【小泉進次郎】米百俵【麻生太郎】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 小泉進次郎衆議院議員(自民党)が「こども保険」を提唱し、麻生太郎財務大臣も賛意を示している。

 麻生大臣は教育国債に否定的な発言もしている。

 

 

 

「小泉進次郎議員ら「こども保険」創設を提言」 日テレニュース24 2017年3月29日

http://www.news24.jp/articles/2017/03/29/04357674.html

 

「 自民党の小泉進次郎議員らは29日、幼児教育や保育の負担を軽減するための「こども保険」を創設に向けた提言をまとめた。

 小泉議員を中心とした若手議員の会議では「子育て」に社会保険がないことを問題視し、全ての子どもが保育や教育などを受けられるよう、社会全体で支える仕組みとして「こども保険」の創設を提言した。まずは、保険料率を0.1%とし、財源約3400億円を確保するとしている。これにより小学校入学前の子どもの児童手当を月5000円増額することなどを目指している。

 一方、子どもがいない世代にとっては負担が増えるだけという批判に対して、小泉議員はこのように反論している。

 小泉進次郎議員「0.1(%)すらも負担だと思うような社会だったら、いつまでたったって子どもを社会全体で支える日本なんだって事は言えないと思いますね」

 小泉議員らは、次の衆議院選挙の公約に盛り込むよう執行部に求めていく方針。」

 

「こども保険「評価に足る」と麻生財務相、教育国債に否定的」 ロイター2017年3月31日

http://jp.reuters.com/article/aso-wh-idJPKBN17202W

 

「[東京 31日 ロイター] - 麻生太郎財務・金融相は31日の閣議後会見で、自民党の若手議員らが提言した「こども保険」に関し、教育国債よりも「ひとつの考え方としてよほど評価に足る」との認識を示した。教育予算の重要性を指摘する一方、「財源が安定的なものではないと確実なものにならない」とも言及。教育国債は「赤字国債とどこが違うのか」と否定的な見方を示した。」

 

 

 

 「こども保険」は実質的には増税策に過ぎないと、経済通の方々から評判が悪い。

 教育は回収が見込める投資なのだから、無償化・負担軽減を図るのであれば教育国債を積極的に検討すればよいということである。

 

 

 

高橋洋一 「「日本」の解き方 進次郎氏ら提言の「こども保険」、イメージ変え徴収する思惑か 子育ては国債と税が大原則だ」 zakzak2017年4月5日

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170405/dms1704050730003-n1.htm

 

「 自民党の小泉進次郎・農林部会長ら若手議員が、保育や幼児教育無償化のための「こども保険」を創設する提言をまとめたという。

 「保険」という名前が付いているので、まず言葉の定義をはっきりさせよう。保険とは、偶然に発生する事象(保険事故)に備えるために多数の者(保険契約者)が保険料を出し、事象が発生した者(被保険者)に保険金を給付するものだ。

 さて、自民党若手による「こども保険」であるが、子供の保育や教育のためなので、偶発事象(保険事故)は「子供が生まれること」となるだろう。保険契約者は「公的年金の加入者」、つまり20歳から60歳までの現役世代の人で、被保険者は「子育てする人」となる。

 そこで矛盾が生じる。子育てが終わった現役世代の人には、「偶発事象」はまず起こりえない。これらの人は「こども保険」に入るメリットはなく、保険料を取られるだけになってしまう。

 被保険者はこれから子育てをする若い人にならざるを得ないが、それでは保険にならない。仮に、そういう保険を作ると、子供のいない人に大きな保険料負担を強いることになってしまう。

 こうしてみると、子育て支援について、本来は税金を財源にしたいが、「税金」では世間の反発があるので、「保険料」に名前を変えて国民から徴収しようとしていることがバレバレになってしまう。」

 

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170405/dms1704050730003-n2.htm

 

「 「保険」という名称にしたのは、日本人の保険好きを利用したのではないか。これまでの保険会社の営業努力の賜物(たまもの)であるともいえるが、保険契約額対国民所得比をみると、日本は5倍程度であり、先進国の2倍程度と比べるとかなり大きく、保険好きの国民性だといえる。

 日本人の保険好きを示す例が学資保険だ。子供の病気やけがにも給付金が出るという部分が保険で、ほかの商品内容は、ほぼ投資信託だといえる。薄皮の保険で投資信託を包んだようなもので、保険だと言い切るのは、大学で保険数理を勉強した筆者にはやや気が引ける。だが、投資信託というより、保険といった方がイメージが良いのだろう。

 こども保険の場合、税金といわずに、保険と称して国民から徴収しようとする発想が情けない。それなら、堂々と増税をいうなり、既存経費を削減するといったほうがいいのではないか。

 子育てに関連した費用は、「未来への人的投資」として考え、国債を財源とすることが最も適切であろう。この考え方については、「教育国債」として本コラムでも何度か紹介した(※)。

 また、景気が過熱した場合に備えて、税を財源とする方法もありうる。いずれにせよ、子育てに関連した経費については、保険という手法を使うのではなく、国債と税との併用とするのが原則ではないか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)」

 

※ http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170211/dms1702111000004-n1.htm

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/846921287507181568

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/846926105051250690

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/847416983838523392

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/847609309395468289

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/847622033898733568

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/847799801571794944

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/847801019358629888

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/850231049867059200

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/853399388563030016

 

https://twitter.com/smith796000/status/852671261033472001

 

https://twitter.com/smith796000/status/857489862357905408

 

http://ameblo.jp/khensuke/entry-12265761150.html

 

<5月1日追記>

https://twitter.com/shinchanchi/status/858444356474200064

<追記ここまで>

 

<5月3日追記>

https://twitter.com/shinchanchi/status/859641154693980162

<追記ここまで>

 

 

 

 小泉議員からこういう提言が出るのは残念でならない。

 というのは、彼の父親の小泉純一郎元総理大臣は、景気回復のために増税を凍結したのだ(倉山満「増税と政局・暗闘50年史」(イースト・プレス、2014年)268ページ)。

 また、小泉元総理大臣は、教育への投資の重要性を物語る「米百俵」の歴史を演説に盛り込んだことでも知られる。

 小泉議員は、父親のこういうところは受け継いでいないらしい。

 なお、父親と「倹約」を好む傾向を受け継いでいるという見方がある(http://ironna.jp/article/3887?p=3)。

 

 

 

「第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説 平成十三年五月七日」 首相官邸HP

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html

 

「 私は、積極的な「国民との対話」を通じて、国民の協力と支援の下に、新しい社会、新しい未来を創造していく作業に着手します。関係閣僚などが出席するタウンミーティングを、全ての都道府県において半年以内に実施し、また、「小泉内閣メールマガジン」を発刊します。こうした対話を通じ、国民が政策形成に参加する機運を盛り上げていきたいと思います。
 明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。
 新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。
 私は、この内閣において、「聖域なき構造改革」に取り組みます。私は、自らを律し、一身を投げ出し、日本国総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くす覚悟であります。
 議員諸君も、「変革の時代の風」を真摯に受け止め、信頼ある政治活動に、共に邁進しようではありませんか。
 国民並びに議員各位の御理解と御協力を心からお願い申し上げます。 」

 

 

 

 ちなみに、現在の農林水産大臣は山本有二氏であるが、「米百俵」の戯曲を書いたのは山本有三である。名前が非常に似ている。

 小泉議員は自民党の農林部会長でもあるし、こういうことは知っておいてよい気はする(https://www.jimin.jp/member/member_list/legislator/100445.html)。

 

 

 

「米百俵の精神」 長岡市HP

http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/cate12/kome100/kome100.html

 

米百俵-小林虎三郎の精神- リーフレット(PDF 555KB)

 

<米百俵の由来>

 幕末維新の風雲は、戊辰戦争で長岡城下にも及んだ。長岡藩は、軍事総督・河井継之助の指揮のもと、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と徹底的な戦闘を行った。このことは、司馬遼太郎の歴史小説「峠」で広く紹介されている。その結果、250年あまりをかけて築き上げた城下町長岡は焼け野原となり、石高は7万4千石から2万4千石に減らされた。
 幕末に江戸遊学をし、佐久間象山の門下生であった虎三郎は、独自の世界観を持ち、「興学私議」という教育論を著していた。戊辰戦争の開戦に際しては、長岡藩が参戦することに反対の立場をとっていた。敗戦後、文武総督に推挙された虎三郎は、見渡すかぎりの焼け野原のなかで、「時勢に遅れないよう、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、すぐれた人材を育成しよう」という理想を掲げ、その実現に向けて動き出した。明治2年(1869)5月1日、戦火を免れた四郎丸村(現長岡市四郎丸)の昌福寺の本堂を借りて国漢学校を開校し、子どもたちに「素読」(論語などの読み方)を教えた。
 翌年5月、長岡藩の窮状を知った三根山藩から米百俵が見舞いとして贈られてきた。藩士たちは、これで一息つけると喜んだ。食べるものにも事欠く藩士たちにとっては、のどから手が出るような米であった。
 しかし、藩の大参事小林虎三郎は、この百俵の米は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして米百俵を売却し、その代金を国漢学校の資金に注ぎ込んだ。こうして、明治3年6月15日、国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目、大和デパート長岡店の位置)に開校した。国漢学校には洋学局、医学局も設置され、さらに藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもも入学を許可された。国漢学校では、小林虎三郎の教育方針が貫かれ、生徒一人一人の才能をのばし、情操を高める教育がなされた。ここに長岡の近代教育の基礎が築かれ、後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出された。東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥……。

 この国漢学校は現市立阪之上小学校に引き継がれ、「米百俵」の精神は長岡市のまちづくりの指針や人材教育の理念となって今日に至っている。

 

――――――――――

 

 この国漢学校創立時の故事をもとに、文豪・故山本有三氏が戯曲として書き下ろしたのが<米百俵>である。この戯曲は、虎三郎に関する詳細な研究と合わせて一冊の本にまとめられ、昭和18年(1943)に新潮社から出版された。
 山本有三の戯曲<米百俵>の中で、虎三郎は「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かってこう語りかける。
 「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」
 教育と反戦の思想で裏打ちされた戯曲<米百俵>は大ベストセラーとなったが、時代は軍部の支配下にあり、反戦戯曲だと強い弾圧を受けて絶版となり、自主回収の憂き目を見た。
 それから約30年後の昭和50年(1975)、長岡市が<米百俵 小林虎三郎の思想>を復刻出版すると、大きな反響を呼んだ。また、昭和54年(1979)と平成13年の2度にわたり歌舞伎座で上演され、多くの人々に感銘を与えた。

 

 米百俵が来る
 虎三郎が弟雄七郎にあてた手紙には、「長岡藩は極度に窮迫し、士族の中でも日に三度の粥すらすすることのできない者がいる」とある。
 こうした状況の中で、明治3年(1870)5月、長岡藩の支藩である三根山藩(現西蒲原郡巻町)の士族たちから長岡藩士族へ見舞いとして米百俵が贈られてきた。米百俵は当時の相場でおよそ金270両前後。そば一杯がおよそ24文、金1両は約10,000文であったので、いかに大きな贈り物であったかがわかる。

 

 小林虎三郎 (1828~1877)
 文政11年(1828年)8月18日、長岡藩士小林又兵衛の三男として生まれる。崇徳館で学び、若くして助教を務める。23歳の時、藩命で江戸に遊学、兵学と洋学で有名な佐久間象山の門下に入り、長州の吉田寅次郎(松陰)とともに「象山門下の二虎」と称せられる。象山に「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林のみである。」と言わせるほど、虎三郎は教育者であった。
 教育の重要性を説く虎三郎の思想は、帰郷後に著した「興学私議」に詳しい。
 戊辰戦争に敗れ焼け野原となった長岡で、「国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ。」と教育第一主義を唱え、三根山藩からの救援米百俵をもとに、国漢学校を設立し、多くの人材を育て上げた。
 虎三郎は明治4年、自ら「病翁」と名を改めているように、終生を病にさいなまれた。明治10年、湯治先の伊香保で熱病にかかり、8月24日に弟雄七郎宅で死去。享年50歳であった。」

 

 

 

 「こども保険」に賛意を示す麻生大臣だが、外務大臣時代(第一次安倍内閣)に「米百俵」を演説に盛り込んでいる。

 麻生大臣は、「米百俵」がわが国の誇るべき歴史であり、教育が重要な未来への投資であるということをわかっている。

 かかる麻生大臣が「こども保険」に積極姿勢を示し、教育国債に消極姿勢を示すのは、残念でならない。

 が、麻生大臣の発言は財政法改正を求めるものだという読みがある。どうやら現行制度では教育国債を財源にしにくいらしい。

 

 

 

「麻生外務大臣演説 日本にとって中南米の意味を問う ――新時代のパートナーシップを育てるとき」 外務省HP平成19年7月6日

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/easo_0706.html

 

●ホンジュラスの算数と、「米百俵」

 実はこのスピーチを作る過程で、ほとほと感心したことがあります。

 皆さん、我が国は、ニカラグアとかペルー、ボリビアやグアテマラといった国々で、小学校、中学校を建てたり、増改築する仕事を続けておりますが、このこと自体、初耳だという方が多いでしょう。

 そこで伺いますが、我が国のODAが1995年からこっち、整備した学校の数はどれくらいだと思われますか。

 小中学校の数にして、1960、教室数では実に7861であります。これに職業訓練所や障害者施設の増改築を加えると、もっと増え、2356校、8964教室になります。

 一件ずつならささやかな協力が積もりに積もったものですが、2356とか8964という、この蓄積には正直、驚きました。

 入れ物としての校舎より、むしろもっと大事なのはどう教えるかです。そこで登場するのが、こういう場合やはり、JICA(国際協力機構)の人たちです。

 ところはホンジュラス。最貧国の一つです。

 この国に、1989年から2002までの間、我が国各地の小学校から58人の先生が、青年海外協力隊員になって赴任しました。そして延べ2万人――2千人ではありません――の教師に、算数の教え方をコーチします。

 というのも中南米の貧しい国には、算数がネックになって、小学校をやめてしまう子供が少なくないのだそうであります。協力隊の隊員たちは、現地の教師と一緒になって、子供に算数を面白いと思わせる教え方を考えました。

 途中をはしょりますが、彼らは遂にホンジュラスで、算数の教科書をこしらえます。それが、唯一の国定教科書となるまでに至りました。

 JICAは2006年の4月から、ホンジュラスの教科書を、同じスペイン語を使う周辺の国々、グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、ドミニカ共和国などに広めようとしております。

 日本人の先生が作った親しみやすい教科書が、子供たちの手から手に渡っている光景を、いっぺん目を閉じてご想像ください。

 そういう下地があってホンジュラスに行ったのが、「米百俵」の物語でした。

 越後長岡藩の「米百俵」という故事がありましょう。戊辰戦争に敗れ、食うや食わずの長岡藩に届いた恵みの米百俵。一時の空腹を満たすより、飢えを忍んでも売って資金に換え、若者の教育に注ぐ英断を下した武士の物語です。小泉サン(小泉純一郎前総理)が演説に使ったのを、ご記憶のことと思います。

 この話を、ホンジュラスの劇団がホンジュラス人俳優たちだけで芝居にして上演し、満場感動の嵐、役者と観客が相共に涙を流したというエピソードがあるのです。

 ドナルド・キーン訳の英語版台本をスペイン語に移したのは、当時の女性の文化大臣だったとか、我が方大使の活躍だとか、紀宮殿下がご覧になったとか、これを話していくとスピーチが終わりません。

 ともかく、教育こそは国の礎という日本の物語が、ホンジュラス人の心を打ちました。2003年のことで、算数プロジェクトが佳境にさしかかりつつあった時期のことです。

●日本人の善意鍛えた「道場」

 ホンジュラスという国、日本との貿易額などわずか160億円程度に過ぎません。しかしわたくしは、有難い国だったと思います。

 ホンジュラスには、1998年に大災害が見舞います。「ミッチ」という巨大ハリケーンで、人口740万人足らずの国に、死者7007、合計61万人以上の被災者をもたらしました。

 この時我が国は、自衛隊を送ります。6機の航空自衛隊C一30輸送機が太平洋を越え、物資を運びました。医師7人を含む陸上自衛隊員80人が、現地で活動しました。これは今でこそ、当たり前の景色です。しかし、緊急医療援助で自衛隊が国外に出たのは、この時こそが初めてでした。

 ホンジュラスの人たちは、感謝してくれました。自衛隊派遣からかれこれ10年、我々の大使が離任するときのことです。この人は勲章をもらい、ホンジュラス国会で答辞を述べたのですが、ハリケーン「ミッチ」に言及したその瞬間でした、「日本万歳!」――。湧き上がった議員たちの歓声と拍手で、議場はどよめいたのであります。

 わたくし思うに、ホンジュラスは、「善意の道場」でありました。無名の日本人が善意を働こうとする、それを鍛錬してくれる現場であり、道場だったと申し上げたい。有難い国でした。」

 

「国旗の重み 教育編~ホンジュラスの米百俵~」 YouTube2009年11月14日

https://www.youtube.com/watch?v=-Wi48xVy4p4&t=159s

 

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/850529937849065473

 

 

 

 教育は、経済の問題であると同時に、経済から切り離して論じるべきでもあると私は考えている。

 というのは、保守系の人たちの経済論を聞いていると、教育を通じて実現すべきことを経済で実現しようとしているのではないかと思うことがしばしばあるからだ。

 「保守思想に基づく経済かくあるべし」などと考える人は、自由の制約を容認しがちだ。新自由主義批判はその類いだ。小泉元総理大臣との関連で言えば、新自由主義批判をする人たちは自由化や民営化を進めた小泉内閣(特に竹中平蔵氏)を否定的に評価する。

 もし彼らが、日本人が自由に経済活動をすればするほど日本らしい日本が出来上がっていくと考えるのであれば、経済の自由化を好み、自由の制約には否定的となるであろう。つまり、彼らはそう考えていないのである。

 彼らは経済の統制を通じて自分好みの思想の統制を実現したいと考えているのであろう。

 しかし、これはいかにも強引である。「北風と太陽」で言えば北風である。

 日本人に日本人らしく振る舞ってほしいというのであれば、それは教育の問題なのではないか。自国の歴史や文化を重んじる教育を受けておれば、経済活動もそういう教育で培われた価値観に沿ったものとなるであろう。

 17日に他界した保守派の重鎮・渡部昇一氏は、フリードリッヒ・A・フォン・ハイエクを尊敬した。ハイエクは経済統制は思想統制へ至ると喝破し、社会主義を批判した(渡部昇一「朝日新聞と私の40年戦争」(PHP研究所、2015年)64ページ以下)。

 保守系の人が経済の問題と教育の問題をごっちゃにすると、社会主義に行き着くのがオチだ。この数年、保守系の経済論を見てそういう印象を抱くに至った。

 場合によっては経済の統制が許容されることもあるのだろうが、基本的に自由を重視する価値観に立つのが無難だと思う。そして、新自由主義批判には懐疑的である方が無難だとも思う。

 

 

 

 

 安倍内閣・与党には、今一度「米百俵」の精神に注目し、教育は投資であるということを再認識し、安易に増税路線を進むのではなく、教育国債の活用を検討していただきたく思う。

 

 

 

※ 本文中で紹介しなかった参考文献として、原山建郞編著「小泉首相が注目した「米百俵」の精神(こころ)」(主婦の友社、平成13年)。