【画像】髑髏教会をみてみよう
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今回は、チェコの首都・プラハから
東に70キロほどの距離にある町
クトナー・ホラ近郊にあるセドレツ墓地。
全聖人教会地下にある
セドレツ納骨堂=コストニツェ・セドレツ
(チェコ語:Kostnice Sedlec )は
約4万人の人骨を保管しており
その内の約1万人分の人骨を用いて作られた
不気味な装飾で知られています。
1278年、シトー会セドレツ修道院の院長であった
ハインリヒという人物が
エルサレムに使節として派遣され
帰還したハインリヒがゴルゴタの丘の土を
修道院の墓地に播いたという伝承が残されており
そのことから多数の土地から
埋葬希望者が現れるようになったのだそうです。
また14世紀のペスト大流行、15世紀のフス戦争など
度重なる拡大を余儀なくされたセドレツ墓地は
墓地の中央に教会の建設を行い
溢れすぎた埋葬者の一部を地下へ運び込むことを選択。
約4万人の人骨は教会地下へ整然と収められ
やがて木彫家フランティシェク・リントによって
1万人分の人骨で内装の装飾を行うという
常軌を逸した経緯をたどることとなります。
木彫家であったリントに
人骨を用いた内装の製作を依頼したのは
侯爵の家系であったシュヴァルツェンベルク家。
部屋の左側には
名実ともに教会のオーナーであった
シュヴァルツェンベルク家の
人骨で形作られた紋章が掲げられています。
地下堂の中心に吊られた八腕のシャンデリア。
人体の骨格の、ほとんど全ての種類の骨を用いて作られているというシャンデリアの下には
4つの小尖塔があり
それぞれに22のシャレコウベがつけられている。
紋章の右下部にある大鴉の骸骨が
兵士のシャレコウベの左目を突いている飾り。
カラスは16世紀のオスマン帝国との
戦いのシンボルだとか。
階段出口の壁に残されている
人骨で形作られたリントの署名。
こういった“独特な世界観”が好きなウチにとっては
是非一度足を運んでみたい場所です。
ぐっな
今回は、チェコの首都・プラハから
東に70キロほどの距離にある町
クトナー・ホラ近郊にあるセドレツ墓地。
全聖人教会地下にある
セドレツ納骨堂=コストニツェ・セドレツ
(チェコ語:Kostnice Sedlec )は
約4万人の人骨を保管しており
その内の約1万人分の人骨を用いて作られた
不気味な装飾で知られています。
1278年、シトー会セドレツ修道院の院長であった
ハインリヒという人物が
エルサレムに使節として派遣され
帰還したハインリヒがゴルゴタの丘の土を
修道院の墓地に播いたという伝承が残されており
そのことから多数の土地から
埋葬希望者が現れるようになったのだそうです。
また14世紀のペスト大流行、15世紀のフス戦争など
度重なる拡大を余儀なくされたセドレツ墓地は
墓地の中央に教会の建設を行い
溢れすぎた埋葬者の一部を地下へ運び込むことを選択。
約4万人の人骨は教会地下へ整然と収められ
やがて木彫家フランティシェク・リントによって
1万人分の人骨で内装の装飾を行うという
常軌を逸した経緯をたどることとなります。
木彫家であったリントに
人骨を用いた内装の製作を依頼したのは
侯爵の家系であったシュヴァルツェンベルク家。
部屋の左側には
名実ともに教会のオーナーであった
シュヴァルツェンベルク家の
人骨で形作られた紋章が掲げられています。
地下堂の中心に吊られた八腕のシャンデリア。
人体の骨格の、ほとんど全ての種類の骨を用いて作られているというシャンデリアの下には
4つの小尖塔があり
それぞれに22のシャレコウベがつけられている。
紋章の右下部にある大鴉の骸骨が
兵士のシャレコウベの左目を突いている飾り。
カラスは16世紀のオスマン帝国との
戦いのシンボルだとか。
階段出口の壁に残されている
人骨で形作られたリントの署名。
こういった“独特な世界観”が好きなウチにとっては
是非一度足を運んでみたい場所です。
ぐっな