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▼フリーメーソンリーは宗教ではない

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 --あなたの宗教は?

クライプ メソディストだった父親はとても信仰心が強くて、子どもの頃、よく教会に連れていかれました。しかし、私は大人になってからほとんど教会に行っていない。
 そのことに少し罪悪感を感じています。

 --あなたは現在、自分をクリスチャンだとお考えですか? それともフリーメーソンの信徒なのでしょうか? あるいは、フリーメーソンリーはただの友愛団体であって、あなたの信仰はキリスト教なんでしょうか?

クライプ これはとてもデリケートな問題なので、丁寧に答える必要があります。
 私にとっては、宗教というものは魂の救済と関わるものです。それは、神と個々人の魂の関係なんですね。そういう意味ではフリーメーソンリーは宗教ではない。フリーメーソンリーでは、魂の救済に積極的に関心があるわけではないんです。それよりも、個々の人間同士の関係が重要であると教えられる。人間同士が、お互いにどんなふうにしたら仲良く、友愛をもってつき合っていけるか。そうした人間関係を通じていい社会を築いていくこと、そこがメーソンリーの教えのメインになる。

片桐 クライプさんの今のお話は非常に大事なポイントです。僕は難しいことが苦手なので、ごくくだいた言い方で補足します。
 近代フリーメーソンリーの歴史は、1717年にロンドンで4つのロッジが集まって、最初のグランド・ロッジを作ったときから始まるといわれています。18世紀の前半のことですから、宗教界が英国のなかでもゴチャゴチャに混乱していた時期なのです。まず、カソリックとプロテスタントの対立がありました。プロテスタントのなかでも英国国教会派と非国教会派とがいます。そして国教会派のなかでも長老はとそれに反対する勢力という具合に、細かく枝分かれして対抗していたわけです。人びとは互いに相争い、非常に疑心暗鬼になっていた。そうした時代を背景として、「宗教的寛容」を説く、フリーメーソンリーが登場したわけです。時代が、フリーメーソンリーのような団体を求めていた、ともいえるでしょう。その結果、宗教対立にうんざりしていたさまざまな宗派の人たちがフリーメーソンリーに入ってきたのです。
 フリーメーソンリーでは、抽象的な概念としての「至高の存在」(Suprem Being)に対して尊崇をあらわす。これは儀式や集会のなかで必ずやります。しかし、この場合の「至高の存在」とは、キリストでもないし、お釈迦様でもないし、マホメットやアラーの神でもないんですよ。僕は一応、仏教徒ですから、心のなかで仏様に向かって祈るわけです。クライプさんはキリスト教徒だからキリスト教との神に祈ってる。それでいいんです。「至高の存在」とは、いろいろな宗教の最大公約数的な概念なのです。

クライプ フリーメーソンリーに対するいちばん主要な批判というのは、あらゆる宗教からあまりにも無節操に多くの人を受け入れすぎるという批判です。たとえば、バプティスト教会。この宗派はいちばん保守的な教会で、「あなたがバプティストでなければ、あなたは悪魔だ」とまで言い切ります。
 フリーメーソンリーは、そういう人たちにとってはまさしく悪魔そのものなんです。フリーメーソンリーでは、自分とは違う宗派の人びとに対して寛容であれ、友愛の精神を持てと説くのですから、自分の宗派以外の人間は救われないとする人びとからは、「悪魔」呼ばわりされるわけです。

 -- キリスト教のなかでも、とりわけカソリックはメーソンを認めないという点では強硬ですね。1738年に教皇クレメンス12世が、フリーメーソンに対して最初の破門令を発表してから、現教皇のヨハネ・パウロ二世まで17回以上も破門の回勅が出されたそうですが、カソリック教会のこうした姿勢を、どうお考えですか?

クライプ 教会の公式見解はともかくとして、信徒個人のレベルでは、実は、カソリック教徒でメーソンの会員という人もとても多いのです。たとえば、フィリピンはご存知のとおり、非常にカソリック教徒が多い国ですが、メーソンも非常に多い。カソリック教会のなかのビショップ=司教がメンバーだったりすることも珍しくありません。
 私個人としては、人を見る場合、その人個人の資質を見ますから、その人がどういう宗教の人かということは重視しません。ただし、カソリックの信徒で、メーソンになりたいと希望する人に対しては、カソリック教会はフリーメーソンリーを否定していますが、いいのですか、と一応確認します。どうしてかというと、本人はいいとしても、家族のなかにカソリック信徒がいる場合、問題が生じる可能性がある。そんな事態になってしまうのは、私としてはやはり心が痛むからです。

 思索的メーソンを中核とする近代フリーメーソンリーは、明らかにその出発点から、「脱カソリック」というオブセッションを内包していたといえるだろう。言い換えるならば、それだけカソリックの教権支配が、近世までヨーロッパでは強く、そうであるからこそ、その支配から逃れようとする衝迫も強かったに違いない。
 『フリーメイソン』(講談社現代新書)という著書もある名古屋大学教授の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーには独自の思想というものがあるわけではない。それはさまざまな思想を受け入れる中空の受け皿であり、実際に盛り込まれたのは18世紀ヨーロッパの時代精神でした」と言う。
 「18世紀の時代精神」とは何か。啓蒙主義であり、理神論であり、「自由・平等・友愛」の精神であり、エキュメニズム(宗教的寛容と統合の思想)であり、またときに無神論でもある。イングランド系の「正統」フリーメーソンでは、<G>という一文字であらわされる「至高存在」への崇拝を求められるが、大陸で独自の発展をとげた分派には、この「至高存在」を認めない無神論的セクトもある。この点が、実は英米系のメーソンリーと大陸系のメーソンリーを分かつ決定的なポイントとなるのだが、それは後でふれる。


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▼至高の存在<G>の秘密

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 --フリーメーソンリーでは「至高存在」を<G>という一文字であらわしますよね。フリーメーソンリーに入ると、最初に<G>について、ゴッドあるいはグレーと・オブ・ザ・ユニバース(宇宙の創造者)と説明される。ところが、そのうちにこれはジオメトリー(幾何学)だと教えられるという話を聞いたことがあります。これは何を意味しているのですか。人間の理性や知性への信仰ですか。

クライプ 最初に<G>はゴッドで、そのあとでジオメトリーだと明かされるということではありません。最初のレクチャーの二、三分の間に、<G>は神を意味すると同時にジオメトリーであるということを明かされるわけです。それは基本的には、教育を受けるとか、何かを学ぶということに関係があるんです。特に、幾何学がなかったら何も作れない。これは、フリーメーソンリーが、もともとは建築家の集団であったことに由来しますが、それだけではなく、今まで無知だった人間に知識が与えられる。そういう「啓蒙」の意味がこめられているんです。

片桐 幾何学がなぜ、フリーメーソンリーのなかで重視されるのか、これはイギリスの建築史を知る必要があります。12世紀から16世紀ぐらいの間にイギリスではゴシック建築が隆盛をきわめました。この400年間に1万2千の建物ができたという記録が残っているんです。ゴシック建築にはいくつかの特徴がある。一つはとんがった尖塔を造る。あれは、神様が上にいるから、なるべく近いところに行きたいという発想ですね。それから2番目の特徴は、丸いドーム型の天井です。複雑な力学的計算ができないと、これは造れない。
 こうしたデザインの建築物を造るには、当時としては、非常に高度な幾何学=ジオメトリーの知識を必要としたわけです。それを、12世紀から16世紀の間、メーソンたちはギルドを作って、自分たちで囲い込んで、絶対に外に出さなかった。出せば、自分たちの利益を損ないますからね。
 しかも、その頃に字を読める人ってほとんどいないわけです。だから、彼らは口から口へと口伝で秘密の技術を伝えた。その前に、「お前、秘密を漏らしたら首を切るぞ」というような脅かしをして、絶対の宣誓をさせて、それで教育していったわけです。それが、実務的メーソンの時代で、400年も続いていったわけです。
 今のは技術面のことですが、もう一つ、若手の人格教育の側面があります。ギルドの中に若者が入ってくると、技術教育だけではすまなくなってきて、人格教育も必要になる。ところが、教える方も教わる方も字が読めない。それで彼らがやった方法は、工具だとか石とか自分の身のまわりのもので、寓意的、寓話的にわかりやすく教えたわけです。たとえばどこのロッジにも、石切場から切り出してきたばかりの原石と、きれいに正方形に磨きあげた石とがおいてある。「お前は、今箱の原石と同じなんだ。原石は、親方メーソンが描く設計図にしたがって、切って磨きあげないと使いものにならない。石も人間も同じ。磨いてはじめて一人前になれるんだよ」と--。
 こうした象徴的な教え方によって、人格教育をしようとした。それが今でもメーソンのなかに儀礼として残っているわけです。


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▼石工の集団になぜ貴族が?

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 --伝統的な実務的メーソンが、集団を維持し、自分たちの利益を守るために閉鎖的な共同体を作る必要があった。これはわかるのですが、ではなぜ、上の階級に属する知識人や貴族やブルジョアなどが、この集団に入ってきたのか。どうも、その動機がよくわからない。当時のヨーロッパは強固な階級社会でしょう。上流階級の人間が、身分が高いとはいえない石工の集団に、なぜ自ら入っていったのでしょうか。

クライプ 私は歴史家ではないので、正しいことは言えないんですが、「フリー」という言葉が示すように、フリーメーソンはいろんな国へ移動して仕事をする事由が特別に認められていた。当時のヨーロッパは、現代のように交通も通信網も発達していないし、もちろんマスコミもない。移動の自由も制約されている。そんな時代にいろいろな場所を旅行する人というのは珍しい。フリーメーソンといわれる人たちは、いろんな場所に行って、そこにある程度住み着き、また戻ってくる。そうすると、普通の人が絶対に持ち得ないような知識や情報や見聞を持ち帰ってこれる。そうしたフリーメーソンだけが持ち得る貴重な情報や見聞に、知識階級や貴族は非常に強い関心と好奇心を抱いたのではないでしょうか。

片桐 実務的メーソンたちの結社に、石工ではない人間が入ってきたのは、最初は1600年といわれています。スコットランドのエジンバラ・ロッジです。オーチェンレックという土地のジョン・ボズウェルという小領主が入会したという記録が残っているのです。これが思索的メーソンの始まりとなるわけですが、その1600年から最初のグランド・ロッジの発足まで117年あるわけです。
 その頃の英国史を見ますと、カソリックと英国国教会とピューリタン(清教徒)などが入り乱れて、非常に激しい宗教対立に見舞われた時期だったことがわかる。1640年に始まったピューリタン革命では、国王のチャールズ一世が処刑されている。1649年のことです。その後、ずっとそういう血なまぐさい事件が5、60年の間連続しています。
 すると、これはまったくの想像ですけれども、前後の事情から判断して、貴族だろうが、領主だろうが、我が身かわいさから、宗教的に寛容なフリーメーソンリーに、ある種の連帯感や信頼感を求めて入っていったとしても無理はないなという感じがします。要するに、文化的な好奇心だけじゃなくて、身の安全を図るという功利心があったとしてもけっして不思議じゃなかった、そういう時代だったと思います。
 いずれにしても、フリーメーソンリーは、最初のグランド・ロッジが結成され、「憲章」が発表されて以後、まるで火がついたように大流行となりました。1717年にたった四つしかなかったロッジが、12年後には50になり、30年後には世界中に広がってしまったんですからね。

 前出の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーは、一面ではイギリスの社交クラブ文化の産物」であると言う。
 フランスにおいて社交サロンの文化的伝統が息づいているように、イギリスにも、パブ(居酒屋)を舞台とした社交クラブの文化的伝統が根を張っている。最初にグランド・ロッジを形成した四つのロッジも集会所はパブであり、各々のロッジの名称もパブの店名をつけていた。
 「集まって何をするかといえば、要するに宴会を開き、酒を飲むのです。つまりはフリーメーソンリーといえども、幾多ある社交クラブの一つにすぎなかったわけです」
 考えてみれば不思議な話である。フリーメーソンリーがその出発点において、どこにでもある、パブの常連客の親睦会にすぎないような社交クラブの一つだとするならば、なぜそのなかでフリーメーソンリーだけが、「火がついたように大流行」したのだろうか。現代のカルトのように、フリーメーソンリー自身が、積極的に宣伝や勧誘を行なって、会員を増やしていったというならばまだわかる。しかし、事実はまったくその逆なのである。
 宣伝も行なわない。入会に制限を設ける。そんな団体が、なぜ最初のグランド・ロッジの誕生から30年ほどの間に、カソリック教会に匹敵するほどの世界的なネットワークを形成しえたのだろうか。『フリーメーソンリー』(中公新書)を著した京都府立医大教授の湯浅慎一氏は、「いくら研究してみても、メーソンの拡大の真の理由はよくわからない」と率直に述べる。
 「教会の世俗化という時代の流れのなかで、ゴシック建築が衰退してきた17世紀後半、石工たち、すなわち実務的メーソンは失業の危機に瀕していた。そのため、自分たちのギルドの保護者を建築社集団の外に求める必要があり、積極的にブルジョア貴族を勧誘しようとした。実務的メーソンの側にはそういう動機はあると思うのです。しかし、貴族やブルジョアや知識人たちが石工のギルドに喜んで入ろうとする積極的な動機を説明するのは難しい。あえていえば、メーソンリーの内部に、あたかもそこに古代からの伝統的な神秘思想や叡智がひそかに温存されており、入会したものだけにその秘儀が明かされるという、好奇心をかきたてられるもったいぶった誘惑があっただろうとは思います」


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▼「オカルト」を期待すると失望する

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 --近代フリーメーソンリーのなかには、成立当時の18世紀の最先端の思想だった啓蒙主義などが取り込まれている。と同時に、キリスト教会から異端として排除されてきたグノーシス主義や、ユダヤ教神秘主義のカバラ思想、錬金術などのオカルティックな思想やシンボルも盛り込まれている。合理的な啓蒙主義と非合理的な神秘主義という、一見、相矛盾する思想が共存しているのは、なぜなのでしょうか。

クライプ これも、私の個人的な意見なんですが、神というのは無限の存在です。そして人間には限界があります。有限な存在が、無限の神について判断することはできません。ですから、無限な存在である、あの神、その神、この神のどれが正しいということを、有限な存在である「私」が判断しようとすることは傲慢であり、実際、不可能なんですね。フリーメーソンリーのロッジのなかでは、宗教とか政治の話をすることは一切禁止されており、常に周囲との調和を大事にするように求められます。その一方で、ありとあらゆる宗教の信者、そして、いろいろな政治的理念を受け入れてきたのです。さまざまな思想やシンボルがフリーメーソンリーのなかに保存されているのは、そうした寛容の精神がもたらしたものではないでしょうか。

片桐 フリーメーソンリーは、オカルト結社である、とたびたび批判されています。33もの階級に分かれていて、階級を登るたびに秘密の教えを順番に説かれていくともいわれている。しかし、こういう話は、半分は本当ですが、半分は誤解です。まず、フリーメーソンリーには徒弟・職人・親方という三つの階級しかありません。しかしこのメーソンリーの付属団体として、スコティッシュ・ライト、ヨーク・ライトという二つの団体があり、こちらには一応、高位階が用意されています。とはいえ、メーソンリーの上部団体ではありえません。この二つはメーソンリーの哲学を詳しく勉強したい人のための団体なのですが、その教えをひとことで言えば、個人の尊厳が大事だということを説いているだけのことです。オカルト的・秘教的な教えを期待した人は、必ず失望します。
 スコティッシュ・ライトの33番目の階級というのは、これは名誉階級で、儀式の世話役などを長く務めてきた功労者に与えられるものです。実質的には32階級で、私もその32番目の階級に属するんですが、これは丸二日、講義を受講さえすればもらえちゃうんです。外から見ると、何かすごいことのように思えるのでしょうが、大したことないんです。この階級の名前の一つに「薔薇十字」という名前の階級があります。有名なオカルト結社の名前から借りてきちゃったわけです。そういうことがあるために、オカルト結社だと言われてしまうんでしょうけど。
 メーソンのなかで教えられることは、神秘主義的な教えではなく、もっと世俗的な道徳ですよ。ただ、生と死については、真面目に考えられています。人間は死後に、シュープリーム・ビーイング(至高存在)によって審判が下される。そのとき後悔することのないように、まじめに生きろと諭されるわけです。当たり前の道徳という以上のことはないですよ。


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