25歳 | 「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

かけがえのない大切な時の流れ・・・
心の窓を開いて望む一瞬の風景を、優しい言の葉で綴ります。



ちょっとちょっと~~、真夏に逆戻りしたかのように、じりじりと暑い日差しの中を帰宅しましたよ 晴れ 晴れ

9月の半ばでも、こんなに暑くていいのか?!黒服族にとっては、まだまだ辛い日々であります あせる


一昨日(13日)は、二男坊主の25歳の誕生日でした。 Happy Birthday to You 音譜 音譜

なんだかんだと言いつつ、四半世紀を生き抜いたのね(^0^)/


「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  


                      生クリームがイマイチだったなあ~~(涙)


25年前の夏の盛りに、すいか大のお腹を抱えたナンチャッテ妊婦は、まだ1歳半のわけのわからん

長男坊主に振り回されながらも、ボテボテと動きつつ、早く身二つになりたいと願っておりました。

上の子の妊娠中は、毎月の健診も少し離れた総合病院へ、気楽にバスで通えたのですが

さすがに第二子となると、歩き始めたばかりの赤ちゃん連れの通院に便利な、自宅近くの産婦人科を

選択しました。院長が女医さんだったので、優しいだろうな~~と思いきや、なんのなんの厳しい(笑)

ひと月ごとの体重増加も、1キロ以上増えてたりすると、「ダメじゃないの!!」と説教の嵐 むかっ

おまけに、どうしても上の子を抱っこしてしまうせいか、8ヶ月目の後半あたりから少し下がり気味になり

腹帯を持ち上げるように巻いて、なんとか10ヶ月めまではお腹の中で育てようと、アセモとも闘いながら

臨月に手が届いたのが、9月12日の健診日でした。その日、エコーで赤ちゃんの位置や心音を確認し

先生は、「よし、もういつ生まれても大丈夫でしょう。」「はい、では明日にでも!」と私(^^)v

帰宅して入院の準備も整え、もう産む気満々です。当時住んでいたのは、3階建てのアパートの1階でした。

夕方から、3階までの階段を数往復上り下りしたところ、なんとその夜に陣痛が始まったんですよん♪

第一子から超安産だったために、今回は用心のために、まだそれほど陣痛の感覚が頻繁になっていない

うちに、病院へと向かいました。2人部屋のベッドで腰をさすりながら、じわじわと強まる痛みとバトル!!


定期的に様子を伺いに来る看護師さんも、「じゃあ、そろそろ分娩室へ・・・。」と早めに移動させてくださり

早朝4時の静まり返った分娩室の分娩台にロックオン(笑) 担当の助産師さんはまだ新米風で

状況次第で院長に連絡して、立会いのもとで産む手はずになっていたのだろうと思うのですが・・・(^^;)

強い痛みがひっきりなしに襲ってはくるものの、助産師さんはまだ大丈夫だろうと、ちょいと別室へと

私のそばを離れていかれた直後に、強烈な陣痛が始まり、ヒッヒッフ~~どころじゃないっての(汗)

「すみませ~~~~ん!生まれそうです~~~~!」大声で叫ぶと、例の助産師さんがあわてて戻り

「ちょっと待ってて。まだ生んじゃダメです~~。」 そんなん無理ですよ、アナタ(笑)

なにやら頭がツルンと出たような感覚がありましたもん。結局、新米助産師さんは院長を呼ぶ間もなく

飛び出たおサルさんをナイスキャッチ!! 院長が駆けつけたときには、すでに身二つになっちゃってた。

産後の処置をしていただいて、一安心で睡魔に襲われ始めた頃、別室から聞こえてきたのは、院長の

怒りの声・・・「無事に生まれてきたから良かったものの、何かあったら大変なのよ~~~~!!」

あああ、ごめんなさいね。私のために、未来ある助産師の彼女が叱られてしまって申し訳ないっす 汗

生まれた二男坊主は、36週目にして2940グラム。まともに40週まで待ってたら、お産がもっと

大変だったことでしょうな。それでもやっぱりちっちゃな赤ちゃんです。自室に戻り、添い寝をしていると

病院から連絡をもらってダンナが長男を連れて会いにきました。前日までそれほど思わなかったのに

もの珍しそうに赤ちゃんのそばに近づいてきた長男が、化け物のように(笑)大きく感じたことを、今でも

強烈に覚えています。いやホントに、怪獣のように見えたんですってば (^▽^;)

退院と同時に、義父母が四国から手伝いに来てくださり、1週間ほど滞在してお世話になりましたが

その後はまた夫婦だけで子育て戦争が始まりました。満3か月の健診でアトピー性皮膚炎の診断を受け

満7ヶ月あたりから喘息の発作に苦しむようになり、今思えば、3人の子どもたちの中では、この子が

一番病院のお世話になることが多かったかと思います。強い咳が続いて、一晩中抱いたまま

眠れない日もありました。喘息児を集めた病院付属のプールにも小学校の6年間通い、その時に

徹底して教え込まれた水泳フォームが、後にスイミングスクールの講師として役立ったこともありました。

小・中・高と剣道に汗を流し、目立つほどの成績は出せませんでしたが、指導者に恵まれ友人に恵まれ

培われた精神力は、人生の糧にはなっていくはずです。リーダーとして引っ張っていくタイプでは

なかったのに、高校で引き受けてしまった生徒会長の重圧は、ある日、声が出なくなってしまうという

ストレスとして降りかかりましたが、幸いにも数週間で元に戻ることができ、今となっては笑い話と

なりました。自分の道が定まらず、転職を繰り返してはいるものの(現在は、サラリーマン中^^;)

きっとどれも無駄な経験ではないはずと、私たち夫婦は信じています。

一時期流行した「♪ダンゴ三兄弟」の真ん中は、デカイ兄ちゃんと小生意気な弟の間に挟まれて

口には出さずとも多少のプレッシャーは感じているようにも思いますが、一人ひとりみんな違って

みんないい(by 金子みすずさん) 恋愛からも遠ざかっているようで、彼女もいなければ結婚も

他人事の、只今25歳。いつまでも、夢見る夢男くんでは困るけれど、もうしばらくは好き勝手に

生きてみてもいいかな。(あ・・・老後はよろしく頼むよ!! 大脅威?! ドクロ )