大野和士&都響 ベルリオーズ「レクイエム」(東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.2) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。




412日 東京文化会館大ホール

 この大曲を生演奏で聴く機会は多くない。私が聴くのは今回が初めて。調べた限りでは91年にインバル都響、92年に若杉弘新日本フィル、94年小澤征爾ボストン響、98年秋山和慶東響、2002年にデュトワN響、2003年にゲルギエフ読響があるくらいだ。

ベルリオーズの指定では400人以上の演奏家、合唱団を必要とするが、今回は果たして何人だろう。合唱の東京オペラシンガーズは100人前後だろうか(指定は200人)。8対のティンパニなどがステージいっぱいに乗り、指揮台もオーケストラも舞台前面いっぱいに配置されている。トランペット、トロンボーンからなるバンダは舞台に向かって左右2階と3階の4ヶ所。

ベルリオーズの「レクイエム」は解説にある通り、大音響が炸裂するのは第2曲「怒りの日」と、第4曲「恐るべき王」、第6曲「ラクリモザ」の3曲だけ。ほかの7曲は「レクイエム」らしく静謐な合唱が続く。

大野和士の指揮は手堅いものの、格別の興奮や感動を呼び覚ますことなく、どこかたんたんと進んでいく。東京オペラシンガーズの合唱はあまりハーモニーが美しく聞こえてこない。声の音量も小さく感じる。ダイナミックの幅、弱音と強音の落差が少ない。ただ「恐るべき王」の最後のSalva meと「オッフエントゥリウム」の最後のpromisisiのハーモニーが美しいと思った。

聞かせどころの「怒りの日」の「驚くべきラッパの音が」の始まる直前から客席のバンダが四方八方からファンファーレを響かせるところは金管の響きに包まれる希少な体験はできたが、震撼するようなことはない。

オーケストラはコンサートマスターが矢部達哉のせいもあり、弦はインバルが指揮する時のよく揃った美しい音を出していたが、やはりこの曲は合唱が肝だと思う。

心が震えるような気持になれないまま、最後から2つ目の「サンクトゥス」まできてしまった。テノールのソロ、ロバート・ディーン・スミスは舞台後方、合唱の後ろから歌ったが、結局彼の歌がこの日一番良かった。「ワルキューレ」のジークムントで聴かせてくれたきれいに伸びる張りのある声。

最後の「アニュス・デイ」のAmenが静かに歌われティンパニの打音がかすかに鳴らされて終わる。大野和士のタクトが下りるまで静寂が続いたが、感動は起こらなかった。

ブラヴォも少ない。隣に座っていたカップルの会話「ブラヴォを叫ぶような演奏ではないわね」は手厳しいが、頷きたくなるものがあった。

ただ、会場で会った知人と「感動はしなかったね」と話していて、彼が言うには、ひとつにはベルリオーズの作品自体のせいであること、ふたつには東京文化会館のデッドな音響のせいもあるのではないかと。確かに荘厳ミサからの引用など急いで作曲したベルリオーズの野心が先行した作品であり、また初演のパリのアンヴァリットとは残響の点で雲泥の差の東京文化会館では比較にならない。大野和士ばかりを責めるのは酷かもしれない。

今思い出したが、一つだけ気になったことがある。それは大野和士の力みかえった指揮だ。ゴルフだって力が入っては遠心力をうまく使えず飛距離は伸びない。指揮も同じだろう。集中はいいが、あれだけテンションを高く始終緊張を強いられるような指揮をされたら弾く方も歌う方も体に力が入り、かえって響きが小さくなってしまわないだろうか。僭越極まりない感想だが、8日に続いて今日と集中して大野和士の指揮を聴いて率直に感じたことだ。

#大野和士 #ベルリオーズ #レクイエム #東京春祭