FRENCH IVY
前回のブログでご紹介したall right と同時期に発行されたある雑誌の特集で、その後の私のファッションと仕事に大きな影響を与えた特集がありました。
POPEYE 1984年 9月25日号です。
表紙には ”この秋、めいっぱいに男前” というタイトルが書かれていますが、この号で最も多くのページを使ったのがパリ特集でした。
その特集は ”不変のパリに投げキッス!” という題名で、 ”フレンチ アイビー”や”フレンチ トラッド”やその当時のパリの若者の文化を紹介していました。
エンブレムの付いたブレザーにピンクのオックスフォードのBDシャツ、レジメンタルタイ、テーパードのかかったチノパン、ドレススチュアートのタータンチェックパンツ、
巻頭ページからやられました(笑)。
ショップの紹介では、MARCEL LASSANCE、HEMISPHERES、OLD ENGLAND、KENZO、AGNES B といった当時パリで人気のあったショップやブランドが紹介されていました。
ちなみに、当時のKENZOのメンズはトラディショナルなスタイルをベースにしていたことと、デザイナーだった高田賢三さん自身のスタイルがフレンチアイビーだったこともあり、フレンチアイビーを好む人たちにとっては憧れのブランドでした。
今はなくなってしまったショップが多いですが、我々世代にはは懐かしい名前のショップやブランドがたくさん掲載されています。
スナップも当時のフレンチアイビーの典型的なスタイルを紹介しています。
テーパードしたシルエットのタータンチェックのパンツ、ポロシャツやボタンダウンにスカーフというスタイルは、私自身大きな影響を受け、BEAMSに入社した当時こんなスタイルを真似していました。
ちなみに、BEAMSにアルバイトの面接に行った時もフランスのブランドの2プリーツのタータンチェックのパンツに白いフレンチラコステでした。
このスタイリングはおそらくジャンポール ベルモントを意識したものだと思われますが、細身のハウンドトゥースのパンツに黒のモンクストラップがまさにフレンチアイビーなコーディネートです。
BEAMSに入社した当時、先輩達にフレンチ アイビーのマストアイテムはモンクストラップだと教えられ黒茶で揃えたものでした。
ちなみに、当時先輩に勧められて購入したモンクストラップはチャーチの”BECKET”というモデル。
BECKETの中でもブラックスエードのモンクストラップは、特にフレンチアイビーのマストアイテムとして当時スタッフやお客様の間で人気でした。
ラストは今はなき73番ラスト。
それはフレンチアイビーとは全く関係ないうんちくです。
ベーシックなホワイトシャツにホワイトジーンズ、靴はブラウンのタッセル スリッポン、ジーンズにスニーカーではなく、レザーシューズを合わせるのがフレンチアイビーのスタイルだというのもこの特集から学びました。
特にホワイトジーンズにレザーシューズという合わせは、私のお気に入りのコーディネートでした。
因みに、この写真のサングラスはレイバンのウェイファーラーです。
当時ウェイファーラーは様々な雑誌で取り上げられていましたが、このパリのスナップに影響され、似合わないのに誕生日のプレゼントで姉に買ってもらいました(笑)。
そのウェイファーラーは今でも大切に持っています。
とにかくフレンチアイビーにはLACOSTEのポロシャツが欠かせないものでした。
当時の日本ではアメリカ製のIZODのラコステと三共生興がライセンスで作っていた日本製のラコステがありましたが、フレンチアイビーはフランス製のラコステでなければいけないというのが暗黙の了解だったので、大学生だった私も当時¥9,800-もしたフレンチラコステを少しでも安く買おうとアメ横を歩き回ったものです。
カーディガンにタートルネックのニット オン ニットもフレンチアイビー的なコーディネートでした。
赤いタートルネックというのもフレンチアイビー的なアイテムでした。
靴は黒のタッセルですが、このイメージが強くあったので、BEAMSに入社した翌年オールデンのタッセル購入しました。
これも赤いタートル。
ブラウンのジャケットに赤いタートルというのは、今の色合わせに通じるものがあります。
カジュアルなジャケットコーディネートであっても必ずチーフを入れるというのも、入社当時先輩から厳しく指導されました。
こういうところもアメリカのアイビーとは違うフレンチシックなアイビースタイルとして影響を受けたものです。
スタジャンに革靴という、当時の私には考えられないスタイルでした。
とにかく、カジュアルでもスニーカーを履かずレザーシューズを合わせるというコーディネートが当時新鮮に感じられました。
当時のパリの若者を撮ったスナップです。
中央の人はラコステのポロシャツにホワイトジーンズ、靴はウェスタン ブーツです。
当時のパリはウェスタン ブーツやウエスタン ベルト、オルテガのベストなど、アメリカのテイストが強いアイテムをコーディネートに取り入れるのが流行っていました。
特にこの当時、フレンチアイビーの人たちに影響力のあったセレクトショップ ”HEMISPHERES(エミスフェール)” でそれらのアイテムが多く扱われていました。
今でこそオルテガのベストやオールデンのV‐TIP(モディファイドラスト)はアメカジアイテムと思われていますが、もともとはエミスフェールが扱っていたことで注目されたフレンチアイビー的なアイテムであることを知る人は今や少なくなってしまいました。
ちなみに、今やほとんどの人がイタリア的なアイテムだと思っているM-65も、当時のフレンチアイビーの必須アイテムでした。
この号が発行された当時、すでにBEAMSの熱狂的なファンであった私は、買い物もしないのに週の半分はBEAMSに通っていました。
ショップのディスプレイやスタッフのコーディネートを真似て、バイトでお金が貯まると少ないお金を握りしめて少しずつ洋服や靴を買い足していったものです。
入社してからわかったのですが、あまりも頻繁にお店をチェックしに行くので、”よく来るけど買わないやつ” と言われていたようです(笑)。
その後、就職活動もせずに大学生活最後の夏休みをのんびり過ごした私は、8月末に思い立ったように原宿のBEAMSに就職したいと飛び込みで行くのですが、運良くアルバイトで採用され、翌年卒業と同時に社員になることができました。
洋服が大好きで洋服に携わる仕事がしたいと思っていた私でしたが、それを決定的にしたのが、このPOPEYEのパリ特集で初めて知ったフレンチアイビーでした。
このフランス人のする上品でニートなアイビースタイルが、その後の私のBEAMSでの仕事に大きな影響を与え現在に至ります。
次回は、当時日本で流行ったフレンチアイビーの典型的なスタイルを紹介している、ある雑誌の面白い特集を見つけたので、それを紹介したいと思います。