先週、叔父が亡くなった。
8月末に自宅で倒れたときには、もう末期の悪性リンパ腫に侵されていた。
私はそんな叔父の姿を見るのが怖くてお見舞いに行くことができなかった。
恐らく叔父もそんな姿を私に見られたくないだろうな、と思って。
そして遂に逝ってしまった。
棺の中の叔父はやせ細っていたけれど、穏やかな死顔だった。
棺を取り囲み泣いている私の母を含めた3人の姉たち。
もう私の母、というより、末っ子の弟を亡くした哀しみに暮れる姉の顔だった。
祖父母が健在だった私の幼い頃は、お正月になると親戚みんなが集まり
お祝いの食事をした後に、必ず百人一首で遊んだ。
私の名前が入った札があり、それは必ず私が取る私の公認の札だった。
私がその札を取るまで親戚みんなが温かく見守ってくれて、たまに弟が待ちきれず
先に取ったりすると私が真剣に怒った。
ある時、その札がなかなか見つからないでいると、叔父の前にあったその札を
叔父が人差し指で押さえて、私にそっと教えてくれた。
また、祖父母の家に行くと私と弟は一目散に、叔父の部屋に行き
当時珍しかったベッドの上で、ポンポンはねて遊んだり、
叔父の漫画を読んだり、とにかくやりたい放題で遊んでいた。
今思うと、やりたい放題で散らかしてなんてひどいことを私たちはしていたんだ、と
思うけど、叔父はちっとも怒らなかった。
とにかく優しく、おとなしく、大きな声を聴いたことないほど静かな人だった。
でもハンサムで、若いときは三浦友和のような爽やかさがあり、
年を取ってからは柴田恭平のような風貌だった。
絵を描くのがとても上手く、いつも描いた絵が飾ってあった。
英語も得意で、独学で英検1級も取っていて翻訳の仕事もやっていた。
(私にも少しはその血が流れているはずなのに、なぜ英語が苦手なのか・・・・>_<)
いつだったか、私のブログを見てるよ、と言ってくれたことがあった。
私の観た映画を参考にして映画見に行ってるって話してくれた。
そのブログは一旦閉じて、また再開したのに新しいブログのアドレスを
教えていなかった。教えておけばよかったな・・・・
叔父の人生のすべてを知る由もなく、最後もあまり話ができなかったのが
残念だったけど、二人の娘さんが二人とも良い子でよかったね。
叔父さん、今までありがとうございました。
先日咲いたベランダハイビスカス
人はいつか死にゆく。
父と母、それぞれの兄弟姉妹も少しずつ他界している。
その死の瞬間がどうなるのか誰も知らないけれど
誰もが必ず体験する。
人の生命はどこへ行ってしまうんだろうな・・・・
そんなことを漠然と考えてしまいます。
火葬の後、骨壺に入れる前に葬儀社の方が
お骨の説明をしてくださったのですが
いわゆる「喉仏」の骨が完全に残っており
本当に仏様が座禅を組んでいるような形だったので
驚きと同時に感動しました。
叔父は骨は強い人だったらしく、他の骨も割としっかりしていましたが
このように喉仏が完全なのは結構珍しかったようです。
美しい仏様のカタチの骨を見てなんだか救われたような気がしました。
叔父の死の事をブログに書くかどうか迷ったけれど
自分の備忘録として記事にしました。
したがってコメント欄は閉じさせていただきます。