ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


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1215日、東京オペラシティコンサートホール)

 オピッツは謎だ。どこから入って行けばいいのか、入口が見つからない。確実なテクニック。落ち着いてよくコントロールされたピアノ。大言壮語しないが、重厚で堂々としている。しかし、取りつく島がない。大きな石に向かって、黙々と鑿(のみ)を振るう職人のように、私はオピッツの背中を見つめるばかりだった。

 

 シューマンの「クライスレリアーナ」は、軽々と淡々と進められていく。感情は表に出てこない。第5曲の山場も、第8曲の盛り上がりも、興奮を呼び覚ますことはない。
 シューマン「ピアノ・ソナタ第2番ト短調」は、初稿版が演奏された。こちらは「クライスレリアーナ」よりも感情移入があった。特に初稿版でしか聴けない第4楽章プレスト・パッショナータはインパクトがあった。なぜ、クララ・ヴィークは『演奏家にも聴き手にも負担が大きいので書き換えたほうがいい』とシューマンにアドバイスしたのだろう。これほどの熱狂と気高さを感じさせる音楽も少ないのではないだろうか。

 

 後半のブラームス「ピアノ・ソナタ第3番」は、音の立ち上がりがはっきりしてきたように感じられた。風貌もどこかブラームスを思わせるオピッツは、人を寄せ付けないように、黙々と演奏を続けた。渋い味わいのあるピアノであり、ロマンティックな第2楽章も、ブラームスがライン地方に旅にでたときに出会った少女への思い出がこめられているという第4楽章「間奏曲」も、情感は深くない。どこか建造物を思わせる音楽だ。

 

 アンコールで弾いたブラームス「7つの幻想曲集より間奏曲op116-4」で、初めてオピッツと私を隔てるドアが少し開いたように思えた。ドアの向こうには、柔らかな光に包まれた光景と、優しい声が聞こえた気がした。

 

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1212日、サントリーホール)
 マーラーがマイスターの指揮する交響曲第3番を聴いたらどう思うだろう。「若いの、なかなかやるじゃないか。そうそう、こういうクールな演奏が僕の好みなんだ」と言うかもしれない。

 

 マイスターは非凡な才能の指揮者だ。この曲の構造が透けて見えるような。明晰な構築力。柱がしっかりとして揺るぎがない。ダイナミックの幅を大きくとり、読響の金管の力を最大限引き出す。弦は濁りがない。演奏自体の切れ味はするどく、力強いが、それだけではなく、第1楽章提示部後半の行進曲風の部分では、木管と弦を軽やかに歌わせ、爽快感もある。読響を束ねる統率力は、37歳という若さにしては、カリスマ性すら感じさせる。

 しかし、ひとつだけ足りないものがある。「情感」だ。マイスターの沈着冷静な指揮からは、喜怒哀楽の感情が薄く感じられる。磨き上げられた音響として、完全無欠な構造として、見事な演奏だが、私自身の心に訴求してくる情感は少なかった。

 それは、第4楽章で藤村実穂子の深々としたアルトが入っても、第5楽章でTOKYOFM少年合唱団と、フレーベル少年合唱団、新国立劇場合唱団(女声)が加わっても変わらず、マイスターの音楽は、どこか客観的だ。

 マイスターの指揮で第6楽章を聴いていると、ジョナサン・ノットがこの楽章について語った言葉が思い出される。『希望を抱いたものの、結局かなわない。悲しい音楽、深い憂愁を帯びた幕切れ』。肯定的に、前向きに行こうとする力を引き戻すような、満たされない何かがある。マイスターの指揮は、その感情を呼び覚ましてくれた。

 

 読響は熱演だった。カンブルランとのメシアン「アッシジの聖フランチェスコ」で高い壁を乗り越え一回り大きく成長したことを感じさせる、磨き上げられた演奏を聴かせてくれた。
写真(c)コルネリウス・マイスター(c)読響




 

 

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(1210日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

 ジョナサン・ノットのオペラを知り尽くした(ハンマーフリューゲルを弾きレチタティーヴォをリードする)指揮と、モーツァルトの作品の成熟、さらに歌手陣の充実と一体となり、昨年の『コシ・ファン・トゥッテ』を凌駕する成功をもたらした。

 

 昨年同様6型の小さな編成。ホルン、トランペット、トロンボーンはピリオド楽器。これだけで充分な響きが出る。何より歌手の邪魔をしない。

 指揮するノットの表情を見ているだけで、モーツァルトの意図が伝わってくる。喜怒哀楽、感情の高まり。すべてはノットの顔にある。歌詞を乗せる音楽の自然な運び、細やかなニュアンスと感情、歌手との表裏一体の響き。それらは、今年9月同じ演奏会形式で行われたヤルヴィN響と、なんと違うことか。ヤルヴィの指揮も緻密だったが、オーケストラは伴奏であり、歌手と平行線を走っていた。対するノット東響は、歌手とデュエットしている。時に支え、時に先を示し、そして一体となる。

 

 ノットの真骨頂は、モーツァルトの「プレスト」で発揮される。第1幕第6曲のマゼットが憤懣をぶちまけるアリア「わかりました旦那様」のオーケストラの切迫した動きに、なぜ泣けてくるのか不思議で仕方がない。モーツァルトの魔術であり、それを引き出すノットの非凡な楽譜の読みの深さとしか言いようがない。最後のフィナーレでの出演者全員の疾走感と爆発は、オペラ・ブッファの極致。会場を興奮の坩堝にした。

 

 主役のドン・ジョヴァンニが、ミヒャエル・ナジからマーク・ストーンに、ドンナ・エルヴィーラがエンジェル・ブルーからミヒャエラ・ゼーリンガーに直前で交替となったが、急な代役の懸念は杞憂に終わった。二人ともベテランらしい素晴らしい歌唱と演技。マーク・ストーンのドン・ジョヴァンニは、やや年齢が行っているが、老獪で手練手管にたけたドン・ジョヴァンニらしさが出るとともに、味わいのあるバリトンが深みを出す。

 

 ミヒャエラ・ゼーリンガーのエルヴィーラも、成熟しており、安定感があった。ツェルリーナのカロリーナ・ウルリヒとマゼットのクレシミル・ストラジャナッツが、素晴らしい脇を固めた。ウルリヒの瑞々しい声質とストラジャナッツの勢いと張りのある声は、どれだけ場面を引き立てたことだろう。

 

 もう一人のヒーローは、ドン・オッターヴィオ役のアンドリュー・ステープルズの伸びやかなやさしさにあふれた声。第1幕「彼女の心の安らぎこそが」、第2幕「まずは私の大切な人を」のふたつのアリアをリリカルに歌い上げ、ブラヴォを誘った。

 ドンナ・アンナのローラ・エイキンは、第1幕のレチタティーヴォとアリア「ドン・オッターヴィオ、私死にそう」での、父を殺害した犯人がドン・ジョヴァンニであることを知り、愕然となる歌唱と表情はさすがの貫禄と存在感があり、今回の公演の柱となっていた。

 レポレッロのシェンヤンは中国出身。文句なしにうまい。ただ、レポレッロにしては格調があり、立派すぎるという贅沢な注文もしたくなった。騎士長のリアン・リーも中国出身。悪役風の風貌は独特だが、ドン・ジョヴァンニを地獄に引きずり込む役目に合っていた。

 

演出は、原 純。舞台上には赤いカバーがかかった低い台とその上に白い布が置いてあるだけ。小道具は、レポレッロのカタログ代わりのスマホ、ドン・ジョヴァンニが武器として使う二丁のピストルなど、極めてシンプル。それらで過不足なく舞台を構成することができるのは、ヤルヴィN響のベンチとipadを思い起させる。

 

合唱は新国立劇場合唱団(指揮:冨平恭平)。バンダの一人、マンドリン奏者の女性が、ふくれっ面で登場、ドン・ジョヴァンニの横に座り、たんたんと「ドン・ジョヴァンニのセレナーデ」の伴奏をする表情がなんともおかしかった。

 

カーテンコールでは、ノットが一度だけ東京交響楽団を讃えるため、ソロで登場したが、通常のオペラ公演のように、一人一人の歌手の登場はなく、チームのように常に全員が一緒になって拍手喝采を浴びているのは、すがすがしいものがあった。

 

ダ・ポンテ三部作の掉尾を飾る『フィガロの結婚』は、来年12月7日、フィガロ役にマルクス・ウェルバ、伯爵夫人ミア・パーション、スザンナはリディア・トイシャーを迎えて行われる。見逃せない。
写真:(c)ミューザ川崎シンフォニーホール

 

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 音楽と録音が一体となった理想的なCD。ホールのベストポジションで生演奏を聴いているよう。レコーディング・プロデューサーのクリストフ・フランケは、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールの立ち上げと運営責任者。彼が最も重視するのは、サウンドそのものではなく、音楽だと言う。技術を忘れて、音楽がもつ感情、美しさ、悲しみをいかに伝えるかに重点を置く。その言葉通りのCDだと思う。

 

 ベルリン・フィル八重奏団のメンバーは、樫本大進(第1ヴァイオリン)、ロマーノ・トマシーニ(第2ヴァイオリン)、アミハイ・グロス(ヴィオラ)、クリストフ・イゲルブリンク(チェロ)、エスコ・ライネ(コントラバス)、ヴェンツェル・フックス(クラリネット)、シュテファン・ドール(ホルン)、モル・ビロン(ファゴット)。八重奏団の歴史は80年以上と長く、メンバーは随時変わってきている。フックスがこの中では一番長く在籍しているが、今がベストメンバーだと言う。

 

 この曲はシューベルトがクラリネットを愛したトロイヤー伯フェルディナントの依頼で書いただけあり、クラリネットが活躍する場面が多い。フックスの天国的とも言うべき、柔らかく響くクラリネットを存分に味わえる。しかし、この曲の魅力はほかにもある。それは、交響曲のようなスケールの大きさ。事実シューベルトは友人のクーヴェルヴィーザーに、「大きい交響曲のための習作」と書き送っている。第6楽章は交響曲の最終楽章にしてもいいのではないかと思わせる。


 ベルリン・フィル八重奏団の演奏は、シューベルトの長大な音楽を、第1楽章から第6楽章まで、ひとつの物語のように聴かせる。演奏が始まるとすぐに、その心地よい流れに惹きこまれる。次々に披露される各奏者のソロを味わいつつ、楽章ごとに展開されるドラマを楽しむことができる。奏者全員が緻密なやりとりを交わすが、堅苦しさは全くなく、自然な呼吸に聞こえる。これだけのアンサンブルを作ることができるのも、ベルリン・フィルという母体で日ごろからコミュニケーションができているからだと思うが、レコーディングに際して、完璧を期すため徹底的な議論を交わし、妥協は一切なかったということも大きい。

 

 樫本大進は決して目立とうとしていないが、常に音楽をリードし、支えている。ドールのホルンはよく歌う。イゲルブリンクのチェロは控えめだが、第2楽章アダージョのソロが美しい。第4楽章の変奏でのグロスのヴィオラも切迫感がよく出る。第5楽章スケルツォのトリオでのビロンのファゴットは音楽に溶け合う。トマシーニとライネは全員が気持ちよく演奏できるよう土台を支えている。全員がひとつになり、繊細なハーモニーを奏でる様はことのほか美しい。

 

 録音は2017123,30,31日の3日間、東京オペラシティコンサートホールで行われた。ベルリン・フィル八重奏団とクリストフ・フランケの見事なチームワークが生んだ、繰り返し聴くにふさわしいCD(フランケ自身それを目的に制作した)と言えるだろう。

品番:BPOC-0001

制作・発売:Wisteia Project
価格:3000+

 

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122日、サントリーホール)

  何度もノットの指揮に感心し、感動してきた身としては、こう書くのはつらいが、今夜のノットの<完璧な>ベートーヴェン交響曲第3番《英雄》には、あまり心を動かされなかった。

 

 オクタヴィア・レコードによる録音が入っていたため、いつも以上に完成された演奏を求めたことが、結果的にノットの身上である「即興性」「意外性」を削いだのではないだろうか。それは、ティンパニの強打や、第1楽章提示部最後の激しいスフォルツァンドの連打すらも、想定の範囲内に収まっているような印象をもたらした。東京交響楽団の弦はしなやかで、絹のように磨き上げられ、ふくらみもある。木管は完ぺき。ホルンは、第3楽章スケルツォのトリオの三重奏を正確に吹いた。

 

唯一、第2楽章「葬送行進曲」展開部の三重フーガから再現部までは、悲壮感と美的表現の拮抗がスリリングで、そこは心に響いてきた。

 12型、コントラバスは5台、対向配置。第4楽章の主題の第2変奏は、弦楽四重奏になっていたので、ベーレンライター版を使用したと思われる。
 

ノットの《英雄》には場内から熱狂的なブラヴォが飛んでいた。録音では極めて完成度の高い演奏に仕上がることだろう。
 

 完成された《英雄》に較べると、前半のプログラムは、ノットらしい、尖った内容で、個人的には、こちらのほうが面白かった。特に、リゲティの「ハンブルク協奏曲~ホルンと室内アンサンブルのための」は、ジャーマン・ホルンサウンドの一人、クリストフ・エス<バンベルク響首席>のソロと、4人のナチュラルホルンが作り出す、響きとリズムのぶつかり合う衝撃は新鮮。エスは、最初リゲティ指定のヴァルブ・ホルンを使い、半ばからモダンに切り替えた。

 

 エスを含めたジャーマン・ホルンサウンド4人(ほかにシュテファン・ショットシュテット<ハノーファー州立歌劇場管>、セバスティアン・ショル<ロイトリンゲン・ヴュルテンブルク・フィルのソロ・ホルン>、ティモ・シュタイニンガー<ベルリン・コンツェルトハウス管>)による、シューマン「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック」は、4人の闊達で美しいハーモニーと、ソロやデュオなど、多彩な表現が聴きものだった。ノット東響も、生き生きとした演奏を展開していた。

写真:ジョナサン・ノット(cK.Miura

 

 

 

 

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チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団(1130日、サントリーホール)

2000年創立、芸術監督・首席指揮者ロン・ユーに率いられたチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団。大陸的なスケールの大きいオーケストラという印象を持った。弦が良く揃い、強靭で瞬発力があり、爽快な音色。オーボエ、フルート、クラリネットなど木管もうまい。金管はホルンが強力だが、他の金管は特にうまいとは思えない。

 

 12歳のパロマ・ソーが弾く、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は、天才少女らしく、完璧な演奏。素直な影のない音はのびのびとしている。深い表現はこれからだろうが、先が楽しみなヴァイオリニストだ。チャイナ・フィルも切れ味の良いバックを務めた。アンコールはなし。

 

 後半の、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」も、一糸乱れぬ統率がとれた弦を中心にパワフルな演奏だった。ただ聴き終わって、心に残るものが少ないのは指揮者の責任だろう。

 第1楽章展開部は、何が言いたいのかわからない。第2楽章スケルツォも迫力だけで押し切る。第3楽章ラルゴ、練習番号90からのチェロがffで奏でる主題は強力。ヴィオラのトレモロもすさまじい。集中力と緊張感はすごいが、悲痛さは感じられない。第4楽章は速いテンポで一気呵成に進み、コーダで減速、fffで激しく終わった。
 ロン・ユーが、ここまでチャイナ・フィルをまとめ上げた手腕は素晴らしい。日本のオーケストラにとっても、良きライバルとなるだろう。ただ、そのうえで、何を語るのかは次の課題だ。


 ロン・ユーは、2001年ソニーの大賀典雄さんが、北京で東京フィルを指揮している最中にくも膜下出血で倒れたとき、代理としてぶっつけ本番で指揮をしたエピソードがある。12月にはその東京フィルで第九を指揮する。果たして、どのような指揮を聴かせるのか。

 

 

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デニス・ラッセル・デイヴィス 新日本フィル(1129日、サントリーホール)

 六人組によるバレエ音楽「エッフェル塔の花嫁花婿」でのデイヴィスの指揮は、重心が低く、色彩感豊か。新日本フィルの弦が輝いている。フランスのオーケストラのように聞こえた。コンサートマスターは豊島泰嗣。重心が低く、芯のある響きはデイヴィスの力量による部分が多いが、新日本フィルは、上岡敏之効果なのか、最近集中力が増し、音色もさまざまな色彩や響きに対応できるようになった。

 

 六人組とは、20世紀前半にフランスで結成された作曲家集団。メンバーは、オーリック、ミヨー、プーランク、タイユフェール、オネゲル、デュレ。「エッフェル塔の花嫁花婿」は、デュレ以外の5人の合作。
 

 松居直美のオルガンによるプーランク「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲ト短調FP93」は、オーバーホールされたオルガンのメリハリのある切れ味のよい音と、松居のダイナミックな奏法が迫力ある響きをもたらした。松居はピアニシモでは、デイヴィス新日本フィルの弦の洗練された響きと共に、繊細な表情を創り出した。

 

 前半が良かったため、後半のプロコフィエフ「交響曲第6番 変ホ短調作品111」のデイヴィスの指揮に期待した。その期待は満たされた部分とそうではないところがあった。金管がやや粗削り、なかでもホルンが不調で、第2楽章ラルゴで音楽の集中が途切れたことが残念。終楽章は緊張感が維持され、輝かしく終わった。
 瑕はあったが、新日本フィルから集中力のある、新鮮な響きを引き出したデニス・ラッセル・デイヴィスには、ぜひ再演を望みたい。

写真:デニス・ラッセル・デイヴィス(cBenno Hunziker

 

 

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デジュー・ラーンキ ピアノ協奏曲の夕べ(1127日、成城学園内 澤柳記念講堂)

 成城学園の11月下旬の恒例行事、ピアノ・リサイタル。旧成城高等学校第1回卒業生、中村忠相さんが1989年にニューヨーク・スタインウェイを寄贈、それを契機に続けられている。今年26回目は成城学園の創立100周年を記念し、デジュー・ラーンキを迎えて「ピアノ協奏曲の夕べ」となった。

 

 曲目はモーツァルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488」とベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73《皇帝》」。指揮は小澤征爾のアシスタントとしても活躍している村上寿昭。オーケストラは、昭和音楽大学の卒業生を中心に構成されたプロオケ「テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ」。

 

 1曲目にモーツァルト「歌劇《フィガロの結婚》序曲」が演奏され、ラーンキが登場。シンプルで中庸の美とも言うべきバランスの良いピアノは、モーツァルトに最適。第1楽章第2主題の深い音と、第2楽章アダージョの気品のある旋律の歌わせ方が、心に響く。第3楽章の芯のある強い音は、強靭なピアニストであることを示す。

 

 後半のベートーヴェン《皇帝》は、その強靭さが発揮され、堂々とした演奏を展開した。ベートーヴェンの思想を余すところなく伝えようとする意図が、真摯な演奏から伝わってくる。格調の高さ、高邁さ、虚飾のなさ、それがデジュー・ラーンキの音楽だと思う。

 「テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ」は、洗練された響きではないが、デジュー・ラーンキに後押しされるように、演奏がすすむにしたがって、まとまっていった。

 ひさしぶりに、「正統的なヨーロッパ音楽」を聴いた気持ちがした。

 

格調の高さ、高邁さ、虚飾のなさ、それがデジュー・ラーンキの音楽だと思う。

ひさしぶりに、「正統的なヨーロッパ音楽」を聴いた気持ちがした。

 

 

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宮崎陽江 室内楽の調べ ヴィルトゥオーゾ シューベルト(1126日、トッパンホール)

 桐朋学園大学卒業後、ジュネーヴ高等音楽院に学び、プルミエ・プリ(一等賞)で卒業。スイスと日本で活動する宮崎陽江(みやざきようえ)のシューベルトの室内楽コンサート。

 

 前半は、サンタ・チェチーリア音楽院教授マルコ・グリサンティのピアノ伴奏で、「華麗なるロンド ロ短調D.895」、「ヴァイオリン・ソナタ イ長調D.574」を弾き、その間に、ソロでエルンスト「シューベルトの《魔王》による大奇想曲」を演奏した。

 後半は、「ピアノ五重奏曲 イ長調《鱒》D.667」を、グリサンティの他、元モジリアーニ・カルテットのメンバーで、スイス、ローザンヌで教えているハンス=クリスチャン・サルノーのヴィオラ、ベルン交響楽団首席のコンスタンタン・ネゴイタのチェロ、札幌交響楽団副首席、飯田啓典のコントラバスで演奏した。

 

 初めて聴く宮崎陽江の音は、しっとりとして、重みがある。艶やかではあるが、派手ではない。柔らかいが、明るいものではなく、落ち着いた響きがする。色のイメージで言えば、赤と黒。シューベルトには合っている。バッハ、ブラームス、ベートーヴェン、チャイコフスキー、シベリウス、バルトーク、ショスタコーヴィチは向いているのでは。フランクもよいかもしれない。

 

 「華麗なるロンド」は出だしの音程がやや不安定に感じられたが、半ばから持ち直した。ピアノは主導するように積極的だが、宮崎はやや控えめ。この曲の構成を、導入部-A-B-A-C-A-結尾と見た場合、B部分のヴァイオリンが歌うところと、Cの歌謡主題をよく歌わせた。ただ、この作品を宮崎はまだ弾きこんではいないのでは。自分の表現が確定できていないように感じた。

 その点では、3曲目の「ヴァイオリン・ソナタ イ長調D.574」のほうが、まとまりがよかった。ここでの課題は、各楽章の主題の表情のつけ方。第1楽章第1主題、第3楽章アンダンティーノの抒情的な主題など、せっかくのシューベルトの名旋律を、もっと表情豊かに弾いてほしい。第2楽章スケルツォのトリオでは、それができていただけに、惜しい。

 

 難曲エルンスト「シューベルトの《魔王》による大奇想曲」に挑戦する意気込みは素晴らしいが、伴奏の重音の上に、ナレーター、魔王、父親、子供の声の旋律線を浮かび上がらせるのは至難に思えた。

 

プログラムのメイン、「ピアノ五重奏曲《鱒》」は、本来宮崎がリードをすべきだが、ピアノのグリサンティが目立つ。先生方、先輩を前に遠慮があったのかもしれない。ピアノが走り過ぎたり、コントラバスの音量が大き過ぎる点、またヴィオラとチェロのソロの明瞭さがいまひとつなど、いくつか要望はあるものの、全体のアンサンブルはよくまとまっていた。第5楽章の集中と盛り上がりは素晴らしかった。

 アンコールにクライスラー「愛の悲しみ」を五人が弾いたが、ここでの宮崎のヴァイオリンは本プログラムにはない、リラックスしたのびやかさがあった。この柔らかさが本来の宮崎陽江の姿なのではないか、と感じた。

 

 

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小山実稚恵の世界 ピアノで綴るロマンの旅<12年間・24回リサイタルシリーズ 最終回>(1125日、オーチャードホール)
 20066月から毎年2回、12年間、24回続けたリサイタルシリーズの最終回。2011年のみ東日本大震災のため、11月のリサイタルが翌年1月に延期になったが、最初に発表された24回分プログラム全曲を、まったく変えることなく、最後まで無事完走した小山実稚恵を讃えたい。

 

 今日の頂点は、プログラム最後のベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番」。今の小山の持てる力のすべてを注ぎ込んだ巨大なスケールの演奏だった。第1楽章序奏から心をわしづかみにするような激しさで始まり、緊張を保ちながら、嵐のように突き進む。しかし、本当の頂上は第2楽章の主題の変奏にあった。ベートーヴェンの狂気とでもいうような第3変奏の小山の「暴れ方」は尋常ではない。第4変奏で細かなトリルが音楽を高く持ち上げると、第5変奏で、冒頭の主題が戻り、長大なトリルとともに、天国の入口へと聴き手を運ぶ。まさに入魂の演奏。

 

 ブラームスの「3つの間奏曲」も素晴らしかった。第1番の子守歌の抒情、第2番の美しい旋律線、第3番の諦念のような深い静謐さ。弾き終わった後、そのまま動きを止めた小山に、聴衆も静寂を保った。

 ショパンは、小山にやはりよく合う。「ノクターン第18番」の詩情、「子守歌」での右手の細やかな動き、「マズルカ第49番」の高貴で都会的なセンス。

 シューマン「3つの幻想的小品」も各曲の主題を歌う右手の高音が優しさにあふれていた。


 バッハの「平均律クラヴィーア曲集」と「ゴルトベルク変奏曲」の楽譜は常にピアノの上に置くという小山実稚恵。今日は「平均律クラヴィーア曲集第1巻より第1番」で始め、アンコールに同曲集の「第2番フーガ」を弾いた。そして、シューマンの「アラベスク ハ長調」から始まった12年間にわたるリサイタルシリーズの最後を、同じ曲で締めくくった。

写真:小山実稚恵(c)ND CHOW

 

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