【石原慎太郎】私の好きな日本人【百条委員会】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 20日、石原慎太郎元都知事が都議会百条委員会の証人喚問に立った(http://www.sankei.com/politics/news/170320/plt1703200023-n1.html)。

 御年84歳。平成25年に脳梗塞を患い入院し、退院後も体調不良が伝えられることがあった(http://www.sankei.com/politics/news/130720/plt1307200010-n1.html)。百条委員会には主治医が待機した(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170320/k10010918091000.html)。

 証言の模様を見たのは少しだけだが、石原元都知事は気骨があり、偉大な政治家だと私は思った。

 嗚呼そうだ。

 石原元都知事は「神話の英雄」に「男の理想像」を見出し、「男にとって最高の美徳」を「自己犠牲」としていたのだった。

 都の将来を想えばこその命懸けの決断であろう。

 石原元都知事は、「科学者が安全と言うのに、なぜ移転しないのか不可解だし、不作為の責任が問われるべきだ。都民を第一に考えて移転しなければならない」と述べ(http://www.sankei.com/affairs/news/170320/afr1703200014-n1.html)、自民党の来代勝彦都議は、「豊洲移転の決断は大英断だったと思う。将来を考えたとき、間違いなく豊洲に移転してよかったと思うだろう」と述べた(http://www.sankei.com/politics/news/170320/plt1703200023-n4.html)。

 

 

 

石原慎太郎 「私の好きな日本人」 (幻冬舎、2008年)

 

7,8ページ

 

「 どの国にもどの民族にも神話の英雄というものがある。

 それは先祖たちへの畏敬をこめた憧れを象徴しているが、その大方が悲劇的運命をたどる人物として描かれているのも一つの特徴だ。

 例えば古代ギリシャの英雄ユリシーズや、北欧のゲルマン民族の神話『ニーベルンゲンの歌』の中のジークフリート、そしてこの日本では建国のための戦に殉じた日本武尊(やまとたけるのみこと)。どれも孤独な放浪に彩られた武将として、何といおう一種の透明感の内に形作られた逞しくも悲しい男のイメイジとしてある。それら神話の英雄というのは、ある意味で男の理想像ともいえそうだ。

 国家といえば大袈裟に聞こえようが、人間が人間として生きていくために避けることの出来ぬ一つの組織、社会の中での他者との関わりのために、自己犠牲によって仲間たちを救いその安寧のために尽くすという献身は、男にとって、男としての宿命ともいえるだろう。

 しかしなお、その宿命に甘んじる男は滅多にいるものでもない。それが命がけということになれば、その責務を全うしきる男などざらにいるものではない。

 

 ずっと以前、今は亡き三島由紀夫氏とした最後の対談は、『男は、何のために死ねるか』という題目だった。

 対談を始める前に三島さんが、

「君は何が男にとって最高の美徳と思うかね。一つ黙って紙に書いて入れ札しよう」

 といい出し、二人して紙に書いて差し出し合った。二人の答えは期せずして同じで、『自己犠牲』だった。

 そして間もなく三島さんはあの、国家を救うために自衛隊に立ち上がり、いわば反クーデタを行えと促して市谷(いちがや)の駐屯地を占拠し、その揚げ句割腹して死んだ。

 あの事件についてはさまざま論があろうからここで私の言は控えたいが、あの出来事の根底には、あの直前に近い時点で二人して行った入れ札の複雑な余韻があったと思う。」

 

319,320ページ

 

「 人生の原典

 

 いかなる人間も、それぞれが属している国家や民族の歴史に、その人生を規制されぬ訳にはいかない。それは人間社会という共同体のしからしめる原理に他ならない。

 我々はそれぞれ家族の血の系譜の下に生まれてあるが、それを上回って、その国その民族の歴史からさまざまなものを負うている。国家の歴史は、実は私たちの体の内に生きているのだ。

 その『歴史』の原理を踏まえ、それぞれの感性に応じて眺めれば、過去の歴史を形作ってきた先人たちの中に数多くの自分自身の分身を見つけることが出来る。私にとっていかにも好ましい先人たちは、実は形を変えて私自身の内に生きているともいえる。その職掌を違えても、それらの先人たちは今の私を形作っているのに気づかされる。

 私がここで描いた、私にとって巨(おお)きな、というより、私が好きでたまらない日本人たちは実は今の日本を作り、今の私をも作ってくれたのだ。

 私が彼等を好きでたまらないということで、私は私自身を捉えなおし、この人の世を生き抜いていく自信を得ることも出来るのだ。かくも多くの素晴らしい、好きな日本人を持つことが出来たのは、日本人として至福なことだと思う。

 そしてそれこそが、歴史と人間の関わりの本質に違いない。

 

  平成二十年十一月

   石原慎太郎」

 

 

 

 

 

 

 石原元都知事を悪者として演出する報道番組(https://twitter.com/iwata910/status/843768396130861056)。

 石原元都知事の悪口を言い立てる人々(https://twitter.com/DrMagicianEARL/status/843677480560934912)。

 小池百合子都知事にすり寄って百条委員会で石原元都知事を責める都議の方にこそ醜さを感じたし(https://twitter.com/tsuyoshi1981y/status/843688574335696897)、石原元都知事の方が一条の光のようにも感じた。

 

 私は石原元都知事とは意見が合わないところもあるが、尊敬すべき政治家なのだと思う。

 偉大な老将の晩節を汚そうと唾を吐きかける卑しい心根の人らを、私は好きになれそうにない(http://ameblo.jp/akiran1969/entry-12258702638.html)。