【試演会アーカイブその5】まとめ | 戯曲勉強会ビオロッカのブログ

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東京外国語大学公認演劇サークル劇団ダダンを
母体に発足した勉強会です

演劇に携わりたい人達の受け皿のような存在になれたらいいな、
とおもっています

まとめとして、今回の試演会の反省を綴りたいと思います。

今回の試演会は、狂言のおかしみを分析することにありました。

「戯曲勉強会」という看板を掲げている以上、戯曲を読むのがその第一の内容なのですが、
今回は、戯曲の条件となるもの、つまり、戯曲がどのように視覚化されるのかという、
いわば「演技の形式」に焦点を当てることとなりました。

によって生じるすきまをどのように作り出すか、それが「名取川」で目指したところでした。
型は、台詞を発する当の人物が寄りかかることのできるものです。
「これを変えなければ誰からもとやかく言われることはない」と。
しかし型は同時に頑固であることを意味してしまいます。
「今までの自分であるためには、これを変えてはいけない」のです。



私たちは「名取川」のお坊さんの困った性格と、型のもつ両面性に親和性があることを見つけたのでした。
また名取のなにがしも同じような人物にしてみました。
そうすることによって、どちらも歩み寄ることが決してない頑固対頑固型対型の戦いです。




「相撲」は、実は稽古場では「太郎冠者は来ない。」というタイトルで呼ばれていました。

ちなみに、使用した台詞は狂言「蚊相撲」の冒頭です。
言葉が通じるように少しだけ改めました。

ある日、部室を引っかきまわして、棒状のものをいくつか取り出してきました。
つえ、竹刀、造花、棒きれ など
実はすり足の練習のために使おうと取りだしたのですが、それで少し遊んでみることにしました。
色んなものを持って、狂言「素襖落」の、大名が出てきて太郎冠者を呼び出すまでの冒頭の部分を交代交代でやってみたのです。
そのため、最後「ヤイヤイ太郎冠者あるかやい。」でもちろん太郎冠者は出てきません。
なんとなくそのとき、大名のさみしさが感じられました。
しかし同時に大名の威厳があるので、太郎冠者にこびることもできません。
この大名もまた、型に縛られる男なのです。

に縛られる人間をじっくり考えるために、「太郎冠者は来ない。」は書かれました。

に縛られているがゆえに、台詞は繰り返したものだけで、行動はエスカレートしていきます。
そのギャップと、空間の使い方が上手く噛み合わさったので、お客さんから大きな笑い声をいただけたのだと思います。

さて、型に縛られているがゆえに、体を使うことによって、また顔の表情を使って心境を伝えることは禁じられています。
謎の凝り固まった姿勢と直面がそれでした。
しかし抑制を効かせることによって、むしろある一つの手段に集中することができました。
それが「声と呼吸」でした。
詳しくは【試演会アーカイブその2】に掲載されております。



しかし個人的な感想をいえば、呼吸を使ってお客さんの心をつかむことは達成されませんでした。
当たり前のことなのですが、稽古場の時よりも人が多く、そのぶん布の量が増えますので、吸音されてしまいました。
それと役者が緊張してしまったため、声・呼吸の繊細な操縦が稽古場よりもはるかに単純化されてしまいました。
こういうとき、芝居の中のレベルとは別に、役者にとって寄りかかるものとしての「型」が必要なのかもしれません。

さて、今回で試演会の報告を終了します。
これからの戯曲勉強会ビオロッカの活動にご注目ください!

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