【江戸】刺青をした飛脚と火消したち・・・★浮世絵職人が色づけした貴重な写真♪
「 なんか足寒いなぁー 」
パンダです!ヽ(゚◇゚ )ノ
こんにちわ★
いや、ガクです!
さぁ~一週間がまた始まりましたねぇ~!!
また寒く成りましたが、もううんざりですね。。
そんな事ぼやいても、
地球は今日もぐるぐる回っております!(`・ω・´)ゞ
今週も頑張りましょう♪
そんなこんなで前回は・・・
地球を侵略する気なんてサラサラ無い、
アニマルたちをご紹介しましたが、
今回は、日本の文化の1つ「刺青」ネタでございます!
しかも、今回はその中でも意外と貴重な写真です。
大河ドラマの「八重の桜」も始まりましたが、
日本の歴史を語るうえで、近代化の転換期になった
江戸時代がやっぱり面白い!!
そんな江戸時代に華開いたのが刺青なのであります♪
WAHT’S 刺青?(´・ω・`)
日本の刺青(入れ墨)文化は、江戸時代中期に
確立されたと言われている。
19世紀に入ると入れ墨の流行は極限に達し、
博徒・火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業では、
刺青をしていなければむしろ恥であると見なされるほど
になったそうです。
本日紹介する写真は、木版画(錦絵)に代わって
写真が急激に普及した明治時代に、仕事が減った
浮世絵職人たちが、写真家の依頼で、
モノクロの鶏卵紙写真(材料に卵の卵白を使った
プリント技法)に一枚づつ手作業で色付けをした
手彩色写真たちです!
寒いし、熱いソウルなBGMでも聞きながら是非♪
http://www.youtube.com/watch?v=unYdvA_8RgU
浮世絵職人による
刺青をした飛脚と火消したち
江戸時代初期は、犯罪抑止の目的で町人に対する
入墨刑が用いられていたが、これにより容易には消えない
入墨の特性が一般的に再認識され、その身体装飾への
応用が復活した。
その後、遊郭などで、遊女が馴染みとなった客への
気持ちを表現する手段として、「○○命」といった入れ墨を
施す「入黒子」と呼ばれた。
表現方法が流行し、古代から継承された漁民の入れ墨や、
経文や仏像を身体に刻む僧侶の入れ墨といった、
様々な入れ墨文化が町で交わり、浮世絵などの技法を
取り入れて洗練され、装飾としての入れ墨の技術が
大きく発展した。
装飾用途の入れ墨は入墨刑とは明確に区別され、
文身と呼ばれることが多く、江戸火消しや鳶などが
独特の美学である『粋』を見せるために好んで施したほか、
刑罰で入れ墨を施された前科者がより大きな入れ墨を
施すことでこれを隠そうとする場合もあった。
当時人気のあった刺青の図柄は、水滸伝や武者絵など
浮世絵の人物や竜虎や桜花などだった。
「額」と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位
にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で
色彩豊かな入れ墨の技法は、この時代に完成された。
よっ!日本いち!!ヽ(゚◇゚ )ノ
ー Did anything remain ? ー
興味深い写真でしたねぇ~♪(´∀`)
これもまた日本の大切な歴史の1つです。
にしても、「〇〇命」の入れ墨の「入黒子」が
見てみたいです! (^ε^)
昔のヤンキーみたいな文化って昔から
あったんですね♪笑
でも、自分が入れるとしたら・・・
猫命!( °д°) てやんでぇ!
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世界の名言から感銘を受けた
モノを厳選して紹介します
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「 名言その44 ・・・ 」
「 教育」について
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明日死ぬと思って生きよ。
不老不死だと思って学べ。
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1869-1948
インド建因の父
Mahatma Gandhi マハトマーガンジー
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