アザラシ(ゴマちゃん、しろたん)大好き、大食い50代のゴマちゃんパパです。


 18日(金曜日)は、休みを取っていました

用事は昼に済ませて、午後は


千葉市美術館
ジャポニスム、世界を魅了した浮世絵

(3月6日まで)


を見てきました
 写真📷撮影🆗のものがけっこうあったから、また後日紹介します(このペースでは、いつになることやら)。

 見た中で、奥村政信「武者絵尽」という作品が4枚ありました(撮影禁止🚫だったから、写真📷はなし)が、これは
森アーツセンターギャラリー
THE HEROES
刀剣🗡×浮世絵
-武者たちの物語-
で見た絵と似てるのがありました。

 橋の上で龍🐲を退治しているような絵は、藤原秀郷か、源頼光の土蜘蛛🕷🕸退治か、頼政の鵺(ぬえ)退治かな?

 渡辺綱が茨鬼と戦った戻橋のような絵もあり、これは女武者か?という絵もありました。巴御前だったのかもしれませんウインク


 この千葉市美術館の紹介は後日にして、また
1月29日(土)に見た

森アーツセンターギャラリー
THE HEROES
刀剣🗡×浮世絵
-武者たちの物語-

の内容を紹介します。特に書いていなければ、ボストン美術館のコレクションです。

 15日(火)のBS日テレ📺「ぶらぶら美術・博物館」でも紹介されていましたね口笛



 前回に続き、私の大好きな美人武者、巴御前です

 私が巴御前について色々書いていることの出典は、実際に木曽に行って義仲館や周辺で見てきたもの(前回の過去記事参照)と義仲館で買ったこの本📘です。
 田屋久男著「巴御前-義仲に捧げた愛の青春-」(アルファゼネレーション)と「乱世を駆ける~木曾義仲と巴御前」(北日本新聞社)。




 「日本史上最強カップル」って、いい響きです


 さて、「乱世を駆ける」📘には、義仲が越後の城氏と戦った横田河原の合戦で、巴御前が活躍した話が出てきます。敵が大軍なので、三国峠の道幅が狭いところで、相手が縦一列で進んで来る場所で待ち構える作戦です。
 巴御前は、道が狭い所で、鎧を脱ぎ、女と分かる格好で、待ち構えます。敵兵は、突然現れた美女にびっくりしますが😲、巴御前は、どんどん刀🗡で斬り捨てて行きます。敵が「女の姿をした化け物がいる!ガーン」と焦ったところに、義仲の軍が山の上から岩を投げつけました。敵は、谷に落ちたり退却したりで、城氏の軍は三国峠を越えられなかったそうです

 そして、こちらは、有名な倶梨伽羅合戦の絵です。平家物語によれば、7万もの平家軍が倶梨伽羅谷に転落死したといいますえーん










 有名なエピソードとして、「火牛の計」があります。4~500頭の牛🐂の角に松明🔥をくくりつけて、夜に平家の陣に放ったというのです。義仲軍に攻められ、牛🐂に追われた平家軍は、倶梨伽羅谷に転落して多くの犠牲を出しました。
 面白い話で、合戦の見せ場ですが、この話は、源平盛衰記にしか登場せず、平家物語には出ていないので、後世の脚色である可能性が高いかも?
 でも、倶梨伽羅古戦場には、こんな火牛像🔥🐂があるそうです。



(「乱世を駆ける」58ページより)

 もともと、中国の春秋時代に、斉の田単が、牛🐂の尾に枯れ草をつけて燃やし🔥、敵陣に突進させるという戦術を取ったそうで、これが元祖・火牛の計だそうです(「史記」列伝の田単記)。
 たしかに、角に火🔥をつけるより、尻尾に火🔥がついた方が効果ありそうですよね
 まあ、牛🐂にとっては、迷惑な話ですが

 今なら、動物虐待だな


 こうして北陸で平家を破った義仲は、平家が逃げた後の京に入りますが、やがて、源範頼・義経軍に追われる立場になります。
 義経の軍が宇治川を渡る時の先陣争いは、有名ですね。

過去記事
http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726310714.html 



 そして、敗れた義仲主従は、わずか7騎🐎で落ち延びますが、その中に巴御前もいたと平家物語に出てきます。というか、平家物語では、いよいよ義仲が最期を迎えるというところで、「義仲は信濃から巴という美女を連れてきていて、巴は強く美しかった」という話が急に出てきて、ほかにはあまり登場しないようです。
大津で、四天王の1人今井四郎兼平(巴御前の兄)ら300騎🐎と合流しますが、敵と戦って抜け出した時には、5騎🐎になっていました。

 平家物語などでは、この粟津の合戦で、義仲は巴御前に、「お前は女だから、どこへでも逃げて行け。自分は、ここで討ち死にするか自害する覚悟だが、最後まで女と一緒にいたと言われるのはイヤだ」と言います。巴御前は心外だったようですが、最後によい敵を倒して義仲に見せたいと思い、武蔵の御田八郎という武士と組み合って首を取り、去って行きます

 この絵は、どこの合戦か書いていませんが、そのシーンかもしれませんね








 一方の義仲は、馬🐎がぬかるみにハマって動けなくなったところを🏹射られ、戦死します。最後まで付き従っていた今井四郎兼平は、「ものども見るがいい。これが武将の死に様よ」と言って、刀🗡の先を口にくわえて馬上🐴から地面に飛び降り、自決しました
 その鮮烈な死に様は、後世まで伝えられましたショボーン



 この絵は、粟津合戦と書いてあります。








 巴御前が、引き抜いた松の木を振り回して和田義盛と戦っていますが、それは、前回の説明文にも出てきたように、後に和田義盛と再婚して朝比奈三郎義秀を産んだという伝説があるからでしょう。ここで和田義盛と戦ったという事実はないはずです

 一方、源平盛衰記には、和田義盛でなく畠山重忠が巴御前に勝負を挑んだ話が出てきます。畠山重忠は、強く優しい武将と言われ、鵯越の逆落としでは、馬🐎を担いで下りたという伝説があります。

過去記事
http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-12726338737.html 


 その強い重忠が、巴御前の活躍を見て、これほど強い武者は誰だろうと思っていると、家来が「あれこそ、木曽軍に在りと聞こえる名だたる巴御前という女だ」と言うので、捕らえようと馬🐎で追いました。やっと巴御前の鎧の袖をつかんで引き寄せようとしたら、巴御前の馬🐎は走り去り、重忠の手には鎧の袖だけ残っていたと言います。重忠は、「巴という女は、鬼神の化身ではないか」と思い、恐ろしくなって逃げたそうです


 さて、東国に落ち延びた巴御前については、源平盛衰記に、こんな話が出てきます。
 鎌倉に行って処刑されるところを、和田義盛が「巴は無双の剛の者だから、強い子を産んでもらいたい」と巴御前をもらい受け、巴は剛勇無双の朝比奈三郎義秀を産んだというのです。後に、和田合戦で義盛も義秀も滅ぼされ、巴御前は越中(富山県)で尼になって91歳まで生きたと言われます。
 こんな伝説がありますが、事実かというと怪しいです

 吾妻鏡にも、朝比奈三郎が和田義盛の子だと書いてありますが、母が巴御前とは書いていません。しかも、年齢を見ると義仲が挙兵する前に生まれているはずので、計算が合わないそうです
 義仲館で買った本📘「巴御前」によると、吾妻鏡には、鎌倉幕府に反乱を起こした一族の中に、板額の御前という強い女が登場します。この女は生け捕りにされ、阿佐利与一という武士が「妻にしたい」ともらい受けたそうですが、大変な醜女(ブス)ニヒヒだったので、与一は「なんて物好きな」と笑われたそうです
 まあ、強い子を産んでほしいという動機なら、ブスでも良かったんでしょうニヤリ
 美女とブスの違いだけで似ている話ですから、どうやら、源平盛衰記では、この板額御前の話を巴御前に置き換えて創作したようです。

 これとは別に、大津の義仲寺(ぎちゅうじ)には、義仲が死んで数年後、毎日美しい尼が来て墓参りをするので、名を聞くと「名もなき者」と答えるばかりで、それが巴御前だと言われているという話もあります。

 私は、義仲寺には、2012年に行ったことがあります。

過去記事
http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-11353775534.html 



 さて、巴御前はなぜそんなに強いのかという話で、前回も、木曽川の巴淵に棲む龍神🐲の化身として生まれたからという説を載せました。畠山重忠もそう感じたようです。

 実は、現代の女性自衛官💂がタイムスリップしたから強かったんです。

なんて言ったら、「そんなバカなガーン」と言われるでしょうね


 でも、2013年夏に、そういう設定の演劇があったので、明治座で見てきましたよ

過去記事
http://ameblo.jp/beautiful-rose-8-8/entry-11590807628.html 



 黒木メイサさんが演じる自衛官💂が、ヘリコプター🚁の事故で平安時代にタイムスリップし、巴御前になるという話です。劇中でも、龍🐲の娘だから強いという話になっていました。倶梨伽羅の合戦では、「ここは演習で来たことがあるから、地形はよく知っているぞ!」と指揮を執って勝ちました。
 舞台上のメイサさん、美しくてカッコ良く、本当に巴御前みたいでした


 長かった源平合戦と巴御前の話はこれで終わり、次回からは、鎌倉時代に入ります。




 続きます






(4G二つ折り携帯から投稿)