テリー・フォックス ~カナダの偉大なるヒーロー~
ここにカナダの1ドルコインがある。
カナダでは硬貨にいろいろな図柄が採用されており、これもその中の一つ。
しかし、人物が描かれるのは珍しい。
この人は誰だろう・・・?
カナダで初めて手にした時、そう思ったのが「彼」を知るきっかけでした―――
日本では馴染みの薄い人物かもしれない。
しかし、カナダでは知らない者はいない・・・
彼の名は―――
テリー・フォックス - Terry Fox (Terrance Stanley Fox)
(1958年7月28日 - 1981年6月28日)
彼はガン研究の資金を集めるために、カナダを東から西へと走る大陸横断マラソンを決行。
その総距離は実に8000km以上。
フルマラソンと同じ42kmを毎日走り続けたというから驚きです。
しかし、彼はなぜそのような無謀なマラソンに挑んだのか?
彼には時間がなかったんです。
彼自身もガンにかかった闘病者。
手術で右足を切断しているんです。
そう、彼は義足のランナー・・・
彼は1958年7月28日にマニトバ州ウェニペグで生まれ、バンクーバーで育ちました。
サイモンフレイザー大学の学生時代にはバスケットボール部に所属。
活躍していました。
しかし、1977年に彼に悲劇が襲います。
バスケットの練習中に右ひざに痛みを感じるのです。
検査の結果・・・
彼は骨のガンと言われる「骨肉腫」という病に侵されていることが判明。
当時の医学ではどうすることもできず・・・
彼は骨肉腫が発見された右足の膝から下の切断を余儀なくされたのです。
彼が若干18歳の時でした・・・。
彼は入院中に自分のようにガンと真摯に向き合っている人たちと出会います。
その中にはガンと闘っている幼い子供達までもが。
そして次々と亡くなっていく現実。
その時、彼は思います。
自分は生きている。
生きているのなら、彼らのためにきっと何かができるはず!
そして、彼が挑戦するのがカナダ横断マラソン。
ニューファンドランド州のセント・ジョンからスタートし、バンクーバー島のポートレンフリューまでを目指します。
総距離は8000km以上。
予定では7ヶ月の内に走破するという無謀なチャレンジ。
計算では毎日フルマラソンを走ることになります。
目的は自身の完走とガン研究資金の募金集め。
彼はこのマラソンをこう名付けました・・・
「Marathon of Hope (希望のマラソン)」
トレーニングの末、1980年4月12日に彼はスタートしました。
右足切断からわずか3年後のことです。
彼はこのマラソンで少なくとも100万ドルの募金を集めたいと思っていました。
100万ドルとは当時のカナダに住んでいる人々から1ドルを募金してもらって達成できる額なんです。
たった1ドルだけでいい・・・
みんなの小さな小さな善意が大きなプロジェクトを動かしていく・・・
それは他のガン患者に勇気を与え、なによりそれは彼らを助ける資金にもなる。
1ドルは誰もが募金できる金額です。
みんなからのたった1ドル。
そんな理由で彼は目標額を定めたのかもしれません。
彼は順調に走り続けました。
そして、みんなに募金を呼びかけました。
毎日フルマラソンに匹敵する距離を走り続ける過酷な状況の中で・・・
最初は誰も彼のことを知りませんでした。
なぜ彼は走っているのか?
疑問に思いながらも無関心な人たちが多かったようです。
しかし、次第にメディアにも取り上げられ、彼は徐々にカナダ中の人たちに知れ渡りました。
そして、カナダ中の人々が一斉に彼を応援し始めました。
がんばれ、テリー!
彼が走り抜ける町の人たちは彼を暖かい声援で迎えます。
しかし、軌道に乗ったかに思えた彼のマラソンもそう長くは続きませんでした・・・
走り始めて4ヶ月たった1980年9月1日。
ついに彼の肉体が悲鳴を上げます。
なんとガンが肺にまで転移していたのです。
彼はこれ以上走ることを断念。
彼にとってそれはとてつもなくつらい決断でした・・・
スタートしてから実に5372kmを走破。
オンタリオ州サンダーベイでの出来事でした。
彼はそのまま入院。
目標額の100万ドルに達していなかったことを入院中、彼はずっと気にしていたようです。
しかし、カナダで彼のことが大々的に報道されてから一気に募金が集まりました。
彼の偉大な勇気ある行動にカナダの人々は感化されたのです。
その時、実に募金額は1000万ドル以上!
このお金はほぼ全てガン研究のために使われました。
そして、入院してから約1年後の1981年6月28日。
彼はこの世を去りました―――
22歳という若さでした。
1980年―――カナダの最優秀スポーツ選手に与えられる「ルー・マーシュ賞」受賞。(マラソン)
1981年―――「カナダ勲章」受賞。(最高位のコンパニオンを史上最年少で受賞)
1999年―――カナダで投票によりもっとも偉大なヒーローに選ばれる。
2005年―――「テリー・フォックス」デザインの記念1ドル硬貨発行。
以上が彼が残した功績です。
それと忘れてはいけません・・・
彼が集めた募金で今もガンに苦しむ人々が救われている、ということを―――。
彼の母校であるサイモンフレイザー大学には2001年に「テリー・フォックス」像が建てられました。
自分がもしガン宣告を受けて、余命何年と告知されたら・・・
残りの人生、僕は一体何をするだろう・・・
若干18歳で運命を受け入れ、、、
そして、残りの人生を自分のためではなく、人のために捧げたテリー・フォックス。
カナダ滞在中に彼の存在を知った僕は心の底から感動し、そして心に誓った。
絶対に彼に会いに行こう、と。
バンクーバー中心部から車で25分ほどにあるバーナビー市にサイモンフレイザー大学はある。
小雪舞う2005年11月。
大学構内に入ったはいいが、一面真っ白な雪景色で道に迷う。
構内のカフェで働く店員に尋ねる。
Where is the statue of Terry Fox? (テリーの像はどこだい?)
He is over there... (彼はあそこにいるよ)
その店員は言った。
“He Is・・・” と。
そう、カナダ人にとってテリーはまだ生きているのだ。
案内された中庭に行くと、そこに彼がいました・・・
なぜか鳥肌が立ったのを覚えています。
このスポットだけは不思議と寒くないんです。
テリー・フォックスの熱い気迫が伝わってくるからでしょうか・・・
見えますか?
胸には「Marathon of Hope」の文字。
テリーさん、僕はあなたに会えてうれしいです。
右足の痛みに耐えて、一人でよく頑張りましたね。
勇気と感動をありがとう・・・
彼の足元の碑には、こう刻まれている。
「希望のマラソンにおいて勇気ある決断をした彼はカナダの英雄であり、私たちに夢と希望を与えてくれた・・・」
テリー・フォックス―――
彼は今でも人々の心の中で走り続ける―――
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
一人でも多くの人にテリー・フォックスのことを知ってもらいたくて書きました。
ちなみにテリー・フォックス記念1ドル硬貨はカナダ国内で流通しています。
もし幸運にもカナダで手に入れることができれば、それは使わずに大切に持っていて下さい。
なぜなら、「1ドル」は彼が当時のカナダ国民一人一人からもらった募金額。
そんな彼の思いとカナダ国民の思いが込められて発行された大切な「1ドル」硬貨なのですから・・・
この記事を読んで、皆様の心の中に何かが残れば幸いです。