かなりの長文になったので、書くのに何日もかかって更新が遅れましたが、引き続き、武者番付の「源平武者競」を紹介します。


 東(鎌倉方)の二段目 です。

 大河ドラマ📺「鎌倉殿の13人」の俳優さんと合わせて紹介します👍



 土肥二郎実平(阿南健治さん)に続き、仁田四郎忠常(高岸宏行さん)がいます。

 過去記事

http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12728416564.html 


ではスルーしましたが、富士🗻の巻狩で、突進してきたイノシシ🐗を仕留めて頼朝(大泉洋さん)を守った人です。このエピソードは、2月15日のBS日テレ📺ぶらぶら美術・博物館でも紹介していましたが、いずれ載せますね👍


 佐々木三郎盛綱は、一段目にいた佐々木四郎高綱の兄です。そして、甲斐源氏の武田信義(八嶋智人さん)に続き、今井四郎兼平がいます。兼平は、1番左にいる兄・樋口次郎兼光とともに木曽義仲の四天王であり、義仲の最期を見届けて自刃した勇者です。そして、私が大好きな巴御前の兄です爆笑


過去記事

http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12728011449.html 


http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-11065095490.html 


http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-11065127767.html 


http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-11090318740.html 



 兼平の次は、熊谷二郎直実。あの敦盛を討ち取って、出家した武将です。


過去記事参照

http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726338737.html 


 樋口次郎兼光の右は、梶原景時の子・梶原源太景季。あの宇治川の先陣争いで、一段目の佐々木四郎高綱と競った若武者です。


http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726310714.html 


 3月13日、二度目に見た時は、景季について、新たに「箙の梅」というエピソードを知ったので、また紹介します👍


 このように、東(鎌倉方)は、一段目、二段目と、これまでに紹介した武将たちがどんどん登場しますウインク


 対して、西(京都方)の二段目。こちらは、平家一門が中心です。



 右端の越中前司盛俊も一門のような気がしますが、どうやら、家臣の平盛国(大河ドラマ📺「平清盛」では、上川隆也さん)の子のようです。しかし、父の盛国は見当たりませんねショボーン


 次の小松中将資盛(すけもり)は、小松と付くことからわかるように、小松内府(清盛の長男・内大臣重盛)の次男で、一段目に載っていた維盛の弟です。つまり、清盛の孫。まだ13歳ぐらいの頃に、摂政(関白)・藤原基房の車(もちろん自動車🚗じゃなくて牛車🐮です😁)に道を譲らなかったとして、基房の部下たちに車をボコボコにされたというエピソードがあります。まあ、基房側の言いがかりだったのでしょうが、怒った平家は仕返しをしますムキー 数カ月後、摂政の車が武士たちに襲われ、従者が何人かマゲを切られたそうですガーン で、面白いのは、平家物語では、清盛が悪役で息子の重盛は善人(なだめ役)なので、清盛が孫かわいさに基房を襲ったという話になっていますが、九条兼実の日記「玉葉」や高僧・慈円の日記「愚管抄」では、重盛が主導したと書いているのです。ちなみに、兼実と慈円は、基房の弟です。

 つまり、実際の重盛はそんなに人格者ではなく、平家物語は、清盛を悪役にするために、重盛を「いい人」として盛っているのですね。10年前の大河ドラマ📺「平清盛」では、清盛が松山ケンイチさん、重盛が窪田正孝さん、基房は細川茂樹さんでした。「お許しを。」と泣く基房が哀れでしたえーん


 資盛の話が長くなりましたが、その次は、清盛の五男・三位中将重衡(本三位中将と書いている本📙が多いです。)。この人は、東大寺の大仏を焼いた張本人ということになっていて、一ノ谷の合戦で捕虜となり、後に南都に送られて斬られましたえーん イケメン貴公子だったと言われています。


 その次は、大納言・平時忠。この人は、同じ平氏でも、ちょっと違う家柄です。桓武平氏は、桓武天皇の孫の代で、高棟王の系統(公家・堂上平氏)と高見王の系統(武士)に分かれました。あの平将門は、高見王の曾孫です。もちろん、清盛も高見王の子孫です。時忠は、高棟王の子孫で、武士というより中級貴族の家柄です。姉の時子が清盛の妻になったこともあり、清盛の義弟として力を持ちました。「平家にあらずんば人にあらず」という傲慢なセリフは、時忠のものと言われています。大河ドラマ📺「平清盛」では、森田剛さんが憎たらしい感じで時忠を演じてましたグラサン(平家が滅亡後のナレーションで「時忠は、しぶとく生き残った」と言われていましたてへぺろ) ちなみに、時子役は、深田恭子さんでした。可愛かったなあラブ


 丹後侍従忠房は、私も知らなかったですが、系図では、重盛の末っ子(清盛の孫)です。


 伊東祐親は、伊豆の豪族で、曾我兄弟の祖父です。大河ドラマ📺「鎌倉殿の13人」では、主人公・義時(小栗旬さん)の祖父で、浅野和之さんが演じてました。前々回に殺されましたねえーん


 次の無官太夫敦盛は、清盛の弟・経盛の子で、先ほど書いた源氏方の熊谷直実に討たれたことで有名です。


 次の斎藤別当実盛は、木曽義仲との関わりが深い人です。元は源氏側にいて、まだ赤ちゃんだった義仲を助けました。後に平家側で戦った時は、かなりの老齢でしたが、敵になめられないように、髪を黒く染めていました。義仲の軍勢に討たれた時、首を洗ったら白髪になり、義仲もかつての恩人の死に涙したと言います。


 小松少将有盛は、やはり重盛の子です。四男のようで、維盛、資盛、清経の弟、師盛、忠房の兄のようです。

 二段目の説明にずいぶんかかりました😓


 次は、東(鎌倉方)の三段目。


 欄外に巴御前の名前が見えますが、それはまた後でウインク


 右の3人を見ると、備前守・行家を挟んで、佐藤嗣信と忠信の兄弟がいます。いずれも奥州から義経(菅田将暉さん)に従ってきた武士です。嗣信は、2月の記事ではスルーしましたが、屋島の合戦で、主君・義経を狙った能登守教経(さすが小結!)の矢🏹から義経をかばって討ち死にしましたえーん

 この話は、二度目で写真📷を撮ったので、また後日紹介しますね(いつになることやら😅)。

 一方、弟の忠信は、その後も義経に仕えました。碁盤のエピソードは、1月に見て、初めて知りました。


過去記事

http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726601402.html 


 そして、兄弟の間に挟まれているのが、備後守・行家です。源氏の系図を見ると、源為義(大河ドラマ📺「平清盛」では、小日向文世さん)の子は10人書かれ、長男が頼朝や義経の父・義朝(📺「平清盛」では玉木宏さん)、次男が木曽義仲の父・義賢、有名でない人を飛ばして、八男が鎮西八郎為朝(📺「平清盛」では、橋本さとしさん)です。


過去記事参照

http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726384657.html 


http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12728476061.html 


 そして、1番端に書かれるのが、十男・新宮十郎行家です。よく為義の末子と書かれていますが、それは違うようですニヤリ

 保元の乱で、崇徳上皇方について敗れた為義と息子達は、後白河天皇の命令(実際は信西の意思か?)で義朝に斬られました🗡 父と弟を斬るのは辛かったでしょうショボーン この時、まだ幼い弟たち(乙若13歳、亀若11歳、鶴若9歳、天王7歳)も探し出して殺されたえーんといいますから、行家は末子ではないのです。

 為朝は、その強さから、殺すには惜しいと島流しになりましたが、行家もうまく逃げたようです。

 後に、頼朝や木曽義仲が立ち上がるきっかけとなる以仁王の令旨を各地に届けて回ったのが行家ですから、源平合戦に功績があるとも言えますが、大河ドラマ📺「鎌倉殿の13人」では、十郎叔父と呼ばれ、親戚に必ず1人いる胡散臭い人というキャラを杉本哲太さんが演じています。まあ、頼朝と離れた後は、義仲と組み、義仲が義経に敗れた後は、義経と組むというイソップのコウモリ🦇みたいなところもあるから、ドラマや小説では、何か信用できない怪しい叔父さんという風に書かれますニヤリ


 忠信の次は、三浦義澄(大河ドラマ📺「鎌倉殿の13人」では佐藤B作さん)。三浦義村(山本耕史さん)の父です。ドラマでは、義澄は北条時政(坂東彌十郎さん)の親友、義村は主人公・義時(小栗旬さん)の親友という設定なので、親子で重要な役割です。

 次は、土肥信平。私は知らなかったけど、たぶん上の段にいた實平の子か弟でしょうね。1人おいて、一条忠頼は、細川重男さん「頼朝の武士団」(朝日新書)📙によると、甲斐源氏の実力者で、頼朝に殺されたそうです。あとの人は、知りませんガーン


 続いて、西(京都方)の三段目。


 2番目の上総守・忠清は、平家の侍大将・伊藤忠清でしょうか。大河ドラマ📺「平清盛」では、藤本隆宏さんが演じてました。

 4番目の中納言教盛は、清盛の四弟で、能登守・教経(小結)の父。門脇中納言と称されましたが、壇ノ浦の合戦で入水しましたえーん しかし、教盛は、武勇にも優れていて兄・清盛の信頼も厚かったといいますから、もっと上の段でいいはずですプンプン むしろ、教盛の兄・経盛は、歌人、文化人としては優れていましたが、武人、政治家としての評価は低く、一番上の段にいるのは不思議です。教盛と逆でいいような。この番付を作った人は、清盛の死後は経盛が平家の最長老だったことから上に書いたのでしょうか?

 ちなみに、大河ドラマ📺「平清盛」では、経盛が教養はあるけど武芸に弱く、教盛は逆に武芸に強いが和歌とか舞とか貴族的なことはできない、というキャラ設定で、時忠(森田剛さん)に「2人合わせて一人前」とバカにされていて、清盛もそういう扱いをしていましたてへぺろ


 左中将・清経と左端の備中守・師盛は、先ほど二段目で名前が出ました。重盛の子で、維盛、資盛の弟です。武蔵守・知章は、知盛(関脇)の子で、一ノ谷の合戦で討たれました。若狭守・経俊は、経盛の子で、一段目の経正の弟、先ほど書いた敦盛の兄です。この三兄弟は、みな一ノ谷の合戦で討たれましたから、壇ノ浦の合戦まで生き残った父・経盛は悲しかったでしょうえーん


 では、東(鎌倉方)の四段目。



 右端の岡崎四郎義実は、私は知らなかったですが、大河ドラマ📺「鎌倉殿の13人」では、たかお鷹さんが演じています。

 次の那須与一は、扇の的🎯で有名ですねウインク


http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726352527.html 


 佐々木太郎定綱と二郎経高は、弟の四郎高綱(一段目)や三郎盛綱(二段目)より下なんですねショボーン

 根井行親と楯親忠は、二段目の今井四郎兼平、樋口次郎兼光とともに、木曽義仲の四天王です。


 伊勢三郎義盛も、浮世絵によく登場しますが、私はあまり知らなかったです。

 足立(一般には安達)盛長(野添義弘さん)は、頼朝を若い頃から支えた忠臣。

 上総介廣常(佐藤浩市さん)は、もっと上の段でいいと思いますが、途中で頼朝に殺されたから低いのかな?ショボーン


 さて、さっき、欄外に私の大好きな巴御前の名前が見えましたが、それは、この説明にも書いてあるのです。



 そして、過去記事25では、巴御前の下に見える「板」なんとかは、もしかして過去記事19(上の方に出てます。)で、醜女(ブス)ニヒヒとして紹介された板額御前でしょうか?と書きました。

http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12728510063.html 


 では、ここで右の欄外を見てみましょうニヤリ




 欄外に女武者が2人、前頭として載っています。

 上が、よし仲(木曽義仲)妾の巴御前。

 下は、浅利与一妻の板額女、と書いてありますびっくり

 ということは、やはり、この浅利与一は、吾妻鏡で「ブスの板額と再婚するなんて、物好きな爆笑」と御家人たちに笑われた阿佐利与一と同じ人なのでしょう。このブログを書くために巴御前の本📙を読み直して、初めて気付きましたよウインク

 続いて、西(京都方)の四段目。


 さすがに、知らない人が多いです。

 ただ、真ん中に朝比奈三郎義秀の名前が見えます。和田義盛と再婚(というか義仲とは結婚してないですがニヤリ)した巴御前が産んだという伝説のある怪力の武士です。

 右端は、大場と見えますが、大庭景親(大河ドラマ📺「鎌倉殿の13人」では國村隼さん)でしょうね。
 3人目の三河守・知度は、清盛の子で、重盛、宗盛、知盛、重衡の弟です。倶利伽羅峠の合戦の後、討ち死にしました。左の方にいる伊東祐清は、伊東祐親(浅野和之さん)の子でしょうね。祐親と違って頼朝を助けてくれる役柄で、竹財輝之助さんが演じています。

 長くなったので、五段目は次回にします。

 続きます





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