パラリンピックの歴史
http://www.jsad.or.jp/paralympic/para_history.htm
国際的な障害者のスポーツ大会は、1924年に設立された国際ろう者スポーツ連盟(CISS)が、同年にパリで開催した第1回国際ろう者スポーツ競技大会(現デフリンピック)がはじめてである。
しかし現在のパラリンピックへと発展した原点は、第二次世界大戦(1939~1945年)後のことである。
1944年、イギリスのチャーチル首相らは、ドイツとの戦争激化により負傷し脊髄損傷になる兵士が急増することを見越して、兵士の治療と社会復帰を目的に、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科(Spinal Unit)を開設した(1953年に国立脊髄損傷センターと改名)。
その初代科長に、1939年にナチスによるユダヤ人排斥運動によりイギリスに亡命した医師、ルードウィッヒ・グットマン卿(Sir Ludwing Guttmann)が任命された。

グットマン卿は、スポーツを治療に取り入れる方法を用いた(1944年にパンチボール訓練を導入、その翌年からは車いすによるポロやバスケットボール、卓球などを導入)。
1948年7月28日(文献によってはロンドンオリンピックの開会式の日とあるため29日の開催だった可能性もある)、グットマン卿はロンドンオリンピックにあわせてストーク・マンデビル病院内で16名(男子14名・女子2名)の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催。これがパラリンピックの原点である。
グットマン卿は、この当時すでに「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障害を持った選手たちのためのオリンピックと同等な大会になるように」という展望を語っている。
この大会は毎年開催され、1952年にはオランダの参加を得て国際競技会へと発展し、これが第1回国際ストーク・マンデビル大会となった(130名が参加)。
(サイトより引用)
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これがロンドンパラリンピックのキャラクター、マンデビルの由来になったようです。
マンデビルというから恐ろしげな化け物を連想したりもしましたが、大変失礼しました。
聴覚障害者はいまでも別に「デフリンピック」を開催しています。