Poèmes [2011] | ビフリュオレ通信<BIFLUORESQUEMENT VOTRE>

Poèmes [2011]

Poèmes [2011, EPM/Universal 2764867]
CD11

*邦題は仮の筆者訳です。詩の翻訳が出版されているものがあれば、更に調べて後日修正しますが、いずれにせよ翻訳につけられた題もひとつとは限らないということをお考えに入れて下さい。
01 Gaspard Hauser chante (Paul Verlaine "Sagesses")<試聴>
  「カスパー・ハウザーの歌」ポール・ヴェルレーヌ (1844-1896)
  『叡智』所収
02 Les loupiots (Aristide Bruant)
  「餓鬼ども」アリスティッド・ブリュアン (1851-1925)
03 Ecrit après la visite d'un bagne
   (Victor Hugo "Les Quatre vents de l'esprit")
  「徒刑場を訪れて」ヴィクトル・ユゴー (1802-1885)
  『精気の四風』所収
04 La tour Eiffel (Maurice Carême "Le mât de cocagne")
  「エッフェル塔」モーリス・カレーム (1899-1978)
05 Le hareng saur (Charles Cros)
  「薫製鰊」シャルル・クロ (1842-1888)
06 Le dormeur du val (Arthur Rimbaud "Poésie")
  「谷間に眠る男」アルチュール・ランボー (1854-1891)
  『詩集(ポエジー)』所収
07 Stances à Marquise (Pierre Corneille)
  「公爵夫人に捧げる詩」ピエール・コルネイユ (1606-1684)
08 Quand n'ont assez fait dodo (Charles d'Orléans)
  「おねんねが足りないと」シャルル・ドルレアン (1394-1465)
09 Le pont Mirabeau (Guillaume Apollinaire "Alcools")
  「ミラボー橋」ギヨーム・アポリネール (1880-1918)『アルコール』所収
10 Le pauvre honteux (Xavier Forneret in Vapeurs)
  「哀れな恥知らず」グザヴィエ・フォルヌレ (1809-1884)『湯気』所収
11 La flûte (Edmond Haraucourt)
  「フルート」エドモン・アロクール (1856-1941)
12 L'invitation au voyage
  (Charles Baudelaire "Les fleurs du mal")
  「旅への誘い」シャルル・ボードレール (1821-1867)『悪の華』所収
13 Demain dès l'aube (Victor Hugo "Contemplations")
  「明日、夜が明けたら」ヴィクトル・ユゴー (1802-1885)
  『静観詩集』所収

 ライヴ・レポートの前に取り急ぎ、3月21日リリースの新譜について。前作「冗談以外は全て本当」の「シャンソン史」の次は「文学的シャンソン」である。このグループをよく知るファンにとって、詩・ポエジーは常に彼らのレパートリーの一部をなしてきたので、驚くことではない。しかしそれでも専ら替え歌・パロディで知られているグループが、このようなアルバムをこのレコード業界不振の中あえて世に問う、というのは大胆なことに違いない。
 13タイトル全て古今のフランス詩作品の中から選んだ詩に、シルヴァンが作曲したもの。中には「文学的シャンソン」の代表例としてレオ・フェレ Léo Ferréの作曲であまりにも有名な「ミラボー橋」に新たに曲をつけたものもある。
 非常に彼ららしいアルバムだ。まずそのヴァラエティ豊かさにおいて。詩人・詩作品の選択(時代、テーマ、有名無名、古典の大作家あり下町のシャンソニエあり)、曲のスタイル、ヴォーカルと伴奏のアレンジ、声の使い方。それぞれがひとつひとつの詩の内容にぴったり合っている。例えば08は古楽風の曲にのせて、おねむな子供達の姿が浮かんでくるような歌い方。03はシルヴァンが二人のバックコーラスにのせて朗読するスタイル。「人間は犯罪者として生まれるのではなく、教育を受けられないから罪を犯してしまうのだ」という文豪の訴えがひしひしと伝わってくる。
 そして、それぞれのタイトルがちゃんと歌 chansonになっていることにおいて。初めて聴いているのにすぐに一緒に歌いたくなったり(特に「私は大きなキリンなの」とエッフェル塔が語る04)、聴き終えてからその一節がいつまでも頭の中に残ったり。もともと詩として書かれた詩をシャンソンにする試み mise en chanson は沢山行われているが、こういう幸せな体験をする例に出会うことは再々ない。「僕らがやってるのはchanson」と言っているだけのことはある。
 取り上げられた詩作品の中には極めて有名なものや、他のシャンソンやクラシックの作曲家によって既に曲付けされているものもある。それらにあらかじめ馴染んでいれば、新たに曲付けされたものに違和感を感じることがあるかもしれない。筆者の場合12にちょっととまどった。えらく速いなと感じたのだ。そのことで自分がこの詩をゆ~っくり読んでいたことに気付いた。大学で受けた講義の影響だろうか。こういう違いを発見するのも楽しい。
 そして何といっても「笑い・ユーモア」、これは「文学的」であろうと彼らに欠けることはない。先述した04、08に加え、あっとおどろくオチがついている10は場面をテンポよく切り替えて一気に落とし、「俺が死んで骨になったら、その中から大事な1本を取ってフルートにしてくれ」と何とも意味深(?)な11は、笛の音にのせて弾むように踊らせ、1人の男が壁に薫製鰊を吊り下げるだけというナンセンスなストーリーの05は、アニメーション映画が脳裏に浮かんでくるような構成、とそれぞれテクストのユーモアがしっかり引き出されている。しかし全体をとおして聞き終わった時に残る印象は、笑いよりもしんみりしたものだろう。ロマンチックな12に続いて13は「僕はこれ以上君と離れていられない、だから明日、夜が明けたら君のもとへ向かう。僕には分かってる、君が僕を待っていると」という詩だが、その向かう先は「君」の眠る墓なのである。語りで始まり次いで叙情的なメロディにのせて歌われる、悲しくも美しい歌がアルバムを締めくくっている。