終戦記念日:きょう63回目 首相参拝路線、困難に 遺族会、迫られる方針転換 | OVERNIGHT SUCCESS

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終戦記念日:きょう63回目 首相参拝路線、困難に 遺族会、迫られる方針転換  戦後63回目の終戦記念日を迎え、2年前の小泉純一郎元首相の時とは一変して靖国神社問題は沈静化している。福田康夫首相は就任前から不参拝を表明、「ポスト福田」を目指す麻生太郎自民党幹事長も不参拝の意向だ。「小泉参拝」が国内外の摩擦を生んだ余波ともいえ、現職首相の参拝はむしろ難しくなった。政治目標として首相・閣僚の公式参拝を長年求めてきた日本遺族会も歴史的な方針転換を迫られている。【野口武則】  15日は小泉氏と安倍晋三前首相が参拝する予定。元々「首相参拝」が持論だった安倍氏は在任中、対中外交改善の課題を抱えて参拝を断念。辞任後に「8・15参拝」を実行せざるを得なくなった。  首相を目指す麻生氏も、保守の立場ながら、問題解決のため06年に靖国神社を非宗教法人化する私案を発表し、「無理に参ると、靖国を政治化し悪循環を招く」との見解だ。  「こんな状況で首相参拝ができるはずない」。地方選出の遺族会幹部は嘆く。会長の古賀誠自民党選対委員長も今月、週刊誌のインタビューで「何十年にもわたって『総理の公式参拝の定着』といった同じスローガンだけを掲げていていいものだろうか」と根本的な疑問を提起した。  遺族会などが8・15公式参拝を初めて求めたのは1978年。国が靖国神社を管理する国家護持法案が74年に5度目の廃案となったのを受け、運動方針を「公人参拝の定着」に転換。首相参拝を定着させることで神社を公的施設と認知させ、国家護持への環境を整える段階的戦略だった。  しかし、85年に公式参拝した中曽根康弘元首相は、中国への配慮から翌年は見送り、国家護持も神社自身が拒んで挫折。その後も公式参拝運動方針だけが長年独り歩きした。  01~06年の小泉参拝を遺族会は歓迎したが、A級戦犯合祀(ごうし)を巡る歴史認識などの問題が再燃して、後に続く首相候補たちに足かせをはめてしまった。  首相参拝路線の行き詰まりは、遺族会の高齢化に伴う政治力低下に拍車を掛ける。状況打開のため、古賀氏が唱えるのがA級戦犯の分祀論だ。「すべての国民がわだかまりなく参拝できる施設にする」ことで、本来目指す天皇参拝の実現へ運動方針を位置づけ直す狙いがあるようだ。  神社側は分祀に反対だが、6日に東京・九段会館であった全国戦没者遺族代表者会議で、古賀氏は都道府県会長らを前に「靖国神社を真剣に考えなければいけない時期に来ている」と改めて意欲を強調した。 ==============  ■8月15日首相公式参拝をめぐる経緯■ 74年    国家護持法案が5度目の廃案 75年   ◎三木武夫首相が初めて8月15日に「私的」参拝 78年 2月 日本遺族会が「公式参拝の実現」を運動方針に       ◎福田赳夫首相が公私をあいまいにして8月15日参拝    10月 A級戦犯合祀(非公表、翌年4月報道で明らかに) 80年   ◎鈴木善幸首相が閣僚を伴い8月15日参拝 81年   ◎同上 82年   ◎同上 83年   ◎中曽根康弘首相が閣僚を伴い8月15日に参拝 84年   ◎同上 85年   ◎中曽根首相が8月15日に初の公式参拝 86年    中曽根首相が8月15日の参拝を断念 92年    宮沢喜一首相が11月に参拝?(非公表) 96年    橋本龍太郎首相が7月29日に参拝 01年    小泉純一郎首相が8月13日に参拝 02年    小泉首相が4月21日に参拝 03年    小泉首相が1月14日に参拝 04年    小泉首相が1月1日に参拝 05年    小泉首相が10月17日に参拝 06年   ◎小泉首相が8月15日に参拝  ※◎は終戦記念日の参拝 毎日新聞 2008年8月15日 東京朝刊