いつも読ませていただいているMiaさんのブログ☆


高次元のバイブレーションになるということ



まさにMiaさんが書かれていることと

同じような体験をしました。

彼と会う日の予定がお仕事の都合で

延期になったんです。


久しぶりに会えることが楽しみで

わくわくしてた私は

仕方ないよね、って思いながらも

いろーーーーーんな感情を感じました。



えー。会えないの?!

悲しい。

彼がこの日って言ったのにー!

やっと会える約束だったのに!

少しくらい時間作ってくれたっていいのに。

私のことが大切ならそうしてくれるんじゃないの?

あーぁ。泣。結局私なんてそんなもんだよね。

やっぱり私は愛されてないのかも、

私は大切になんかされてないのかも。

優しくされてないって感じる、イライラする。

なだめられてる感じもイライラするー。

彼に合わせてばっかりで疲れた

もう信じたくない

こんな風に感情をかき乱されるのが

めんどくさい


もういい

もうイヤ

もう振り回されたくない!



でもやっぱり...

私のこと大事にしてほしい(´□`。)




怒り憎しみや、疑い、恐れ、

ドロドロした感情もいっぱいいっぱいあふれてきました。

でもどんなことも感じていいって自分を許してあげました。



あふれてくる感情を心の中で言葉にしていたら

いろんなのことを溜め込んでいたわたしを感じました。




そして本当のわたしは
悲しいよ。
寂しいよ。
って泣いてた。



相手を不快にさせないように
相手に嫌われないように
寂しいくせに無理して明るい笑顔のフリ。
いままで好きな人のためにしてきた
我慢、それはもうできないよ、”無理だよ”って
わたしの中から叫んでいるのが聞こえたから
いつも”すぐに、返信しなきゃ”
って思って送信してた返信も
やめました。

今は書けない、って伝えました。
それでどう思われても”これがわたし”だからって。
自分を許しました。



1日。
自分に自分の感情を解放してあげる時間をあげました。


どう思う?
どうしたい?

をリピートしてました。




そしたら内側では
確かに悲しい気持ちも寂しい
気持ちも存在してる。
でも大丈夫。
わたしがいるじゃん。
どんなわたしも私だよ。
私は愛されてる。
って平穏な世界があって。

彼の言葉を読み返してみると
ちゃんと私のことも考えてくれているし
内側で”思い”の部分に繋がれば
不安や疑いじゃなくて
愛であることを感じたんです。


エゴは目の前の出来事が
真実だと主張してくるけれど
内側はわたしへの愛であふれてる。


だからその内側で起きたことを
伝えようって彼に返信書きました。


残念な気持ちがぬぐえなくて
なかなか返信が書けなかったこと。
お仕事を応援していること。
私のことを気づかってくれていることの感謝。


彼がどう思ったかはわからないけれど
私は自分を伝えられたことで◯にしました。


その先の結果に執着しないで
”自分を伝えること”を
大切にしていこう、って思いました。



自分の中の声を
表現することはとても恐くて
足がすくんでしまうけれど
少しづつ少しづつ慣れていきたい☆



それと、私、昨日の記事で

胸がざわつくのは

私が私の中心にいないからかなー。

って書いたんだけど。



深く考察していくと

わたしが思っていること

わたしが表現したいことに対して


彼がどう思うか

彼にどう見られるか


そこに意識が向いていたから

ザワついていたんじゃないかなと思います。




それでもしかしたら

”恐れ”を感じる時って

”自分を見れていないとき”

”自分の中心にいないとき”

なのかもしれない・・・って☆





それでね、

外側だよ、外側だよ~と

ささやきかけてくる

エゴを手放す」って

=自分の中心に還る

ってことなんじゃないかな。




どんなことがあっても

自分への愛を選びつづける



自分の声を聞きつづける
自分の内側にある愛を感じ続ける

ひたすらに
自分の中の愛を選びつづける



出来事を通して

いつも自分の中心にいることを

”思い出して”いるように感じます。





とてもベストなタイミングで


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