【終戦の日】8月15日の靖国参拝【稲田朋美】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 昨日は大東亜戦争が終結した日だった。

 

 

あなたもスタンプをGETしよう

 

 

 鎮魂の日に、靖国神社が喧しい。

 和田正宗参議院議員(日本のこころを大切にする党)によれば、平穏に参拝できないとのことだ(http://ameblo.jp/wada-masamune/entry-12190463951.html)。


 

 国のために命を捧げた方々に対して感謝し慰霊するのは普通のことだ。

 それが、物珍しく扱われ、さらには戦争賛美だと危険視される。

 命を捧げた方々に感謝しないのが良識だというズレた人たちがメディアで支配的となっている。

 日本なんて滅びればいいのに、国のために命を捧げるなんて許せない、というのが本音だろうか。

 わが国の報道機関は他国の工作機関となっているところが多分にある。

 

 稲田朋美防衛大臣は、従来、8月15日に靖国神社に参拝していた。

 ところが、今年は参拝を控えるとのことで、話題となっている。

 

 

「稲田朋美防衛相、8月15日の靖国神社参拝見送り 13日からジブチ訪問で自衛隊員を激励」 産経ニュース2016年8月12日

http://www.sankei.com/politics/news/160812/plt1608120011-n1.html

 

「 防衛省は12日、稲田朋美防衛相が13日から4日間の日程で、アフリカ東部ジブチを訪問すると発表した。これに伴い、稲田氏は終戦記念日の8月15日の靖国神社参拝を今年は見送る。平成17年の初当選以降、参拝を欠かさなかっただけに、胸中は複雑なようだ。

 「靖国の問題は心の問題であり、安倍内閣の一員として適切に判断したい」

 稲田氏は12日、視察先の航空自衛隊小松基地(石川県小松市)で記者団に、こう語った。いつも通りの回答だったが途切れ気味に話し、目には涙がうっすらとたまっていた。

 稲田氏は平成17年以降、靖国神社に毎年参拝。第2次安倍晋三政権が発足してからも、行政改革担当相、自民党政調会長として8月15日と、サンフランシスコ講和条約が発効し日本の主権が回復した4月28日に欠かさず参拝していた。

 ジブチ訪問ではソマリア沖アデン湾で海賊対処活動を展開している自衛隊の派遣部隊を視察する。稲田氏は「海賊対処で非常に頑張っていただいている。非常に困難な任務に携わっており、その様子を視察し、隊員を激励することができたらいいと思う」と視察の目的を説明した。

 一方、小松基地視察は防衛相就任後、初めての部隊視察。空自戦闘機による緊急発進(スクランブル)の警戒に当たる隊員がF15戦闘機に乗り込む訓練を視察した。隊員約400人を前にした訓示で、今年1月に中国軍機2機が対馬海峡の上空を往復し日本海上空を飛行したことに触れ、「小松基地は日本海側唯一の戦闘機部隊が所在する。この空域を守る任務はますます重要になっている」と強調した。」

 

 

 稲田大臣はなぜ靖国参拝を控えるのだろうか。

 思い起こされるのは、安倍晋三内閣総理大臣の平成25年12月26日の靖国参拝だ。

 この時、アメリカは「失望」を表明した。

 

 

「【首相靖国参拝】 「失望」表明した米国、中韓との緊張懸念 支持の見解も」 産経ニュース2013年12月27日

http://www.sankei.com/world/news/131227/wor1312270032-n1.html

 

「 【ワシントン=青木伸行】米政府は26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝は、中韓両国とのさらなる関係悪化をもたらすもので「失望している」と表明した。その一方で米国内には、参拝を正当なものであるとして支持する見解があるのも事実だ。

 在日米国大使館の声明では「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に留意する」とも指摘した。ただ、米政府としては、バイデン副大統領が今月、中国の防空識別圏設定で高まった緊張を緩和するため、日中韓を歴訪したばかりのことでもあるだけに懸念を強めている。

 米政府にはこれまで、首相の靖国神社参拝を思いとどまらせようとしてきたフシがある。10月にケリー国務、ヘーゲル国防両長官が訪日した際、宗教色がなく、A級戦犯が合祀されていない千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花したのも、靖国参拝を牽制(けんせい)する意味合いがあったとの見方もある。

 米主要メディアも異口同音に「中国、韓国との論争に火を付ける」(CNNテレビ)などと否定的に伝えたが、これらとは異なる見解を米国で表明してきたのがジョージタウン大学のケビン・ドーク教授だ。

 教授は今年に入り、産経新聞などの取材に「日本の政治指導者が自国の戦死者の霊に弔意を表することは外交・安保政策とは何ら関係はない」と述べている。」

 

http://www.sankei.com/world/news/131227/wor1312270032-n2.html

 

「 教授はこれまでにも、「民主主義的な選挙で選ばれた政治指導者が、戦死者の霊を追悼することは、平和への脅威や軍国主義への前進になるはずがない」と強調。米国のアーリントン国立墓地には、奴隷制度を守るために戦った南軍将校も埋葬されている事実を指摘し、ここを歴代大統領が訪れたというだけで「奴隷制度を肯定したことにはならない。同様に靖国神社参拝も、日本が関わった戦争の全面的肯定を意味しない」と主張している。」

 

 

 しかし、当時と今とではアメリカの東アジアの見方も違うように思う。

 先の日米の戦争についても昨年から和解が進んできた。

 わが国の閣僚が靖国参拝したとして、今なおアメリカが失望を表明するということもないように思う。希望的観測かもしれないが。

 稲田大臣が靖国参拝を控えるのは、中国に配慮しているからだろう。

 

 

「中国、日本閣僚の靖国参拝牽制」 産経ニュース2016年8月13日

http://www.sankei.com/world/news/160813/wor1608130008-n1.html

 

「 中国外務省は12日、今村雅弘復興相の11日の靖国神社参拝について「日本の内閣の一員による靖国参拝は、日本の歴史に対する誤った態度を反映している」として、重ねて反対を表明した。共同通信の取材に答えた。終戦記念日の15日を前に他の閣僚の参拝を牽制(けんせい)した。

 中国が保守派と警戒する稲田朋美防衛相は15日の参拝を見送る方針を固めている。中国は9月の20カ国・地域(G20)首脳会合に合わせて想定される日中首脳会談に向け、安倍政権の歴史問題への対応を慎重に見極める方針とみられる。

 中国外務省は取材に対し「日本が侵略の歴史を深く反省して軍国主義と一線を画し、実際の行動でアジアの隣国や国際社会からの信頼を得るよう求める」と指摘した。

 日中首脳会談に向けた調整に関して「中日両国の外交部門は正常な対話を続けている」と強調した。(共同)」

 

 

 正直に言って、仮に安倍総理大臣や稲田大臣が中国の反対を蹴って靖国参拝をしたとして、どういう外交問題・安全保障問題が生じるのかがよくわからない。

 中国が反発を示すということはわかるのだが、反発したとして、何か問題なのだろうか。

 中国が反発を示すことは控えるとしていたら、中国の内政干渉を許し、中国にわが国の政治の決定権を握られてしまう。

 その方が問題だ。

 

 中国は従来、A級戦犯を合祀している靖国神社に内閣総理大臣らが参拝するのはけしからん、というようなことを言ってきた。

 もともと中国はA級戦犯合祀など問題視していなかったのだが、朝日新聞がこれを問題化し、中国が乗ってきた。

 そして、中曽根康弘総理大臣が朝日新聞や中国の圧力に屈して靖国参拝を取りやめてしまい、以来、中国は靖国問題という外交カードを手に入れた(渡部昇一「渡部昇一、靖国を語る」(PHP研究所、2014年)90~93ページ)。

 中国は平成25年の安倍総理大臣の靖国参拝にも強い反発を示し、諸外国で反日宣伝を行った(同11~13ページ)。

 

 

 

 

 しかし、中国が反発するから靖国参拝しないなどと言っていたら、内閣総理大臣らが靖国参拝できる日など、中国が滅びない限り永遠に来ない。

 わが国に必要なのは、中国の反日宣伝に対して「反撃」することだ(渡部同上)。

 大体、軍事的に対立する敵国の要求を呑んで、わが国の士気を低下させる真似をするなど、馬鹿げている。

 

 素人なりに、内閣総理大臣や防衛大臣が靖国参拝を控える理由を考えると、1つ思い当たるのは、尖閣諸島の防衛だ。

 尖閣諸島の海域には、中国の公船や漁船が大量に押し寄せてきている(http://www.sankei.com/politics/news/160815/plt1608150031-n1.html)。

 あとは島に上陸するだけで、その機会を伺っている、という状況なのではないか。

 内閣総理大臣・防衛大臣が靖国参拝をすると、これに反発の意を示すとして、尖閣上陸の口実を中国に与えてしまうのかもしれない。

 次の一手が尖閣上陸なのかはともかく、「エスカレーション」の口実を与えてしまうかもしれない。

 これは最近の特殊な事情だ。

 

 もう1つ気にかかるのは、中国国内の反日暴動だ。

 平成24年に尖閣諸島を国有化した時、中国国内では反日暴動が起き、在中邦人が被害を受けた。

 

 

「激化する反日デモ ~中国とどう向き合うか~」 クローズアップ現代2012年9月18日

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3248/1.html

 

■ 激化 中国反日デモ 今 現地で何が

 

激しい反日デモが起きた山東省青島(さんとうしょう・ちんたお)です。
日系の電子部品工場や自動車の販売店などが放火され、大きな被害を受けました。
この日系スーパーは最上階まで窓ガラスが割られました。

 

「大変よ、窓が割られた」

 

デモに備えて60人近い警備員を雇いましたが、数千人に囲まれ、一部が暴徒化。
なすすべがありませんでした。
店内が破壊され、商品が略奪されるなど、被害額はおよそ25億円に上りました。
スーパーを運営する現地法人です。
この企業はこれまで3800人の中国人を従業員として雇い、さらに地元の学生には3年間で1500万円の奨学金を提供してきました。
社長の折口さんは中国のために貢献してきたつもりなのにと悔しさをにじませます。

 

青島イオン東泰商業 折口史明社長
「中国の人に理解してもらえるよう、取り組んできたつもりだが、一部には“日本憎し”という感情がある。
もはやデモではなくテロリズムだ」

 

デモはなぜここまで激化したのか。
きっかけは日本政府が検討していた沖縄県尖閣諸島の国有化でした。
今月9日、APEC=アジア太平洋経済協力会議で野田総理大臣と言葉を交わした中国の胡錦涛国家主席。
尖閣諸島を巡り、日中関係は厳しい局面にあると指摘。
国有化に強く反対しました。
その2日後、日本政府は閣議で国有化を決めました。

(以下略)」

 

 

 在中邦人が人質同然となっている。

 しかし、敵対関係でも経済的交流は盛んにするという「戦略的互恵関係」を打ち出したのは安倍総理大臣自身だ(http://ameblo.jp/bj24649/entry-12187157595.html)。

 在中邦人の自己責任で片付けることはできない。

 かといって、戦略的互恵関係は既に崩壊しているものと思われるが、表立ってこれを撤回して帰国を呼びかけることもできまい。

 安倍政権としては、円高デフレを是正して、日本に国内回帰した方が合理的だという経済状況を作るほかないだろう。また、TPPも脱中国を促進させるかもしれない。

 

 小泉純一郎総理大臣は靖国参拝を6回行ったが、当時と今とではこういう対中関係の事情も違っていると思う(http://ur0.pw/xKkJ)。

 ところで、リンク先のウィキペディアのまとめを見ればわかるが、三木武夫総理大臣以前は、8月15日に参拝した現職の内閣総理大臣はいない。

 むしろ、4月と10月の参拝が多い。

 佐藤栄作総理大臣は11回参拝しているが、全て4月と10月だ。

 安倍総理大臣の祖父の岸信介総理大臣は2回参拝しているが、やはり4月と10月だ。

 春季例大祭と秋季例大祭に合わせて参拝しているということだ(http://www.yasukuni.or.jp/schedule/shunki.htmlhttp://www.yasukuni.or.jp/schedule/shuki.html)。

 実は、8月15日よりも重要なのは4月と10月の例大祭だ

 小泉総理大臣が自民党総裁選で8月15日の靖国参拝を公約に掲げたせいか、この日に参拝するのが最重要だと思われがちだが、意外とそうでもないのだ。

 なお、三木総理大臣の8月15日の靖国参拝については、公式参拝論議を作り出したという批判はあるものの、「終戦詔書奉戴記念日を選んで出かけられた点は、大変よかつた」という評価もある(下記「靖国神社」168,169ページ[小堀桂一郎執筆])。

 8月15日に靖国参拝をするのは間違いだということではなく、参拝はした方がよい。ただし、三木総理大臣が8月15日の参拝の前に春季例大祭に参拝していたことは見落とすべきではないだろう。

 

 

神社本庁編 「靖国神社」 (PHP研究所、2012年) 151~159ページ [大原康男執筆]

 

「 合祀促進の動きが大きく進展していくのと併せて、国のために国の命に従って、かけがえのない命を捧げられた方々をお祀りする神社が、一民間宗教法人で良いのか、国は靖国神社の祭祀についてもっと深く関わるべきではないのか、という声が澎湃(ほうはい)として起こってきたのはごく自然の流れです。そこから靖国神社の国家護持運動が始まりました。

 つまり、靖国神社は宗教法人を脱し、国の監督下の特殊法人に生まれ変わって、戦没者追悼のための祭祀を行う、そういう形にして、国が靖国神社を護持すべきだという法案――靖国神社国家護持法案――を、自由民主党を通して実現しようとする運動が、昭和四十年代から本格化しました。

 もちろん、それに反対する社会党、共産党などの野党がいます。あるいはキリスト教団体や新宗教団体反対します。激しい論争がありましたが、何とか最初の靖国神社国家護持法案が提出されたのが昭和四十四年です。

 この国家護持運動をめぐる議論は、憲法問題が中心になりました。憲法二十三条三項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあります。国及びその機関がどのような形であれ、靖国神社を護持することは、「宗教的活動」にあたるというのが、反対派の論拠です。

 当時、自民党は国会に安定的多数を維持していましたが、終始、これを政治的取引に使ってしまい、結局、この法案は五回出されて五回とも廃案になってしまいました。そのような経緯で国家護持運動は挫折してしまいました。

 その代わりに出てきたのが、天皇陛下や首相・閣僚などが公的に靖国神社を含む宗教施設に参拝して敬意を表すことができるように、という趣旨の「表敬法案」構想です。自民党ではそれを最終的にまとめましたが、それも野党その他が反対してつぶれました。

 そういう経緯がある中で、昭和五十年八月十五日、三木武夫首相が現職の首相として初めて「終戦の日」に靖国神社に参拝しました。その際、「あなたはどういう資格で参拝するのですか」と問われた三木首相が、「いや、私は内閣総理大臣ではなく、一国民の三木武夫として参拝します」と答えたことから、「公式参拝」か「私的参拝」かという議論が始まってしまったのです。

 これが今日まで続いている公式参拝論議のはしりで、当初は憲法上の問題でした。結局、それ以降の靖国問題は、「公式参拝」か「私的参拝」かの論争も含めて、首相の参拝問題が中心となります。

 それでは、これまでの首相の靖国神社参拝はどのような形式で行われてきたのでしょうか。

 先ほど、「神道指令」の話を少しいたしました。「神道指令」の第一項には停止、廃止、禁止といったことを命じた項目が十三あり、その最後のm号には、「公務員は、公的資格で神社に参拝してはならない」という文言があります。

 m号によって、内閣総理大臣をはじめとする国務大臣、あるいは官僚、あるいは都道府県知事が、公式な資格で神社を参拝することができなくなりました。

 しかし、その中でも、吉田茂首相は全く違っていました。首相在職中、あるいは首相になる前の外相在職中を含めて、「神道指令」が出た直後から、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮など主要な神社に参拝しています。GHQの圧倒的な力の前にほとんどの日本人がひれ伏した時代における、ささやかな、一つの”日本的レジスタンス”と言ってよいものでした。

 とはいうものの、GHQが最も危険視していた靖国神社の参拝は容易なことではありませんでした。しかし、昭和二十六年九月八日に講和条約が締結されてから約四十日後の十月十八日に行われた秋季例大祭に合わせて、その奉告をするために靖国神社に参拝しました。占領末期とはいえ、「神道指令」が有効であったにもかかわらず……。

 当時の「朝日新聞」は、「首相が公の資格で参拝したのは六年ぶりであった」と淡々と報じ、また「毎日新聞」も、遺族たちの満足そうな様子を好意的に記しています。反靖国一色に塗りつぶされている今日の両紙から想像もつかない肯定的な記事だったのです。

 占領が終結して以降、病気がちであった鳩山一郎、石橋湛山両首相を除いて、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄の各首相の参拝が続き、昭和五十年四月二十二日三木首相までは、昭和二十六年の吉田茂がやったのと同じ方式で参拝しました。

 当時の記録によれば、吉田茂は公用車を使用し、閣僚や秘書官を伴い、「内閣総理大臣吉田茂」と記帳して昇殿、玉串を奉奠(ほうてん)して、二礼二拍手一礼を行った。相前後して衆参両院議長も参拝しています。

 その際、「内閣総理大臣吉田茂」という名前の入った一対の根付き榊をお供えしました。靖国神社の例大祭に真榊の奉納を首相名で行った最初は吉田茂です。

 もっとも、靖国神社の公式記録としては、首相名で春秋の例大祭に真榊を奉納したのは、昭和三十年四月の鳩山首相からとなっています。それまでの公的記録が、見つかっていないとしても、昭和二十六年の吉田参拝が最初であることは間違いないでしょう。

 歴代首相の真榊奉納は昭和六十年春秋例大祭に中曾根康弘首相が行ったのを最後として途絶えました。

 ちなみに、最近では、安倍晋三首相が平成十九年の春の例大祭に真榊を奉納したことが新聞で報じられました。ちょうど中国の温家宝首相が離日した直後のことだったので、中国がどう見るかという関心から少し騒がれました。この奉納は、中曾根首相が奉納をやめてから、二十二年ぶりに首相の真榊奉納が復活されたという意味があります。

 話を戻しますが、吉田首相以来四半世紀にわたって首相の公式参拝が行われてきたのに、三木首相が私的参拝と言い出したものですから、その波紋は大きく、公式参拝を復活しろという声が出てくる。しかし、私的参拝で押し通しました。この議論は国会の内外で十年間も続けられました。

 三木首相の後の福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸各首相を経て、次の中曾根康弘首相となりますと様子が変わってきます。中曾根首相は「戦後政治の総決算」を政治スローガンとして掲げ、そのうちの一つとして三木内閣時代に私的参拝とされたものを、公式参拝に復活しようという意図の下に、昭和五十九年に、藤波孝生官房長官の下に「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」、いわゆる「靖国懇」を設け、一年にわたる検討の結果、最終的には公式参拝が憲法に抵触しないと結論づけました。

 しかし、そこには「神道色を薄める」という条件がついていたため、これまでの参拝の方式とは大きく異なるものとなりました。まず、第二鳥居から参道をまっすぐに進んで拝殿正面の階段を上り、拝殿を通り抜けて階段を下り、中庭を通って本殿の階段を上がり、本殿には入らず、本殿前の回廊で一礼し、そのまま同じルートで退出したのです。つまり、手水もせず、お祓いも受けず、玉串奉奠もしない。もっとも、靖国神社としてはお祓いも受けずに拝殿に参入されては困りますので、外部からは見えない「陰祓い」という方法をとって何とかしのぐことができました。

 二礼二拍手一礼に代えて、一礼方式で拝礼することよりも、手水も取らず、お祓いも受けないということの方がはるかに問題です。

 結果として、極めて礼を失した参拝となりました。もともとこのような参拝方式に強い難色を示していた当時の松平永芳宮司は、進退伺いを懐中に入れながら、お迎えもお見送りもせず、ただことの終わるのを待っていたそうです。

 もう一つ、拝殿正面の階段を上って、拝殿に参入するのは勅使だけです。もちろん勅使はきちんと手水をしてお祓いを受けています。要するに勅使すらもしない、礼を失した参拝でした。

 たしかに中曾根参拝は、三木首相によって私的参拝とされてしまったという大きなボタンの掛け違いを正して、公式参拝に復帰したという意味では大きな功績と言えますが、参拝方式で大きな問題を残しました。

 しかし、それ以上の問題は、その後、中曾根首相が、彼なりに考えて復活したはずの靖国神社への公式参拝そのものをやめてしまったことです。なぜやめたのか。それは、中国・韓国、中でも中国が執拗に反対したからです。

 昭和六十年の秋の例大祭に続き、翌年の春の例大祭も参拝しませんでした。そしてその年の八月十五日、せっかく前年に復活させた公式参拝そのものを全面的にやめてしまいました。それ以降の歴代首相は、現職である限り、靖国神社の境内に一歩も入れないという、極めて異常な閉塞状態が続きました。

 ただ、その間のことですが、平成八年に橋本龍太郎首相が、自分の誕生日である七月二十九日に、散歩に行ったついでのような形で、前触れもなく参拝したことがあります。それを例外とすると、竹下登首相から森喜朗首相に至るまでの平成の首相は、誰一人として参拝することができませんでした。いずれも中国・韓国の強硬な反対に屈してしまったからです。

 この状況を破ったのが平成十三年八月十三日の小泉純一郎首相の参拝です。橋下首相の例外的な参拝を除くと、中曾根首相の中断以来、十六年ぶりの参拝になりました。ちなみに、吉田首相が占領末期の昭和二十六年十月十八日に再開してから、小泉首相の再々開はちょうど五十年目にあたります。その意味でも、小泉首相の参拝は大きな意義がありました。

 もっとも、小泉首相の靖国神社参拝は、総裁選の公約に反して、二日前倒しであったこと、その後の参拝日にばらつきがあったこと、それから中曾根首相と同様な一礼方式であったことなど、批判や問題点が指摘されました。

 それでも、参拝に対する内外の執拗で激しい反対の声に耳を貸さず、強固な参拝阻止包囲網を押し破って、五年の在任中に六回も参拝したという意味は大きいです。

 このことは中曾根首相の参拝の時と比べればよく分かります。当時、自民党は国会で安定多数を占め、単独政権でした。しかも、当時の自民党の役員・閣僚などの中で参拝に反対した者は一人もいませんでした。

 小泉首相の場合はどうでしょうか。自民党の単独政権ではなく、自公の連立政権でした。公明党は、中国と近く、その意向を体して靖国神社参拝に反対していました。

 閣内には中国のメッセンジャーよろしく、あからさまに参拝反対を主張する田中眞紀子外相がおり、党と内閣の要である山崎拓幹事長と福田康夫官房長官は反対ないし慎重派であって、その上、中国や韓国、少なからぬ日本のメディア勢力が参拝に反対して、強固な包囲網を作っていました。その中で参拝を貫いたのです。

 小泉参拝も、玉串を奉奠して二礼二拍手一礼ではなく、一礼方式を採り、中曾根参拝とよく似ています。しかし、つぶさに見ると実態は大きく違うことが分かります。

 中曾根首相は非礼にも、拝殿の正面から参入しましたが、小泉首相は一般の昇殿参拝者と同様に参集所から入りました。靖国神社は、到着殿(貴賓の方が使う入口)から入って欲しいと言ったそうですが、「いや、自分はかつて厚生大臣の時に参拝した時も、ご遺族と同じ場所から入りました」ということで、参集所から入り、そこで記帳し、簡単な記者会見を行なった後、手水を取り、拝殿でお祓いを受け、ご本殿に入りました。そしてご本殿で黙祷した後、十秒ほど深々と一礼しました。このように、中曾根参拝とは似て非なるものでした。

 小泉首相は二回目からは靖国神社の要望を聞き入れて到着殿から入るようになりましたが、一礼方式が中曾根内閣以来の申し継ぎ事項であったので、それを踏襲したまでです。しかし、手水を取り、お祓いを受け、定められた参拝経路を経て、本殿の中に入っていますから、中曾根首相と同じような参拝に見えますが、実際は大きく違います。

 この意味で、小泉首相の五年間の首相在職時代において、最も大きな功績は、靖国神社の参拝を再開したことだと私は考えています。

 その後の経過を簡単に振り返っておきますと――次の安倍晋三首相が小泉内閣の官房副長官時代に小泉首相の靖国神社参拝の実現に向けて尽力したことは、そのことに裏面で関わった一人としてよく承知しており、本人も参拝する決意であったことは間違いありませんが、対中・対韓外交に配慮して延引しているうちに体調を崩し、俄かに退陣したことで参拝するに至らずに終わったことは、かえすがえずも残念なことでした。

 次の福田康夫首相は、いわゆる”チャイナ・スクール”の有力なメンバーでしたから、余り期待はしませんでしたが、案の定、首相就任早々に「靖国神社には参拝しない」と発言し、安倍首相が再開した真榊の奉納も見送り、その次の麻生太郎首相は真榊奉納は実施したものの、参拝には及びませんでした。

  そして、民主党政権になってからの体たらくはご存じの通りです。鳩山由紀夫・菅直人両首相とも参拝する気は全くない上に、鳩山首相に至っては靖国神社に代替する国立戦没者追悼施設を建設するという構想を公にして、靖国神社を戦没者追悼の中心施設と考える多くの国民から反撥を受けました。

 こうして、小泉首相によって曲がりなりにも十六年ぶりに再開された首相の靖国神社参拝は、またもや挫折し、それからもう五年にもなろうとしているのです。」

 

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「安倍晋三首相、靖国神社参拝」 ハフィントンポスト2013年12月26日

http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/25/shinzo-abe-yasukuni_n_4502312.html

 

「現職の首相が靖国神社を参拝するのは2006年8月15日に当時の小泉純一郎首相が参拝して以来。安倍首相は2013年の春と秋の例大祭のときは靖国神社は参拝せず、「真榊」と呼ばれる鉢植えの供え物を奉納。終戦記念日の8月15日には私費で玉串料を納めている。

 

 

「超党派議連が靖国参拝 春の例大祭にあわせ」 産経ニュース2016年4月22日

http://www.sankei.com/politics/news/160422/plt1604220012-n1.html

 

「 超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久自民党参院議員)は22日午前、春季例大祭中の靖国神社(東京・九段北)を参拝した。

 議連は毎年春、秋の例大祭と8月15日の終戦記念日にあわせて参拝している。

 安倍晋三首相は21日から始まった例大祭中の参拝を見送り、「真榊」と呼ばれる供物を奉納した。

 

 

「【終戦の日・靖国神社】 安倍晋三首相は玉串料奉納 閣内から高市早苗総務相、丸川珠代五輪相、萩生田光一官房副長官らが参拝」 産経ニュース2016年8月15日

http://www.sankei.com/politics/news/160815/plt1608150029-n1.html

 

「 安倍晋三首相は15日午前、東京・九段北の靖国神社に、自民党総裁として玉串料を私費で奉納した。首相は参拝せず、西村康稔党総裁特別補佐が靖国神社を訪れて代わりに納めた。また、安倍内閣からは高市早苗総務相、丸川珠代五輪相、萩生田光一官房副長官が参拝した。

(以下略)」

 

 

https://twitter.com/simalis1/status/764267964858179585

 

 

 平成25年、安倍総理大臣がどのような方式で靖国参拝をしたのかがよくわからないのだが、公用車で靖国神社に向かい、「内閣総理大臣安倍晋三」と記帳しつつも、参拝翌月の国会で「私人の立場で行ったものだ」と明言し、公務性を明確に否定したとのことだ(http://www.sankei.com/west/news/160215/wst1602150006-n3.html)。

 一礼方式を採ったかどうかはわからなかった(二礼二拍手一礼方式なら、鬼の首を取ったようにマスメディアが騒ぐと考えると、一礼方式か)。

 

 先例を見るに、客観的には閣僚が8月15日に靖国神社に参拝する必要性はさほど高くはないようだ。

 しかし、稲田朋美防衛大臣にとっては、この日に参拝することが特別に重要であり、これを自己の意思に反して控えなければならなくなったのは、さぞ悔しいことであろう。

 稲田大臣に例年通りの靖国参拝を期待していた国民にとっても真に残念であるし、稲田大臣が靖国参拝を控えなければならないほどわが国の置かれた情勢は厳しいのだなと痛感する。

 しかし、今回を8月15日に靖国神社に参拝する意義自体を考え直す機会としてはどうだろうか。

 さすれば、稲田大臣の涙も無駄にはなるまい。

 そして、閣僚が靖国参拝しやすくなるよう、輿論を醸成していくことが重要だ。

 なお、士気の点では、稲田大臣は靖国参拝できなかったが、自衛隊員たちは稲田大臣の心の底からの涙を見て、胸中を察し、士気を高めたに違いない。少なくとも士気の低下は招いていないだろう。

 「立派な訓示を垂れても自衛官は聞く耳を持たないだろう」という批判は当たらないと私は思う(https://twitter.com/nakayamanariaki/status/765001177465434117)。

 

 

 

<地元の護国神社>