ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

読響名誉顧問の高円宮妃久子殿下がご臨席されたコンサート。

 

1曲目はブラームス「大学祝典序曲 作品80」

ヴァイグレ読響は14型。コンサートマスターは林悠介。金管のコラール風旋律のハーモニーだけがいまひとつだったが、引き締まり、重心の低い堂々とした演奏。音の混濁がない切れの良い演奏。

 

続いて、読響とは初共演となる1986年生まれのオランダのヴァイオリニスト、ロザンネ・フィリッペンスが登場。長身でにこやかな表情。使用楽器は1727年製ストラディヴァリウス「バレーレ」。エリス・マチルデ財団からジャニーヌ・ヤンセンに続いて貸与された。

読響は12型。

コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35」は出だしがすこしひやりとしたところがあったが、カデンツァから一気に勢いを取り戻し、繊細だが芯のしっかりとした音で超絶テクニックを披露していく。第2楽章ロマンツァの主題は甘さもたっぷり。第3楽章はスタッカートの跳躍音型の主題を颯爽と弾いていく。コーダも決まる。ヴァイグレ読響も切れのいいヴィルトゥオーゾ的な演奏で、スリリングな共演となった。第3楽章のコーダに入るところの日橋辰朗以下ホルンの吹奏が壮大かつ華麗。ホルンを効果的に使う映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムズにも影響を与えたことが伺える。

 

フィリッペンスのアンコールはエネスク「ルーマニアの様式による歌」。4つの部分からなる組曲でルーマニア出身のヴァイオリニスト、シェルバン・ルプが1926年に発見、未完成であった作品を補筆したようだ。

フィリッペンスは第4曲にあたるAllegro giustoを弾いたと思う。第1曲Moderatoからアタッカで入っていく第2曲にも同じタイトル、似た曲調があるが。

 

後半はベートーヴェン「交響曲第4番 変ロ長調 作品60」

ブラームス同様、ヴァイグレらしい重厚かつ切れの良い演奏。リズムの切れと推進力がある。読響は14型。木管が少し抑え気味。欲を言えば、もう少し楽しさや華のある生き生きとした表情もほしいところ。

12年前に聴いたヤンソンス指揮バイエルン放送響のベートーヴェン交響曲全曲ツィクルスでの演奏がこれまで聴いた生演奏のベスト。あの時は木管も弦も、もっと明るく生き生きとしていた。ヴァイグレがホルン奏者だったベルリン国立歌劇場管弦楽団(北ドイツ)とバイエルン放送響(南ドイツ)の響きの伝統の違いもあるのかもしれない。

 

とはいえ読響の木管は名手ぞろいで、第2楽章ではフルートのフリスト・ドブリノヴが第1主題を透明感のある清らかな音で、第2主題はクラリネットの金子平が滑らかに歌い上げていた。オーボエの金子亜未の端正な演奏、ファゴット井上俊次の滑らかなソロも良かった。

第3楽章スケルツォのアレグロ・ヴィヴァーチェの主題では第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのやり取りが美しい。

第4楽章も推進力があり、切れ味良く進み爽快。コーダはファゴットのソロの後、胸のすくように鮮やかに締めた。

写真©読響



4月20日NHKホールで聴いたブルックナー「交響曲第7番」では辛口のレヴューを書いたエッシェンバッハN響の演奏だが、今日のオール・シューマン・プログラムは、そのまろやかで美しく尖ったところのない響きと、内声部まで丁寧に描かれていく指揮がシューマンの世界にピタリと合致して素晴らしかった。
コンサートマスターは前半が郷古廉、後半の交響曲第2番は川崎洋介と交互に務めた。二人は終始並んで演奏した。


シューマン「歌劇《ゲノヴェーヴァ》序曲」

とてもバランスの良い響き。まろやかに音が溶け合う。ブルックナーでは物足りないと思った尖ったところのない音が豊かな響きをつくる。

 

シューマン「チェロ協奏曲 イ短調 作品129」

キアン・ソルターニのチェロはシンプルな美しさ。木目(もくめ)を思わせる響きの良い音。シューマンにしては明るい音だが、ロマンティックな表情は充分。エッシェンバッハN響はゲノヴェーヴァと同じく、バランスの良い演奏でソルターニのチェロを包み込む。オケは14型。

エッシェンバッハ指揮SWR交響楽団との演奏がyoutube↓にあった。

Schumann Cello Concerto op 129 | Kian Soltani | Christoph Eschenbach | SWR Symphonieorchester | HD (youtube.com)

 

ソルターニのアンコールは『自分の作品です』と紹介しながら、「ペルシアの火の踊り」というタイトルの曲を演奏した。ペルシャの伝統音楽の旋法のひとつチャハルガーを使ったものらしい。

1992年生まれのソルターニが20歳の時に演奏した映像がyoutube↓にあった。
Kian Soltani ... Persian Fire Dance (youtube.com)

 

 

シューマン「交響曲 第2番 ハ長調 作品61」

N響は16型。

これも素晴らしい演奏。ブルックナーでは少し物足りなかったエッシェンバッハの音楽性がシューマンではぴったりとはまる。ゲノヴェーヴァ同様、全体のバランスが整えられ、弦、木管、金管の音が絶妙に混じり合う。対抗配置。ヴィオラの内声部が特に美しい。

第1楽章序奏ではホルン、トランペット、トロンボーンによるモットー動機が全体に溶け込む。付点リズムの第1主題が生き生きと演奏される。

 

第2楽章スケルツォの第2トリオのヴィオラの対旋律がとても美しい。

 

第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォは端正な表情で、しかし充分な情感を込めて演奏される。

コーダが消えていくところで地震が起きる。震源地は茨城県で震度4、港区の震度は1だったが会場全体が一瞬ビリビリと揺れ、『あ!地震!』という声も上がる。エッシェンバッハとN響は構わずアタッカで第4楽章に入っていく。

 

この楽章は輝かしかった。地震のために活が入ったということはないだろうが、それまでとは表情ががらりと変わった。アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの序奏は躍動し、行進曲風の第1主題は覇気に満ちる。第2主題の木管と弦も柔らかく温かい。

展開部からコーダまで、序奏の動機やオーボエに出る動機とともに、輝かしく盛り上げていく。対位法的に支えるヴィオラをはじめ低弦部の動きも生き生きとしていた。金管の音が弦とバランスよく溶け合った壮大なコーダも格調が高かった。

 

ブラヴォも飛び、エッシェンバッハへのソロ・カーテンコールとなった。

 


 

風格のある堂々とした演奏。全体にテンポはゆったりとしている。コンサートマスターは川崎洋介。N響の弦はしなやかで、トレモロは渾身の力を込める。

ホルンとトランペットにわずかな疵(きず)があったが、ワーグナーテューバ、トロンボーン、バステューバとともに、金管は粘りのある輝かしい音で鳴り響く。木管も安定。

 

エッシェンバッハは息長くフレーズを歌わせていく。しかし、その演奏の中に入っていけない。立派なブルックナーなのになぜ?と自問しながら、入口を見つけようとするが、結局見つからず、演奏が終わってしまった。

 

聴き終わった後、なぜエッシェンバッハの指揮に共感できなかったのか振り返ってみた。

 

ひとつは、音楽がレガートで横に流れていき、のっぺりとして変化が少ないこと。

第1楽章の第1主題は雲の上に漂うように柔らかい。第2主題も呼吸が長いので、引き締まったところが少ない。第3主題もインパクトがない。全てが優し過ぎる。コーダも滑らかで滔々と終わる。

 

ふたつに、表情の変化が少ないこと。第2楽章アダージョも第1楽章の延長線。第1主題の優しさはまるで天国に遊ぶよう。女性的という禁句を発したくなる。第2主題は更に優しさを加える。甘過ぎ優し過ぎる。コーダのワーグナーテューバとホルンのハーモニーも柔らかい。繊細さの中に、もっと陰影の濃さや奥行き、あるいは感情の濃さが加わってもいいのでは。天国的と言えばまさに天国的だが。

 

第3楽章スケルツォもゴツゴツとした感じとは違い、角が取れてすべてが柔らかい。トリオも繊細。こういうブルックナーはあまり耳にしたことがない。

 

第4楽章もスケルツォ楽章と同様にすべてがまろやかで繊細で柔和。第3主題はさすがに金管の切れと総奏の迫力が出る。展開部の第3主題による頂点から停止はまずまずの力強さ。

再現部に入る。第1主題の動機で力を増していくが、全体にソフト。コーダの第1主題の金管も柔らかく美しいハーモニーで盛り上がる。トレモロも渾身の力で弾かれるが、角ばったところは少ない。金管の強力な吹奏などオーケストラの総奏による第1主題の動機で輝かしく終わるが、もうひとつすっきりとしない。

タクトが下りるまで静寂が保たれ、ブラヴォも起こる。

 

最初に書いたように、エッシェンバッハのブルックナーは素晴らしいと思うが、共感は少なかった。NHKホールという巨大な空間(座席は1階16列目中央)もあってか立体感がいまひとつ感じられなかった。もしサントリーホールで聴いたなら異なる感想を持ったかもしれない。

アンデルジェフスキ弾き振りによる紀尾井ホール室内管弦楽団デビューは2021年9月の第128回定期演奏会。モーツァルトのピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414と同第24番ハ短調 K.491を演奏した。残念ながら、その時は聴いておらず、今回が初めて。

 

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
第3楽章が活気と乗りの良さがあって一番良かった。高音部の美しさは独特で、キリリと引き締まり透明感がある。

アンデルジェフスキの指揮は、音が団子になりピアノのような澄み切った響きではない。弾き振りはピアノに専念できない分、弾く方がおろそかになりそうで、個人的にはあまり好きではない。

アンデルジェフスキの意図は、オーケストラを自分の思うようにもっていきたいからだろうか。

 

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 op.15

こちらは、骨太でたくましい響きを紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)から引き出した。トランペットやティンパニには右手を突き出して激しく煽った。

 

アンデルジェフスキの演奏は、第1楽章の上下行する連符の粒立ちがよい。カデンツァはベートーヴェン作の2種あるうち短いもの。

第2楽章の弦は分厚いが、少し響きが粗い。幻想的な中間部のピアノとオーケストラの対話は美しかった。第3楽章は荒々しいまでに激しい打鍵とオーケストラだったが、その分丁寧さが減じられた。

 

アンコールに弾いたハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調Hob.XVIII:IIより第2楽章が、一番アンデルジェフスキに合っているように思えた。天国的に繊細で、KCOの弦も同様に美しい。モーツァルトもこの調子で弾いてほしかった。

 

弾き振りでこれまで聴いた中で、飛びぬけて素晴らしかったのは2015年5月15日東京オペラシティで聴いたアンスネスとマーラー・チェンバー・オーケストラによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。あの演奏を超える第3番はまだ聴けていない。
アンスネス マーラー・チェンバー・オーケストラ ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲演奏会 初日 | ベイのコンサート日記 (ameblo.jp)


アンデルジェフスキ&KCOの演奏は世界ツアーをしていたアンスネス&MCOと較べてはいけないかもしれないが、残念ながら一体感の面でも演奏の緻密さ内容の濃さの面でかなり劣る。

 

コンサートの最初に、KCOの管楽器奏者によりグノー:小交響曲変ロ長調が演奏された。編成はフルート1、オーボエ2、ホルン2、ファゴット2、クラリネット2。

フルートの相澤政宏がリードする。アンサンブルはきっちりとしているが、もう少し遊び心もあってもいいのでは。

 

後半の最初には、KCOの弦楽セクションにより、ルトスワフスキ:弦楽のための序曲が演奏された。バルトークを思わせる野性的な音楽。指揮者なしのKCOの演奏を初めて聴いたが、自発性がありとても良かった。コンサートマスターは玉井菜採(なつみ)。

 

紀尾井ホール室内管弦楽団第138回定期演奏会

出演者

ピョートル・アンデルシェフスキ(指揮&ピアノ)

紀尾井ホール室内管弦楽団

曲目

グノー:小交響曲変ロ長調

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488

ルトスワフスキ:弦楽のための序曲

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 op.15

 

昨晩のサカリ・オラモ指揮東京交響楽団のコンサートのレヴューを「毎日クラシックナビ」速リポに書きました。

東響は初共演にしてオラモと恋に落ちたと思います。

 

このリンクからお入りください。
サカリ・オラモ指揮 東京交響楽団第719回 定期演奏会 | CLASSICNAVI

 

 

4月28日までニコニコ生放送で見られます。

【ドヴォルザーク:交響曲第8番ほか】東京交響楽団 川崎定期演奏会第95回 Live from MUZA!≪ニコ響≫ - 2024/4/21(日) 14:00開始 - ニコニコ生放送 (nicovideo.jp)


「音楽の友」5月号が発売されました。

私は、
「開館20周年ミューザ川崎シンフォニーホールの歩み」(カラー12p-13p)ホールの歴史と将来の方向性、フェスタサマーミューザKAWASAKI2024の紹介、およびミューザの日2024アニバーサリー・コンサートについて書いています。

「30年の歴史に幕 三井住友海上しらかわホール 感謝の気持ちを込めたラスト公演」(156p スクランブル・ショット・エクストラ)2月28日愛知室内オーケストラ、2月29日阪田知樹ピアノ・リサイタルを最後の2公演として閉館となった三井住友海上しらかわホールを取材しました。

コンサート・レヴュー 3本。

1/19 鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン ブラームス《ドイツ・レクイエム》(5p)

1/22 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団東京公演 ブルックナー「交響曲第6番」他 (7p)

1/27 マティアス・バーメルト指揮札幌交響楽団東京公演 ブルックナー「交響曲第6番」他 

 

お読みいただけたらうれしいです。

 

 

昨日のムーティ《アイーダ》の超名演に続き、今夜はヴァイグレ読響《エレクトラ》に心底圧倒された。

 

歌手陣全員とオーケストラがここまで高水準のオペラ公演が実現したことは奇跡的だ。

エレクトラのレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)が凄かった。4月7日の《ニーベルングの指環》ガラコンサートでも立派だったが、今日はその遥か上を行った。おそらく《エレクトラ》に賭けていたのではないだろうか。豊かな声量があり、どんな強声もなめらかで余裕がある。非業の死を遂げた父アガメムノンの復讐の完遂(かんすい)のみに生きるエレクトラの悲劇的なキャラクターも十二分に表現されていた。

 

エレクトラの妹で健全な生活を望むクリソテミスのアリソン・オークス(ソプラノ)が、ダークホースのように光り輝いた。驚くべきはパンクラトヴァを凌駕せんばかりのスケールの大きな歌唱力。第一声から聴き手を釘付けにする迫力があった。

 

主役と準主役二人の凄さに加え、圧倒的な存在感と風格、舞台の雰囲気を一変させるような美しいドイツ語の発音で公演を更なる高みに持ち上げたのは、2人の弟オレスト役で復讐を成し遂げるルネ・パーぺ(バス)。太く柔らかく重厚な声で、格の違う歌唱を聴かせた。

 

ドイツ語の発音がこのオペラに必須だと気づかせてくれたもう一人は、エレクトラの敵役で父アガメムノンを殺したエギスト役のシュテファン・リューガマー(テノール)。短い出番だが、響きが良く明解なドイツ語のイントネーションの歌唱に魅了された。

 

パンクラトヴァ(ロシア生まれ)とオークス(イギリス生まれ)がもしネイティブであったならは望み過ぎだし、現実的にドイツの歌手陣のみで上演することは不可能だが、もしそうだったらと夢想するほど、パーペとリューガマーのドイツ語が素晴らしかった。

 

アガメムノンの殺害にエギストと共謀した母クリテムネストラ役の藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)のドイツ語は定評があり、この夜も折り目正しい発音だった。ただ強烈な歌唱で勝負する役柄ではないこともあり、少し引いた印象があった。

 

日本の歌手陣、新国立劇場合唱団は好演。

 

本当は最初に書くべきだが、ヴァイグレ指揮読響が歌手陣と並ぶ、いやそれ以上の存在と言ってもよいほど、驚異的な演奏を展開した。

ヴァイグレはコンサートではあまり見たことのないほど身体を大きく揺り動かし、読響から大波がうねるような巨大な音響を引き出した。オペラを熟知した指揮者らしく、また歌手陣の強力さもあり、どれほど巨大な音響も歌手の声を消すようなことはなく、バランスが保たれた。
明晰で少しクールな音色は、表現主義的な(強弱の極端な変化、和音の衝突、無調性など)《エレクトラ》というオペラによく合っていた。
読響のコンサートマスターは長原幸太、トップサイドに林悠介が並ぶ。アンサンブルの強固な点はずば抜けており、リハーサルがいかに念入りだったかを示していた。

 

エレクトラが歓喜の踊りに酔いしれる場面では、ステージの照明が明るく照らされ、ホルン他が強奏するアガメムノンの動機とエレクトラの死を表す強烈な二つの和音で暗転となった。

 

細かな点では、殺害されるクリテムネストラとエギストの断末魔の悲鳴と、召使たちの騒乱は舞台裏の声がPAを使い流されたが、これは賛否があるかもしれない。

 

ブラヴォ、ブラヴァは凄まじい。カーテンコールは長く、オーケストラが引き揚げたあともヴァイグレと主役陣への拍手が続いた。

これほどの演奏にもかかわらず、《トリスタンとイゾルデ》《アイーダ》という大型公演が続いたためか、今日は空席が目立った。

 

4月21日(日曜日)15時からも公演がある。オーケストラ、歌手陣は更に練り上げられた演奏を展開することだろう。これだけの公演を聴きのがすのはもったいないと思う。

公演データ

曲目

R.シュトラウス:歌劇《エレクトラ》op.58(全1幕) [

上演時間:約1時間45分

 

指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

エレクトラ(ソプラノ):エレーナ・パンクラトヴァ

クリテムネストラ(メゾ・ソプラノ):藤村実穂子

クリソテミス(ソプラノ):アリソン・オークス

エギスト(テノール):シュテファン・リューガマー

オレスト(バス):ルネ・パーペ

第1の侍女(メゾ・ソプラノ):中島郁子

第2の侍女(メゾ・ソプラノ):小泉詠子

第3の侍女(メゾ・ソプラノ):清水華澄

第4の侍女/裾持ちの侍女(ソプラノ):竹多倫子

第5の侍女/側仕えの侍女(ソプラノ):木下美穂子

侍女の頭(ソプラノ):北原瑠美

オレストの養育者/年老いた従者(バス・バリトン):加藤宏隆

若い従者(テノール):糸賀修平

召使:新国立劇場合唱団

 前川依子、岩本麻里

 小酒部晶子、野田千恵子

 立川かずさ、村山 舞

管弦楽:読売日本交響楽団

合唱:新国立劇場合唱団

合唱指揮:冨平恭平

 

リッカルド・ムーティの神業のような指揮のもと、歌手、合唱、オーケストラが完全に一体となる破格の超名演。

ムーティの意思が出演者全員に完璧に行き渡っており、まるでセッション録音の現場に立ち会うようだ。ホールはほぼ満席。幕が終わるまで拍手はできない雰囲気でムーティは演奏を途切れることなく進めて行く。第1幕のラダメスのアリア「清きアイーダ」をルチアーノ・ガンチが歌い終わった後も拍手を無視して先へ進めた。第2幕の凱旋の場面も凱旋の行進が終わった後の拍手を制するようにバレエに入っていった。

マエストロの意図は各幕の最後のクライマックスへ全てを集約していくことにあるようだった。

 

第1幕第2場最後のランフィスら神官とラダメス、御子たちの静と動の対比が鮮やかな大合唱のクライマックスは凄みがあった。

 

第2幕の最後は特に素晴らしく、エジプト王がラダメスに戦勝の褒美に王女アムネリスと、いずれ王位を譲ると宣言、勝ち誇るアムネリス、絶望するラダメスとアイーダ、復讐を誓うアモナズロがそれぞれの思いを歌う重唱、民衆や捕虜たちの合唱、管弦楽、バンダのアイーダ・トランペットも加わる壮大なクライマックスは聴衆を熱狂の坩堝に叩き込んだ。

ちなみに、凱旋の行進の場でのアイーダ・トランペットは下手、上手それぞれ4人。音も良く揃っていた。

 

第4幕最後は静謐の凄さ。

生きながら墓に入れられたラダメスとひそかに忍んでいたアイーダが『天国が開く…』と繊細を極めた二重唱を歌い終わり、アムネリスが『平安に』が祈りのように歌われ後奏がひっそりと消えていく。満員の聴衆もムーティのタクトが完全に下りるまで静寂を保った。

 

歌手陣の中ではアムネリスユリア・マトーチュキナ(メゾ・ソプラノ)が飛びぬけていた。特に第4幕第1場でラダメスを必死に説得する場面や生きながら墓に入れるという残酷な刑を与えた神官たちへの呪詛の歌唱が圧巻。ここでのマトーチュキナの歌唱は今日の白眉中の白眉。このオペラのタイトルは「アイーダ」ではなく、「アムネリス」とすべきではとさえ思った。芯のある艶やかな声と激しい感情表現は聴衆を虜にした。終演後のブラヴァの凄かったこと。

 

祭司長ランフィスヴィットリオ・デ・カンポ(バス)も重厚で強大な声で圧倒した。ラダメスを裁く審問の場での『ラダメース!』と呼びかける声の威圧感は凄みがあった。

 

ラダメスルチアーノ・ガンチ(テノール)も抒情味のある美声と、勇者らしい堂々とした押し出しの両面をしっかりと聴かせてくれた。

 

アイーダマリア・ホセ・シーリ(ソプラノ)は当初他の歌手陣と較べて押し出しが弱かったが、幕が進むに従い声量も増し、第3幕の冒頭のアリア『おおわが故郷』は情感が籠り素晴らしかった。ここでの金子亜未オーボエの素晴らしさも特筆すべきで、ヴィブラートを抑えた気品があり、歌手に合わせた演奏は歌に満ちていた。カーテンコールでムーティが席まで出向いて握手を求めた姿が印象的。

 

アイーダの父、エチオピア国王アモナズロセルバン・ヴァシレ(バリトン)も力が入っていた。

 

日本の歌手では国王片山将司(バス)が健闘。第2幕が良かった。伝令の石井基幾(テノール)もがんばった。巫女中畑有美子(ソプラノ)は、ヴィブラートが多く、清らかさが足りなかったのが残念。

 

合唱東京オペラシンガーズは大迫力。新国立劇場合唱団と較べると、多少整っていなかったかもしれないが、反響板前で大人数が歌うパワフルな合唱は聴き手を圧倒した。

 

日本の若手演奏家によって構成された東京春祭オーケストラは、例年ものすごい演奏を聴かせるが、今年もムーティの指揮に見事に応えていた。

コンサートマスターはN響コンサートマスターの郷古廉セカンド・ヴァイオリン首席横溝耕一(N響次席奏者)、ヴィオラ中恵菜(新日フィル首席奏者)、チェロ中木健二(ソリスト)、コントラバス赤池光治(藝大フィルハーモニア管首席奏者)。

 

前奏曲のヴァイオリンの音の揃い方、均質性は素晴らしい。金管も目が覚めるようで、特にチンバッソ次田心平(読響)が気合が入っていた。

ティンパニ清水太(東響首席奏者)もムーティと息が合い今年もまた迫力満点の打音を聴かせた。

 

ムーティの指揮は、畳み込むような盛り上げ方、切れ味の鋭さ、血沸き肉躍るヴェルディのオーケストレーションの凄みを細部まで掘り下げた指揮で、マクベスに続く驚異的な演奏を東京春祭オーケストラから引き出していた。

 

この先、今日のような凄みのある《アイーダ》を聴く機会はあるのだろうか。

ムーティは1941年7月28日生まれ、82歳。老いを全く感じさせない外見同様、指揮ぶりも若さに溢れる。歌手、オーケストラ、合唱を完璧に手中に収め、ひたすらヴェルディの音楽の真髄を伝える使徒として、今後も東京春祭に登場してくれることを期待し、祈りたい。

 

カーテンコールの最後にムーティが登場したときは、1階が総立ち。これほどの一斉のスタンディングオベーションは東京春祭史上初ではないだろうか。

 

退場する東京オペラシンガーズへの拍手も終わり、誰もいなくなった舞台への拍手が続き、主要歌手陣が再度登場し、袖に引き上げた後も残った聴衆の拍手は止まず、ついにムーティ一人が登場。ステージに駆け寄った聴衆と握手を交わしていた。

 

今日の公演はNHKのカメラが入っており、いずれ放送されると思う。

東京春祭の中でも記念碑的な公演のひとつとなったムーティのアイーダが録画されたことはうれしい。永久保存版にしたい。

オッカ・フォン・デア・ダメラウは一昨日のブルックナー「ミサ曲第3番」では声が出ておらず心配したが、今日のリサイタルでは問題なく、杞憂に終わってよかった。

潤いのある豊かな声。リサイタルはブラームス、ベルク、マーラー、ワーグナーと全てドイツ語であり、ハンブルク生まれのネイティブのダメラウの発音もフレージングも自然。

各曲の頂点では大ホールに響かせられるようなパワフルな声も出す。

 

前半では、ベルク:《4つの歌》op.2 より「眠ること、眠ること、ただ眠ること」 「眠っている私を運ぶ」 「今私は一番強い巨人を倒した」「森の日差し」が良かった。半音階が多く出る作品で、眠り=死をテーマにしたミステリアスな曲が並ぶ。 太く豊かなダメラウに合っていた。4曲目の「森の日差し」がパワフルだった。

 

後半のマーラー:《若き日の歌》より「思い出」 「別離」も明るくユーモアがあり、これもダムラウの性格に向いている。

伴奏のピアニスト、ソフィー・レノーがワーグナー=リスト:イゾルデの愛の死 を弾いた。歌の伴奏と同じく、音に丸みがあり温かい。

 

ワーグナー:《ヴェーゼンドンク歌曲集》は正直もう少し藤村実穂子のような深みもほしいと感じた。

アンコールはマーラー:《若き日の歌》 第1集 より 第3曲ハンスとグレーテと《子供の魔法の角笛》より 第4曲 この歌を作ったのは誰? の2曲。いずれも温かくユーモアがあった。

 

 

出演

メゾ・ソプラノ:オッカ・フォン・デア・ダメラウ

ピアノ:ソフィー・レノー

 

曲目

ブラームス:

 わが恋は緑 op.63-5

 調べのように私を通り抜ける op.105-1

 永遠の愛について op.43-1

 失望 op.72-4

ベルク:

 私の両眼を閉じてください(1907)

《4つの歌》op.2 より

  眠ること、眠ること、ただ眠ること

  眠っている私を運ぶ

  今私は一番強い巨人を倒した

  森の日差し

マーラー:

 《リュッケルトの詩による5つの歌曲》

休憩

マーラー:

 《若き日の歌》より

  思い出

  別離

ワーグナー=リスト:イゾルデの愛の死

ワーグナー:《ヴェーゼンドンク歌曲集》

 

[ アンコール曲 ]

マーラー:

 若き日の歌 第1集 より 第3曲 ハンスとグレーテ

 子供の魔法の角笛 より 第4曲 この歌を作ったのは誰?



シューベルト「交響曲第4番《悲劇的》」でのN響は12型。コンサートマスターは東京・春・音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」と同じくドレスデン・フィル第1コンサートマスター、ウォルフガング・ヘントリッヒ

ヤノフスキN響はきりりと引き締まった演奏。終楽章の転調の綾も繊細。

 

ブラームス「交響曲第1番」は16型。ヤノフスキは序奏の8分の6拍子を二つ振り(2拍子)で指揮したが、その速めのテンポを聴いて、2017年9月28日内藤彰指揮東京ニューシティ管弦楽団(現パシフィックフィルハーモニア東京)で聴いた速いテンポを思い出した。

 

内藤はブラームスの作曲や修正の経緯、書簡などを根拠に、大半の指揮者が遅く堂々と演奏する序奏部のテンポは、主部アレグロより少し遅いウン・ポコ・ソステヌート(音を少し長く保って)であり、主部のテンポ感を逸しないことがブラームスの意図だとプログラムで説いていた。ウン・ポコ・ソステヌート:アレグロが第1楽章全体の演奏記号ということだろう。

 

3月6日都民芸術フェスティバルで森内剛指揮読響も、同じように序奏は速めのテンポをとっていた。

ヤノフスキは緩徐部分はじっくりと歌わせており、全体が拙速ではなかったと思う。

 

ヤノフスキは第1楽章展開部でホルンに続く木管の運命動機をベルアップさせて驚かせた。ホルンの強奏と同様にとの意図があったのかもしれない。

 

ソロカーテンコールではヤノフスキが楽員が去った舞台を指さし、拍手はオーケストラへ、という意図を示していた。

 

演奏全体については「音楽の友」コンサート・レヴューに書きます。