第321篇:インドから「閑中閑話」-II(8) | 画像ブログ『駐在員のインド漫録』

第321篇:インドから「閑中閑話」-II(8)

1991年‐1994年、私は米国ワシントン州シアトルに駐在しました。先般、その時の部下だった西インド・グジャラート州出身のデサイ氏(55歳)がバローダの私を訪問してくれました。デサイ(Desai)という姓は、グジャラート州のブラーミン(ヒンドゥー教のカーストにおける最高位の僧侶階級)です。彼はバローダにあるグジャラート州の名門であるMSU(マハラジャ・サヤジ大学)を卒業した後、米国東海岸マサシューセッツ州ボストンにあるノースイースタン大学の修士課程を卒業したあと米国でサラリーマンとなりました。当時、白人を主体とした30名の私の部下の中で、デサイ氏が一番優秀でした。当時から彼は私に、いずれインドへ戻ってインドの発展に貢献したいと話していましたが、実現できていません。ご長女はジョンズ・ホプキンス大学の医学部を卒業して、米国の医療現場で活躍しています。その当時、氏から娘が試験で全米トップ5%に入ったなどという話を聞いていたので、医学ではハーバード大学に並ぶ米国最高峰のジョンズ・ホプキンス大学医学部に合格したという話を聞いた時、さすがだとデサイ氏にお祝いの言葉を述べました。優秀な3人の彼の子供たちは、米国で活躍しています。もうけっして若くないデサイ氏がインドへ戻る時は、ヒンドゥー教の「四住期」における人生最後段階である死に場所を見つける旅へ出る「遊行期(ゆぎょうき)」に入ってからかもしれません。









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積層岩は芸術的である。








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岩山と樹木の緑の対比がいい。








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チベット仏教寺院のへミス・ゴンパ(僧院)から下山する途上の景観。








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標高3,500mのラダック・レーの景観。






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