インド世界を読む  | 新書野郎

インド世界を読む 




岡本 幸治
インド世界を読む

「バカの壁」後の竹の子の如く乱立する新書界でもマイナーさでは一、二を争う創成社新書が勝負するのは私好みの「国際情勢シリーズ」なのだが、世界、大欧州、中東、ユダヤ、と来て次がこれ。今後、アメリカ、ロシア、アフリカと続くらしい。ここに「中華」が入っていないのは版元の意向かどうか分からぬが、このインド編の著者は、随分と分かりやすい反中国としてのインドという主軸を打ち出しておられる。この路線では最近、門倉貴史が乱作と言っていいほど絶好調なのだけど、昭和11年生まれの老インド学大家の著者も門倉本から情報を得ている様だ。ともすれば、チャイナスクールにいいようにされてきた外務省から、外交を取り戻す作法としてのインドシフトは批判的な目で見られることも多いのだが、外務省にインドスクールが存在しなかった(あったのかもしれんが)のと同様、学界でもインド研究職というのはかなり日陰の身であったらしく、そうした著者の積年の恨みが、ようやく「反中国」という機運の高まりによって、晴らされようとしているというのも何だか面白いものだ。たしかに、私がインドに「沈没」した頃でも、インド本というと、中村元みたいな印哲だったり、藤原新也みたいな「放浪」だったりみたいのばっかりで、椎名が捩った堀田善衛の本もまだ現役古典としてもてはやされていた。そしてドミのベッドの下にはなぜか現在死刑囚となった男が空中浮遊している表紙の本が転がっていたものだ。小熊英二の「インド日記」や中島岳志が出てきたのも2000年に入ってからだと記憶しているが、現代インドを「等身大」で捉えることは90年代まで、ナンセンスなことと思われていた。そこに「英語」なら、わざわざインド研究なんかではなく欧米に向かうという極めて実利的な理由があったのか知らんが、似たような理由で説明されるインド人の日本留学の数の少なさについて、著者はバングラデッシュやスリランカからの留学生の方がインド人留学生より多いという事実を挙げ、日本側の努力不足であるとしている。なるほど。三十年以上インドに通い続けて反日家のインド人には唯一人も出会ったことがないと言うのは中国を念頭に置いたものだと思うが、まあこれにも異論はない。私も親日家インド人にはイヤというとほど会ったが、日本語を話すインド人ほど気をつけろというのが旅行者の「常識」になっていたので、会う前からイヤと思っていたことも白状しよう。あの中には少なからずの「純親日」が混じっていたはずだが、どんなに邪険にされても、「反日」に転じないのも人間とはそういうものだというインド的合理思考があったのかもしれない。そこの辺が中国に疲れたからインドという自然の摂理を招く理由なのだろうか。ただ、この著者には「敵の敵は味方」という「記憶」があるのかもしれない。しかし、この人はシリーズの編者とは全く正反対の「思想」の持ち主ということになるが、その辺は何か揉めたりしなかったのかな。何か著者の言うところの「冷戦時代のねじれ現象」と通じるものもあるが。
★★