺身に子をまぶした物。そして近くで採ってきた「モロコ」や「アユ」の塩焼き。

 

少しずつ歴史は変わって来ていますし、代も変わってくる。でもあの頃の懐かしき思い出、子供心に見た風景は、きっと死ぬまで忘れない事だろうなぁ~~。

 

 

飲み過ぎてへべれけになる前に、少し街並みも観てきました。集落のある内部は、家の構造こそ昔とは変わりましたが、集落の雰囲気は何ら変わっていません。

 

「あ、あそこは○○さん。あの人はどうされたのだろう?」とか、「会所」の跡地はどうなっているのだろう?とか・・・・色々と思いあぐねる。

 

炎天下だったので遠くまでは行きませんでしたが、こうして見て回ると懐かしい昔の風景が蘇ります。あの頃と違うのは風景だけでは無いですね、本当に。

 

何より気温~~。京都の今の家よりは、気温は低い事も事実で、この日は最高気温が33℃でした。そして風もある。またあの頃は真夏の暑い時期でも、恐らくは30℃越え位だったのでは無いかと思います。

 

まあ今が暑すぎるのですがね。

 

 

毎年一回の墓参りと里帰り。父や父の兄妹ももう随分少なくなりました。これからもこうして親族が集まる機会は、ずっと続けて行きたいと思います。疎遠になるのは・・・・少々早すぎますからね~~。

 

 

 

 

 

 

 

リンゴりんごいちごいちご

 

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