しっかり食欲がある以上大丈夫でしょう

 

 

 

先日の母の通院介助で、総合病院に連れて行った帰り道の事~。

 

いつもの如く診察終了後、院外処方箋を持って近隣の薬局へ、薬の処方をしてもらいに行きました。

 

本当ならそこで帰宅~~と言う所だったのですが、車の中で急に・・・・。

 

「お腹が空いたなぁ~、お昼ご飯をどこかで食べて帰ろう~」と言い出しました。

 

それもそのはず、朝一番に病院に向かったまま、帰宅前にはもう午後1時を回っていましたから、流石にちょっと空腹になったのだろうと察知しました。

 

元々糖尿病を持っていますから、空腹時間が長期にわたると、低血糖発作を起こす可能性があるから、本人がそう言い出した時は、少し早い目に食べ物を摂取してもらわないと危険な場合があるのです。

 

 

で、何が食べたいかと聞くと、即答で「チャンポン麺」だって・・・・。

 

チャンポン専門のお店もあるのですが、近くにある車を駐めやすい、広い駐車場のある「王将」(京都王将)で良いか訪ねると、二つ返事(笑)。餃子もあるからネ。

 

と言う事で、ランチタイムで混み合う店内で待つ事10分、ようやく席に座られて注文。

 

 

私は飯類も麺類も食べないので、野菜や卵などを~~。

 

残念ながら車で来ているので、アルコ-ルはダメ。ビ-ルが思いっきり飲みたかったのですが、ガマンガマン。直接車椅子で来ている時なら飲むんだけどなぁ~(笑)。

 

好物の、野菜たっぷりチャンポン麺を注文・・・・ご満悦の母~~。

 

 

まあねぇ~もう母も持病は幾つもあるけれど、まだ元気で居てくれるんだから、その間、一緒にいられる時はこうして、時間を共有してあげる事も大事なのかなぁ~~、そんな事を思います。

 

一人で家から出る事もままならない状態ですから、時には外に出かける事も気晴らしで良いかなと思います。また本当は食べ物にも注意してやらないといけないし、ましてや高カロリ-食は避けなければいけないんだけど、まあ少しくらいは良いでしょう~~。

 

この大きな鉢の麺・・・・完食しています~~。これだけしっかり食べられていれば大丈夫!!。

 

あっぱれなり。

 

 

 

 

 

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日にち感覚のズレ

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特に大きな問題は無い所なのですがぁ~~

 

 

 

つい昨年夏から、給与振り込みの日が変更になりました。

 

もう半年も前の事なのに、時々忘れて、昔の日程の感覚で銀行に行ってしまう。

 

年末の12月、色々と振込をしなくてはいけない事案があって、「あ、そうだ給料日になったら早々に振込をしておこう~」と思い、20日の仕事上がりで早速銀行に行き、関係先に振込を済ませました。

 

所が、通帳を見て、「あ、またやってしまった!!~」。

 

そこまでしないと思い出せない~ってどうかしています(笑)。

 

日頃は給料振込の日程なんて気にする事が無いので、半年経った今でも未だ前の振込日の感覚で頭の中はあるのです。

 

そう、以前は20日振込だったのですが、今は25日。

 

なのにまだこうして時々、20日と勘違いして行動してしまう。

 

結局、通帳残高がマイナスになる事は無く、良かったのですが、焦って振り込まなくても良い内容だったので、ちょっとしくじった感があります。

 

 

我が社が何故20日から25日に変更になったか定かでは無い(正式な情報は聞いていない)のですが、恐らくは世間一般の企業や公官庁に合わせたと言う事でしょうか?。

 

そこでちょっと調べてみると、こんな状況でした。

 

 

多くの企業で「五・十日(ごとおび)」にあたる、5日、10日、15日、20日、25日、30日もしくは1日や月末最終日を給料日にしている様です。その中でも給料日として多いのは25日と言う事です。

 

また派遣社員の場合の給料日は25日が最も多く、次に15日が多い、又アルバイトの給料日は月払いの場合、25日である事が多い・・・・との事です。

 

何故かと言うと、今の様に自動的にシステムで給与計算が出来無かった時代、給与は経理担当者が、手計算で算出していました。そうなると経理部が給与計算に取りかかれるのが月初めの忙しい時期を避けると、10日以降になってしまっていたのが原因の様です。


そのため実際に給与が確定し、支払いを行えるのが25日頃になるという背景があったからでした。特に古くからある企業ではこの慣習が残り、今も給料日を25日している企業が多いと言う統計が出ています。

 


さて因みに、その日の振込時間ですが、銀行の窓口業務以前にATMが稼働している場合であれば、給料日の午前9時までに、給料が振り込まれていると言う事になります。

 


ところで、給与計算の元になる締め日は、多くの企業の場合、正社員・派遣社員・アルバイトともに、月末または10日が多いと言う事ですが、我が社はこの点は変わっていて、ちょっと違います。

 

他社は判りませんが、固定給与部分は月末までの先取りであり、変動給与部分は前月の月末までの締め切りと言う事にしているのです。

 

要するに、基本給や扶養手当等の固定給与部分は、給与振り込みの月の月末までを先払いとした25日に支払い、残務手当や交替勤務手当等の変動給与部分は、その前月の月末までを計算し、次の月の25日に支払う後払い形式なのです。

 

だから極端な話、25日新入社の社員でも、その月の月末までの給与(この場合は日割り計算)が、入社当日に振り込まれる・・・・と言う事になるのです。

 

 

 

まあ何れにしても、25日の給与支払日までが、僅か5日伸びただけなのですが、給与振り込み日が来るのが実に遠くなった(遅くなった)様な感覚に陥ります。

 

クレジットカ-ドなどの支払は多くが月末です。それには間に合う様になっているので助かりますが・・・・。

 

 

しかし未だに、日にち感覚のズレが・・・・私の中に・・・・あります(笑)。

 

 

 

 

 

 

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行基菩薩の開山による真言宗豊山派の古刹

 

 

 

今回の歴史ロマンは、栃木県芳賀郡益子町にある、獨鈷山・普門院「西明寺」です。

 

この寺院は、公共交通機関で行くのが難しい寺院で、最寄り駅から歩くと1時間以上掛かるという、やや訪れにくい所にあります。

 

その最寄り駅とは、真岡鐵道線の「益子」駅となります。駅前から県道(主要地方道)41号~県道262号を歩きます。のどかな大羽川のほとりに田園風景の中を歩きますが、途中からは高舘山に登る様に、つづら折りの坂を登らなくてはいけません。

 

途中にこの寺院の関連施設である「普門院診療所(医療機関)」の前を通るのですが、実はこの西明寺の住職は、内科のドクタ-なのです。医療介護施設も備えた寺院で、比較的希な形式の寺院です。

 

 

それらの宗教施設(信徒会館など)や附属医療機関の前を過ぎると、ようやく山門前に続く階段が見える駐車場に着きます(上写真)。

 

階段をゆっくり登ると、下写真右の様な、国指定の重要文化財である「楼門(山門)」が出迎えてくれます。

 

現在の楼門は明応元年(1492)に建立されたもので、阿(あ)と吽(うん)の両仁王様が立っています。

 

 

それではいつもの如く、この寺院の歴史的な所を見てみます。

 

この寺院は新義真言宗豊山派に属する寺院で、この寺域は益子町のほぼ中央に位置しており、八溝山系の丘陵地に囲まれて、背後には高舘山が控えている、風光明媚な場所にあります。

 

寺伝によると、天平9年(737)に行基菩薩が草創・開山し、紀有麻呂によって2年後の天平11年(739)に堂宇が完成、延暦元年(782)に一山十二坊が整えられたとあります。

 

 

ご本尊は、熊野権現より授かった絵像を模刻した、「十一面観音立像」です。その後の延喜5年(905)に観音堂が修造され、それと同時に観音像も再興されました。

 

しかしその後は、およそ200年の時を経て堂塔も荒廃し、法脈も途絶えていましたが、治承2年(1178)に再び堂宇が再興され、承元3年(1209)には宇都宮影房によって本堂の修復が行われ、建長7年(1255年)に北条時頼が、観音堂と六坊を再興しました。

 

 

上写真が本堂です。本堂内にある厨子は国の重要文化財に指定されています。全唐様式で、一間厨子宝形板葺き構造となっています。三手先組で柱間にも斗拱を備えた詰組構造です。軒回りは二重扇捶であり、茅負の反りが美しいものとなっています。

 

正平6年(1351)に起きた南北朝の争乱において、再び堂塔伽藍が焼失します。以来40年あまり後の応仁元年(1394)に地元、益子勝直により堂宇が再興されるまで、再び荒廃の道を歩みます。

 

文亀元年(1501)年頃に楼門が建ち、天文12年(1543)に三重塔が完成されています。

 

現在の本堂はこの応仁元年(1394)に建立されたもの(後に改修)が残っている訳です。

 

 

上写真は、本堂側から楼門(山門)を見た写真です。

 

さてその後の江戸時代、幕府から四十石の朱印状を受け、元禄15年(1702)に平野亦市の発願により現在残る寺院の核となる本堂の改修が行われたのです。

 

続いて正徳4年(1714)に焔魔堂が建立、またさらにその後の享保7年(1722)には鐘楼が再建され、ほぼ現在の寺観が整ったと記されています。

 

 

上写真は後ろに見える三重塔と鐘楼堂(右の建物)です。

 

また下写真は焔魔堂で、栃木県指定の文化財であり、「笑い閻魔」と言われ、正徳4年(1714)に建立されたものです。閻魔は地獄菩薩の化身とされ、「他人の為なら地獄にでも行く」というお地蔵様は決して怒らず、いつも笑みを浮かべ「笑いの布施」をしていると言います。

 

地蔵菩薩の真言は「あはは」と言う笑い声です。だからその化身の閻魔は笑っている~~と言う事だそうです。

 

 

さてその三重塔ですが、これは国指定の重要文化財。前述の様に天文7年(1538)の建立です。目板打の板屋根銅板葺きとなっています。三層とも柱間が三間となっています。

 

初層は和様、二層は折衷様、三層は唐様の和洋折衷の三層式となっています。この「塔」は仏の知恵・平等を指し示していると言います。他人を自分と差別しない無我の覚悟で人々を苦から楽に導くと言う教えです。

 

下写真の様に、各層の違いがよく判る構造は、とても優美で興味のある造りになっています。

 

 

さて、小高い丘の上にそびえ立つ本堂は、大変静けさに満ちており、この日は偶然観音巡りに見えているシニアの団体がおられ、観光バスでの巡行をされている様でした。

 

その団体が去った後は又もや静けさが戻り、鳥の声だけが時折聞こえる静けさになりました。何とも言えない、凜とした空気が寺域全体に広がる環境です。

 

益子というと焼き物も有名な地域。益子の街にはとても魅力を感じながらも、時間無くあっけなく街を後にしましたが、次回は真岡鐵道をも全線制覇し、ゆっくり街並みも観てみたいと思います。

 

合掌。

 

 

 

獨鈷山・普門院「西明寺」

〒321-4217 栃木県芳賀郡益子町益子4469

TEL 0285-72-7122

 

 

 

 

 

 

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