二階議員は、親中派で知られている(http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/571.html)。族議員(道路族)でもある(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131218/stt13121809050004-n1.htm)。政党をいくつか渡り歩いているのだが、現在は自民党で自身の派閥を作っている。
チャンネル桜は、中国を敵視する割に、二階議員への批判が少ない。
それもそのはず、チャンネル桜一推しの国土強靱化を仕切っているのが二階議員だからだ(https://www.jimin.jp/activity/colum/114488.html)。中野剛志氏は、二階議員を強く推す(http://ameblo.jp/akiran1969/entry-11553559814.html)。
下手をすると、二階議員が立派な政治家だと勘違いしてしまう人もいるかもしれない。
ちなみに、二階議員は、第3次小泉純一郎内閣、福田康夫改造内閣、麻生太郎内閣で経済産業大臣に就いている(http://www.nikai.jp/profile.htm)。
とはいうものの、かく言う私も、二階議員のことをほとんど知らない。
このところ、マスメディアでもチャンネル桜でも、あまり批判を聞くことがない。
が、私が持っている数少ない週刊誌を久しぶりに開いてみたら、偶然、二階議員の特集記事が載っていた。
意外なところに意外な情報が載っているものである。
その週刊誌とは、「週刊プレイボーイ 平成20年10月13日号」(集英社、平成20年)である。
出版当時は麻生内閣である(二階議員が経産大臣)。
このGoogleマップ航空写真を見ていただきたい(http://goo.gl/fyqH8n)。
日高港だ。
見るからに殺風景だろう。
これが、二階議員の輝ける実績の1つである。
この港を作るのに、約370億円の税金が投入されたのである。
非道い話である。
二階議員が和歌山県議会議員に立候補した昭和50年から、日高港建設は二階議員の公約だった。
確かに、二階議員の地元は、インフラが未整備で、二階議員が高速道路や交通インフラの整備を声高に叫んだことには大義名分があった。
しかし、日高港は、昭和50年当時から、その需要が疑問視されていた。
というのは、既に近くに、特定重要港湾である和歌山下津港と、漁港である串本港があって、新たに港を作っても需要が見込める状態ではなかったからである。しかも地形的にも大規模な港を作るのに不向きだった。
にもかかわらず、二階議員の出世に合わせるかのように、昭和58年、日高港は重要港湾の指定を受ける。第1期工事だけで国や県から計370億円の事業費がついた。
平成16年から日高港の暫定供用が開始された。しかし、見込み違いにも程があるほど利用されない。
さらに困ったことに、日高港埠頭に隣接して大規模な工業用地も整備したが、これもほとんど利用されない。
日高港に隣接して、日高港新エネルギーパークという施設があり、これは関西電力が運営しているのだが、これも日高港を巡るトラブルの所産である(平成11年の第二火力発電所建設計画。当時、二階議員は第2次小渕恵三改造内閣で運輸大臣に就任。)。
日高港は、ほとんど利用されず、釣り堀と化している。
この記事は最後に、二階議員には日高港が無駄ではない理由を国民に説明してほしいと言う。
いかがだろうか。
二階議員の利権政治屋ぶりに呆れただろう。
約370億円もの税金を無駄にしたのである。これは氷山の一角に過ぎないだろうが。
二階議員は日高港建設事業が無駄ではない理由を説明できるのだろうか。
ここで、財政派の理屈が都合がいい。
財政派によれば、デフレは金融政策では脱却できず、財政政策によってこそ脱却できるということになるため、無駄な公共事業であっても、デフレ脱却効果があるということになるので、完全なる無駄にはならない。
二階議員にはありがたい理屈なのではなかろうか。
財政派は族議員に甘い。
三橋貴明氏は財政派だが、二階議員のことをどう言っているのだろうか。
三橋氏はあまり二階議員に言及しないのだが、2013年10月15日の三橋ブログ「「通貨の創造」と「通貨の支出」」(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11637523516.html)で言及している。
また、この記事で、財政派の考え方の一端も述べられている。
少し長いが、(ある意味)おもしろいので、目を通してみることをおすすめする。
なお、これは消費税増税決定後のものである。
このブログ記事で、三橋氏は、二階議員の媚中姿勢は嫌いだと批判する。
しかし、
「国土強靭化に向け、旗振り役を務めていらっしゃるのは評価します」
という。三橋氏は、国土強靱化の景気浮揚効果を言うが、これは国土強靱化に限らず、日高港の建設にもあてはまる理屈である。
三橋氏は、
「政治にせよ、政治家にせよ、「完璧なスーパーマン」も「清廉潔白な聖人君主」もいないのです。それでも、何とか物事を前に進めていかなければならないのが「政治」」
だと述べる。聖人君主を望むことができないとしても、二階議員は粗悪すぎるのではないか。100点を取るのは無理だから30点でもOKということにはならない。三橋氏は極論を言って族議員を擁護する。二階議員は、ある意味、昔ながらの政治家の剛胆さを持っているのだろうが、反面、日本全体の利益を考えていない。国土強靱化の旗振り役だからといって応援するのはいかがなものか。税金の無駄遣いをする親中派など、いない方がいい。
二階議員を批判することが、国土強靱化を妨げることになるのだろうか。国土強靱化は自民党の公約になっているわけで、二階議員が失脚すると国土強靱化が頓挫する、ということにはならないと思うが。
二階議員が国土強靱化を差配し、親中派の権力が増すというのは、媚中姿勢嫌いの三橋氏の望むところでもないはずでは。
三橋氏は、媚中姿勢が嫌いでかつ消費税増税に反対している割には、なぜか親中派で消費税増税推進派の野田毅衆議院議員に対する批判もない。むしろ麻生太郎財務大臣に公共事業費の増額を申し入れてくれたいい人、という扱いである(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11710498759.html)。釈然としない。
三橋氏は、二階議員に限らず、族議員についてどのように考えているのか。
三橋ブログの2013年9月3日の記事に、「族議員を考える」というストレートな記事がある(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11605711324.html)。
この記事が凄い。
三橋氏は、
「現在の日本の政治に必要なのは、「政治家が裁量をきかせ、有権者のために官僚を動かすこと」だと考えるわけです。すなわち、専門家議員、旧称「族議員」の復活でございます。」
と言う。確かに、族議員の中には専門家もいるだろう。しかし、二階議員の日高港建設を見るに、何ら専門的知識は活かされていない。誰もが事業に疑問を持ち、その通りの結果になり、税金が無駄遣いされた。ど素人も甚だしい。どこが専門家なのか。ただの利権屋だ。
族議員は、私も詳しくは知らないが、利権と結びついているからこその族議員なのだと思う。つまり、族議員は、利権を地元に引き込み、税金で票を買収する。族議員が、税金の使い方を歪めるのだ。ところが、三橋氏は、族議員は専門家であり、税金の使い方を適正ならしめるものだという考え方である。
マスメディアの族議員叩きの中には不合理なものもあったかもしれないが、そうはいっても、三橋氏は族議員を賛美しすぎではないか。
三橋氏は、族議員批判に反論するが、これがまた凄い。
「現時点で政治家の族議員化を否定する方に対しては、以下の三点から反論したいわけです。
1.そもそも、有権者の我儘を聞いて裁量的な予算編成を行うことも、「有権者から選ばれた政治家」の仕事である。これを否定してしまうと、民主主義や国民主権の否定につながってしまいます。
2.総需要が不足しているデフレ期には、政府の無駄を排するよりも、需要創出で国民の所得拡大を促す方が優先順位が高い
3.責任を取らない官僚「主導」で予算を編成されるよりも、選挙で落選する可能性がある政治家主導で予算を編成した方が、同じ「裁量的」であっても、まだマシ」
正直、呆れた。三橋氏以外にこういうことを言う人はいるのだろうか。1.そもそも、有権者の我儘を聞いて裁量的な予算編成を行うことも、「有権者から選ばれた政治家」の仕事である。これを否定してしまうと、民主主義や国民主権の否定につながってしまいます。
2.総需要が不足しているデフレ期には、政府の無駄を排するよりも、需要創出で国民の所得拡大を促す方が優先順位が高い
3.責任を取らない官僚「主導」で予算を編成されるよりも、選挙で落選する可能性がある政治家主導で予算を編成した方が、同じ「裁量的」であっても、まだマシ」
1だが、族議員がいないと民主主義が否定されるのだと言う。しかし、二階議員を見ればわかるように、族議員はバラマキによって票を買収するのである。いったん利権ができると、当該政治家のみならず、後継者まで落選させられなくなる。これこそが民意を歪める民主主義の否定ではないか。
また、国会議員が全国民の代表(日本国憲法43条)であることを分かっておれば、こんなことは言えないはずだ。有権者のわがままをきくことが国会議員の仕事だとは、自由委任の考え方に反するし、衆愚政治でもある。
2だが、族議員がいなければ需要創出政策ができないものでもない。議員に専門的知識が足りなければ、シンクタンクでも使えばよい。
しかもこの記述は、族議員は専門家であり、予算を適切に使うという先ほどの記述と矛盾する。族議員が税金の無駄遣いをすることを認めてしまっている。族議員が、専門家であり、予算を適切に使うのなら、デフレ期にもインフレ期にもいた方がよいが、三橋氏のこの理屈では、インフレ期には族議員の必要性が低下するということになる。一貫性がない。
3は、むしろ族議員を否定する方向の話題だと思われる。予算決定権こそが政治権力であり、政治権力は適切に行使されるべきである。しかし、族議員は、地元に予算を引っ張ってしまい、政治権力の適切な行使を妨げる。ならば、族議員などいない方がよい。
三橋氏は、自身の論理的思考力を誇ってみせることがある。
しかし、この記事が論理的だとは思えない。
なぜそうなるか。理由は単純だ。
族議員肯定という結論が先にあるから、論理が歪むのだ。
ついでに、三橋氏は、2011年9月20日のブログ記事「続 真に危機感を煽るべきこと」という記事で、公共事業批判に反論しているので、これも紹介する(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11023544330.html)。
私も、公共事業の必要性自体は否定しない。
しかし、三橋氏の理屈が凄い。
「公共投資、公共事業批判の前提が、
「日本は道路などの公共事業が多すぎる!減らすべきだ」(←虚偽情報)
「土建屋を儲けさせるだけだ!」(←公共事業を請け負う企業の利潤拡大を批判するのは、資本主義の否定と同じ)
「政治家との癒着が起きるだけだ!」(←政治家個人の問題で、公共事業の必要性とは無関係)
「日本には無駄な公共事業が多すぎる!」(←「無駄な公共事業対公共事業総額」といったデータが示されたことはない。そもそも、無駄な投資など民間も山ほどやる。)
などなど、意味不明なものばかりなのです。」
公共事業が多すぎるのが虚偽情報だというのはおそらく当たっているのだろう。政治家の利権を作らないために必要な公共事業すらしないというのも本末転倒であり、これも当たっているだろう。「日本は道路などの公共事業が多すぎる!減らすべきだ」(←虚偽情報)
「土建屋を儲けさせるだけだ!」(←公共事業を請け負う企業の利潤拡大を批判するのは、資本主義の否定と同じ)
「政治家との癒着が起きるだけだ!」(←政治家個人の問題で、公共事業の必要性とは無関係)
「日本には無駄な公共事業が多すぎる!」(←「無駄な公共事業対公共事業総額」といったデータが示されたことはない。そもそも、無駄な投資など民間も山ほどやる。)
などなど、意味不明なものばかりなのです。」
しかし、公共事業の否定が資本主義の否定だとは、にわかに信じがたい。公共事業は資本主義を成立させる要件なのだろうか。全く関係ないように思うが。公共事業を請け負う土建屋が廃業すると資本主義全体が終わりを告げるというのは、不思議である。
ひどいのは、最後のものである。民間だって無駄な投資を山ほどするから無駄な公共事業をやってもよいなどというのは、暴論である。民間と公共では、投資のリスクが全く違う。民間は、自分の資金を投じ、リスクを自分で負担する。他方、公共は、国民から徴収した税金を投じるのである。自己責任の民間投資と、自己責任ではない公共投資とでは、無駄の許容性も違って当然のはずだ。
意味不明なのはどちらなのだろうか。
デフレ脱却のためには公共事業の査定は甘くていい?
族議員は専門家であり必要な存在?
三橋ブログの族議員関連の記事を見ると、族議員擁護という結論先にありきで論理が歪んでいる。
つまり、ポジショントークということだ。
国土強靱化という空前絶後の利権が生じそうな事態だからこそ、二階議員のような族議員が失脚し、税金が不正に使われることが回避された方が望ましいのではないか。
このままでは、親中派が肥え太るのではないかと危惧する。
百歩譲って三橋氏の族議員論を認めるとして、インフレ期に入ったら、三橋氏はきちんと二階俊博批判をするのだろうか。
まぁ、その時には二階議員は引退しているかもしれないが。
後継者も安泰だろう(上記プレイボーイ記事によれば、二代先まで後継者が決まっている。次は元秘書、その次は二階議員の息子である。)。
ところで、公共事業にデフレ脱却効果はどれくらいあるのだろうか。
三橋氏の解説を聞いていると、370億円の公共事業を行ったら、少なくとも370億円分のデフレギャップが埋まり、デフレ脱却に資すると考えるだろう。
しかし、飯田泰之准教授によれば、この説明は誤りなのだ。
ミクロ経済学の基礎なしにマクロ経済学ばかり学んでしまうと、こういう誤りに陥る(http://youtu.be/rzcf-TQwcMs?t=28m26s)。
公共事業がデフレ脱却効果を発揮するには、失業者が大量に新規に雇われる必要がある。
そうでないと、公共事業は増えたけど民間事業は減るということになってしまい、大したデフレ脱却効果は得られない。
そして、現在の建設業は、機材が高度化しており、これを扱える専門技能がないと戦力にならないため、そう簡単に失業者が大量に雇われるという事態にはならない。
ミクロ経済学を押さえていないと、現実的な思考ができないのだ。
飯田准教授は、ミクロ経済学の応用がマクロ経済学だという。
また、飯田准教授は、別の番組で、消費税増税による景気の落ち込みを下支えするのには、公共事業は不向きであることも指摘する(https://www.youtube.com/watch?v=t7C8cGtUuD0)。
二階俊博議員は、安倍自民党の獅子身中の虫である(http://net.keizaikai.co.jp/archives/7830/2)。いや、獅子”親中”の虫か。多額の税金を蚕食してきた前科もある。
国土強靱化にたかるこの金食い南京虫は、叩くに限るのではなかろうか(http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1025)。
旗の一本や二本を振っているからといって、この虫が育っていくのを許しておれば、獅子を弱らせることにもなりかねない。